イタリア風ひやむぎ
「すまない。随分と待たせてしまったな」
車の座席でうたた寝をしていると、窓がコンコンと叩かれた。
その音に目を覚ますと、窓の外にはセラムがいた。
先に下山して待機していたのだが、すっかりと夕方になってしまったらしい。
「にいい汗をかいたみたいだな?」
「ああ、ジン殿のお陰で久しぶりに思いっきり剣を振れた。気持ちよかった」
「そうか」
ヘルムから覗くセラムの表情は実に爽やかなものだった。
ここまでスッキリした顔を見せてくれると、わざわざ連れてきた甲斐があるものだ。
「それじゃあ、帰るか」
「ああ」
セラムは装備していた甲冑を脱いで荷台に載せると、ラフなシャツ姿で助手席に乗った。
数時間も素振りをしていたせいか、セラムの身体は汗で濡れていた。
金色の髪が肌に張り付いており、白いシャツからはところどころ素肌が見えている。
極めて危険なのは胸元でくっきりと透けている下着だ。
ただでさえ汗で張り付いてぴっちりとしているのにシートベルトがかかることで、より谷間が強調されていた。
なんだか裸を見るよりも倒錯的な光景な気がする。
「……セラム」
「なんだ、ジン殿?」
「ジャージがあるなら羽織った方がいい」
「なぜだ? 今は運動の後で暑いのだがーー」
指摘を受けて不可解といった顔をしていたセラムだが、視線が胸元に落ちることで状況に気づいたようだ。
頬を真っ赤に染めると、俊敏な動きですぐに荷台にあるジャージを着て戻ってきた。
「す、すまない! 見苦しいものを見せてしまった」
いや、そんなことはないが……と言いそうになるが、何を言ってもフォローにならないしセクハラにしかならない気がするのでヘタに答えるのをやめた。
「それじゃあ、家に帰るぞ」
「そ、そうだな。よろしく頼む」
今の出来事をなかったことにするかのように明るい声を発し、セラムもそれに乗るかのように元気な声を上げた。
ちょっと気まずい空気になりながらも軽トラを走らせ家に帰る。
家にたどり着くなりセラムは与えられた寝室にこもった。
多分、汗を拭ってシャツを着替えているのだろうな。
その間に俺は湯船を洗って、お湯を沸かしておく。
リビングに戻って冷蔵庫から冷たい麦茶のピッチャーを取り出す。
氷の入ったグラスに注ぐと、それを一気にあおる。
「ぷはあー、やっぱり夏は冷たい麦茶だな」
炭酸やジュースもいいが、なんだかんだ一番麦茶が美味しい気がするな。
二杯目の麦茶を注いでいるとセラムがやってきた。
汗ばんでいたシャツなどはすっかりと着替えられており、下着が透けるようなことはなかった。そのことに一安心しながらセラムの分の麦茶も用意して渡す。
「お湯の用意はしてあるから先に風呂入っていいぞ」
「ありがとう、ジン殿。では、これを飲んでから入らせてもらおう」
セラムは一息で麦茶を飲み干すと、コトリとテーブルにグラスを置いて脱衣所の方に歩いていった。
「さて、夕食の用意でもするか……」
窓の外は既に薄闇に覆われている。
セラムが湯船から上がるのを待っていては夕食が遅くなってしまうだろう。
というわけで、今日は一人で夕食の用意を進めてしまうことにする。
使う材料は昨日収穫したばかりのトマトだ。
こちらがまだ余っているので早急に使い切らなければいけないのだ。
とはいえ、今日は一人なので凝った料理を作るのも面倒だ。
時間も遅いことだし軽めにサラッと食べてしまいたい。
「なあ、セラム。夕食はーー」
思わず振り向いて声をかけるが、隣には誰もいなかった。
「そりゃ、そうだ。風呂に入ってるんだもんな」
ここ最近、ずっと一緒に料理をしていたので、つい癖で聞いてしまった。
そう思った瞬間、自分の日常にセラムがいることを当たり前と捉えていることに気づいて動揺した。
今まではずっと一人で、それをまったく違和感に思うことはなかったんだがな。
長いこと誰かと共同生活なんてしていなかったので感覚がおかしくなっているのかもしれない。
なんて自分を分析しながら棚を漁っていると、お中元で届いたひやむぎが目についた。
「よし、イタリア風ひやむぎにしよう」
こちらもいつまで経っても減る様子を見せないので、使える時に使っていかないとな。
俺は鍋を二つ用意すると、コンロに火をつけてお湯を作る。
水が沸騰するまでの間に、トマトを輪切りにして、タマネギはみじん切りにする。
輪切りにしたトマトを耐熱容器に並べると、その上にタマネギを散らし、オーブントースターで加熱する。あとでチーズかけて再加熱すると、焼きトマトサラダの出来上がりだ。
さすがに夕食が一品だけしかないっていうのも寂しいので、急遽作ることにしたおかずだ。
そんなこんなしていると、鍋の水が沸騰してきた一つの鍋でトマトをくぐらせ、もう一つの鍋でひやむぎを茹でることにした。
トマトは皮を柔らかくしたいだけなので、くぐらせる程度で十分だ。
すぐにすくい上げると皮が柔らかくなってくれたので手で剥いてやる。
皮を剥いて柔らかくなったトマトを包丁で食べやすい大きさにカットしておく。
この間の素麺と同じようにひやむぎも茹でると、お湯から取り出して冷水でしっかりと締めて水気を取り除く。
平皿にひやむぎを盛り付けるとカットしたトマトを載せて、オリーブオイル、醤油、胡椒、にんにくを配合したソースをかけ、その上に油の切った缶詰のシーチキン、千切りにしたバジルを散らせば完成だ。
ひやむぎが出来上がるのと同時にオーブントースターがチンと音を鳴らしたので、チーズを散りばめて一分ほど加熱。
一分後にはとろりとしたチーズがかかった焼きトマトサラダが出来上がりだ。
食器をテーブルに運んでいると、ちょうど風呂から上がったセラムがやってきた。
「おっ、いいタイミングだな。ちょうど夕食ができたぞ」
「ジン殿に任せっきりになってしまったな。すまない」
「気にするな。俺が早く食べたくて作っただけだからな」
律儀にぺこりと頭を下げながらもセラムは座布団の上に腰を下ろし、俺も対面に座った。
「今日の夕食はイタリア風ひやむぎと焼きトマトのサラダだ」
「む? ひやむぎ? これは素麺ではないのか?」
献立を軽く説明すると、セラムが首を傾げた。
「素麺っちゃ素麺だが、厳密に言うとひやむぎなんだ。素麺との違いは麺の太さだな」
「おお、本当だ! この間、食べたものよりも麺が太いな!」
麺の違いに気づいたのか凝視していたセラムが驚きの声を上げた。
「となると、素麺は他にも麺の細さに違いがあるのか?」
「ああ、一般的に細ければ細いほど美味しくて高級品とされている。流し素麺で食べた素麺は意外といいやつなんだぞ?」
「そうだったのか。知らなかった」
素麺には七つの等級があり、お中元なんかで贈られるものは上から二番目の特級だ。
その上には三神といって、組合の中でもごく一部の職人しか作ることができず、一部の期間でしか作ることのできない希少品なのだが、そのようなうんちくを垂れても仕方がないだろう。
「さて、説明は程々にして食べるとするか」
会話を切り上げると、俺とセラムは手を合わせて食べることにした。
セラムは器用に箸で麺を持ち上げると、ちゅるちゅると麺をすすった。
最初は箸でうどんを掴むこともできなかったし、すすることもできなかったのに随分と慣れたものだな。
「実際に食べてみると太さの違いがよくわかるな! こっちの方が麺がしっかりとしていて食べ応えがある!」
セラムが感想を漏らすのをしり目に俺も食べてみる。
やや太めな麺がイタリア風ソースとよく絡んでいた。酸味と柔らかな甘みを生み出すトマトやシーチキンとの相性もばっちりだ。散りばめたバジルがふんわりと効いている。
「ああ、美味しいな」
つるつると弾むような麺の弾力は細い麺では出せないものだな。
うどんでもなく、素麺でもない、ひやむぎ。
中途半端な麺と言われがちだが、俺はこの太さが嫌いじゃない。
「ジン殿、お代わりを頂きたいのだがいいだろうか?」
焼きトマトのサラダをつまんでいると、セラムがコトリと空いた皿を置きながら言った。
「食べ終わるの早いな! というか、まだ食べるのか?」
「久しぶりに全力で身体を動かしたからかお腹が空いて仕方がないのだ」
「……体重を落とすために運動したんじゃないのか?」
もう夜だ。あとは寝るだけなのでお腹いっぱい食べる必要はないんじゃないだろうか。
「…………だ、大丈夫だ。これからも定期的に運動する。だから、お代わりを頼みたい」
「そ、そうか」
セラムは悩んだ末にお代わりを所望したので、俺は追加で麺を茹でてやることにした。
結局、セラムは夕食だけでひやむぎを六束も食べてしまい、翌朝の体重は増える結果となってしまった。
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