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自転車屋


「ジン殿、おはよう!」


 身支度を整えてリビングにやってくると、セラムが元気な声を上げた。


「ああ、おはよう」


 返事をすると満足そうに笑った。


 聞いたことのないリズムの鼻歌を鳴らしており、ご機嫌そうにテーブルを拭いている。


 わかりやすいほどに浮かれているな。


 いつも通り朝食を作って食べ、リビングで新聞を読んでいるとセラムがソワソワとする。


 こちらも反応がわかりやすい。


「……ジン殿、自転車を買いにいかないのか?」


 まったく動く様子のない俺に焦れたのか、セラムがおずおずと尋ねてくる。


「まだ店が開いてないからな。九時半ぐらいまでは好きにしていていいぞ」


 現在の時刻は七時半。自転車屋に向かうにはあまりにも早すぎる。


 本来なら開店時間に合わせて遅めに起床すればいいのだが、俺たちは早朝に起きるのが日課になっているからな。生活リズムは崩したくない。


「あと二時間か……」


 セラムがどこか困ったように呟く。


 こういう時、現代人であればスマホをいじったり、パソコンで動画を観たりと無限に暇を過ごせるものだが、セラムはそういった電子機器の扱いに慣れていないので暇を持て余してしまうようだ。


「やることがないなら畑の水やりでも手伝うか?」


「そうさせてもらう」


 そう言ってみると、セラムはホッとしたように頷いた。


 休める時はゆっくりさせてあげたかったのだが、ジーッとしているのは性に合わないようだからな。


 適当なところで新聞を読むのを切り上げると、俺とセラムは畑に出る。


 トマトや長ナスのビニールハウスを回って状態を確認し、ホースを引っ張って水やりをする。


 数が多いので地味に大変な作業ではあるが、二人でやればスムーズに終わった。


 水やりが終わると、セラムにはポツポツと生えている雑草の駆除や野菜に異常がないかの確認をさせる。


 その間に俺は成長途中の苗の摘果をしたり、脇芽取りなどをして、苗の成長を促したり、調整作業を続ける。


「ジン殿! もうすぐ九時半だ!」


 作業に夢中になっていると、セラムの声で我に返った。


 ポケットに入っている端末を見て時間を確認してみると、セラムの言う通りだった。


 作業に没頭してまるで気づかなかった。


「わかった。仕事はこの辺りにして出かける準備をするか」


「うむ!」


 道具を片付けて撤収準備を始めると、セラムが駆け出すような勢いで家に戻る。


 タオルで汗を拭い、水分を補給して、作業着から私服へと着替えた。


 軽トラのエンジンをつけてクーラーで車内を冷やしていると、ふと思い出した。


「そういえば、俺の自転車も大分メンテナンスをしてなかったな」


 譲り受けたママチャリを持っているが、農業をするようになってから移動は車になっており、随分と遠のいている。前に持っていったのはいつだっただろうか。


「せっかく店に行くんだし持っていっておくか」


 自転車を使うかはわからないが、ついでに持っていって損はないだろう。


 というか、そうしないと店主に怒られる気がした。


 家の裏にある自転車を引っ張り出し、軽トラの荷台に載せる。


 ロープで固定し終わると、ちょうど着替え終わったセラムがやってきた。


「これはジン殿の自転車か?」


「ああ、長らく乗ってないからメンテナンスしてもらおうと思ってな。これを譲ってやってもいいんだが、結構古いし、セラムが使うにはあまり向かないだろうしな」


 ママチャリでもセラムの身体能力なら平気だろうが、自転車は使いやすいに越したことはないしな。


「ジン殿の心遣いを嬉しく思う。だが、自分の移動手段になる道具だ。きちんと自分のお金で買ってみたい」


「そうか。なら、いい物を買わないとな」


 互いに席に座ってシートベルトを装着すると出発だ。


 エンジンが唸りを上げて、敷地内から車道へと飛び出す。


 ギラギラとした八月の陽光がアスファルトの道に反射する。


 左右には水の張られた田んぼがどこまでも続いていた。


 空は澄み渡るような青空で、真っ白な雲が優雅に漂っていた。


 今日も見事なまでに快晴だな。


 過ぎ去る代わりない景色を見ながら改めてそう思う。


 そうやって車を走らせること三十分。


 俺たちは地元で一番近い自転車屋にたどり着いた。


 明るいオレンジ色の看板には『サイクルショップ伊藤』と書かれている。


「ジン殿! あれが自転車屋だな!?」


「そうだ」


 駐車場に車を停めると、俺たちは降りて店に歩いていく。


「外にたくさん自転車が並べられている! すごいな!」


 外に並べられている自転車の数はかなりのもの。


 小さな店ではあるが品揃えは豊富なのだ。


 都会に比べると田舎は交通が不便だ。自動車やバイクがないと買い物をするのにもひと苦労だし、子供は自転車がないとロクに遊びにいくこともできない。


 田舎では自転車は必需品といっていい。


 この辺りの住民は、ほぼ全員ここで自転車を買っているだろうな。


「げっ」


 大はしゃぎで外に並べられている自転車を見ていたセラムだが、女性らしからぬうめき声をあげて固まった。


「どうした?」


「ジ、ジン殿……自転車に張られている価格がとんでもないのだが……」


 顔を強張らせながらカゴに張り付けられている値段を指さすセラム。


 そこには三万円というキリのいい値段が書かれていた。


「そりゃ自転車だから、そんなもんだろう」


「こんなに高いとは思っていなかった! これでは到底私の給料では買うことができぬ!」


「んん? 渡していた金額を合わせると三万は優に越えているはずだろ?」


 セラムには毎日手渡して給料を渡している。


 今まで渡した金額を合わせると、そのくらいの金額くらいは貯まっているはずだ。


 疑問を投げかけると、セラムはフッと視線をずらして気まずそうな顔になる。


「…………いや、ちょっと海斗殿の店やスーパーで使ってしまったというか」


「お前、どんだけ菓子を買ってるんだよ」


 毎日お菓子を食べているなと思っていたが、まさかそこまで散財しているとは思わなかった。


 こいつには、異世界から迷い込んできたという自覚はないのか。


「私は悪くない! こちらの世界の食べ物が美味しいのが悪いんだ!」


「またそれか! 騎士の癖に言い訳とは見苦しいな!」


 容赦なく指摘すると、セラムが「ぐぬぬぬ」と詰まったようなうめき声を上げた。


「あっ! でも、こちらの自転車は一万円と書いてある! これなら私でも買えるぞ!」


「そっちは子供用だよ。それに安い自転車は壊れやすくて、修理代と手間がかかるからあまりおすすめはしないかな」


 苦し紛れのセラムの言葉に答えたのは、人の良さそうな笑みを浮かべた壮年の男性だった。


 サイクルショップの店主である伊藤さんだ。


「伊藤さん。こんにちは」


「いらっしゃい、ジン君。最近、自転車に乗ってるかい?」


「ほとんど乗ってないですね」


「メンテナンスに来たのは半年前だったかな? できれば三か月に一回くらいは持ってきてほしいんだけど」


「すみません。遅れながら一応今日持ってきました」


「なら後で見てあげよう。それで今日は、そちらにいるジン君のお嫁さんに自転車がご入用かい?」


 ややからかいのこもった眼差しを受けてくる伊藤さん。


「……伊藤さんも知ってるんですね」


「田舎は噂が回るのが早いからね」


「まあ、そういうわけでセラムの自転車を買いにきたんです」


「セラムだ。よろしく頼む!」


「セラムさんだね、店主の伊藤だよ。よろしく」


 自己紹介を済ませると、俺たちは伊藤さんに案内されて店内へ入った。







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