私有地
「……ジン殿、これはなんだ?」
仕事を終えて洗面台で手を洗っていると、セラムが尋ねてきた。
洗面室兼、脱衣所の床に設置されているのは体重計だ。
「その上に乗ってみるとわかる」
「この上にか?」
投げやりに言うと、セラムは素直に体重計に乗った。
「む? なんか数字が出てきたぞ?」
「それがセラムの体重だ」
「は?」
「ふむふむ、ろくじゅ――ぐえっ!?」
体重計を覗き込んで数値を口に出そうとしたら、セラムが首を絞めてきた。
「ジン殿、これでも私は乙女の端くれだ。さすがにこのような仕打ちは酷いと思うのだが……?」
「す、すまん! 悪かった! もうしないから!」
慌てて腕を叩きながら謝罪すると、セラムは何とか開放してくれた。
なんか頬の辺りに柔らかいものが当たっていた気がするが、万力のような腕に締め付けられていたので全く実感がなかったな。
「にしても、人の体重を暴くとは何と非情な道具なのだ。世の女性のために、これは壊しておくべきではないか?」
「いや、健康管理のために必要だからやめてくれ」
割とガチめな殺意を迸らせているセラムを何とか宥める。
体重計に罪はないので壊さないでほしい。
最近買ったばかりの高性能なものなので高いのだ。
色々と出費が多いので、体重計の買い直しは懐に響く。
「こっちの世界にやってきて体調に変化とかはないか?」
「特にない。むしろ、以前よりも食生活がいいお陰か身体の調子は良いと思う」
「そうか」
セラムの返答を聞いて安心した。こちらにやってきて同居するようになって、調子が悪くなっているとかになれば申し訳ないからな。
「ただーーいや、何でもない……」
何かを言おうと口を開けたセラムだったが、すぐにそれは閉じられた。
「そこで切らないでくれよ。気になるだろう?」
「ジン殿に言うほどのことではないんだ」
「いやいや、寝食を保証するって言ったんだ。体調に変化があれば、ちゃんと言ってくれないと困る」
ここで変に遠慮されて、後々影響が出るとかいうのが一番困る。
なんだかんだとセラムはうちの貴重な戦力なのだ。セラムがいるかいないかで仕事の効率も変わってしまう。なにか困っていることがあるなら、ちゃんと口にしてほしい。
真剣な眼差しを向けると、セラムは視線をそらしながらボソリと言った。
「……ここにやってきてから太った気がする」
「そ、そうか」
正直、拍子抜けという言葉がしっくりくるが、それを口にしてしまえばセラムが烈火のごとく怒るのは想像できた。
「ジン殿の作る料理が美味しいのがイケない!」
「ええ? 俺のせいなのか!?」
「あと、ミノリ殿、シゲル殿、カイト殿が会う度に美味しいお菓子をくれるのもイケないのだ! そんなの食べてしまうだろう! こっちの世界の食べ物はどれもこれも美味しすぎる!」
涙目になりながら叫ぶセラム。
ああー、こっちの食材のことを知らないセラムは、何を食べても美味しそうに食べてくれる。
そんな光景を見るのが好きで、この辺りの住民は何かとセラムに餌付けをするのだ。
畑仕事をしているとはいえ、それだけ大量に料理やらお菓子を食べていれば太るに決まっているか。
「じゃあ、しばらくお菓子を食べないっていうのはどうだ?」
「やめてくれ! お菓子を食べるのは最近の楽しみなのだ!」
比較的やりやすい食事制限を提案すると、セラムは信じられないとばかりの顔になった。
お菓子が楽しみって子供か……。
「じゃあ、飯を減らす」
「農業は重労働だ。食事を減らしては満足なパフォーマンスが発揮できない」
お手伝いの分際でわかったような口を叩くのが、ちょっと腹立たしい。
まあ、今の季節はただでさえ厳しい。急に食事を減らして倒れては元も子もないか。
「食事制限が難しいなら身体を動かすしかないな」
「剣を振ってもいいか!?」
呟いた俺の声に反応して、セラムが顔を輝かせる。
「ダメに決まってるだろ」
「うう、剣を振っていた時は、体重が急激に増加するなどなかったのに……」
即座に否定すると、セラムが脱衣所の片隅で三角座りをしていじけだした。
「仕方ないだろ。ここじゃ剣を持つことさえダメなんだ。剣を振り回す姿なんて周りの人に見られたらーー」
などと説教をしている途中で俺はふと気づく。
なら、絶対に人が来ないような場所ならどうだろうか?
「……いや、思いっきり振れる場所ならあるな」
「本当か!?」
「俺の持ってる山だ」
「おお! そういえば、前にジン殿が山を所有していると言っていたな!」
「そこならセラムが剣を振っていても誰かに見られる心配はない」
「おお!」
「面積もかなり広いから魔法なんかを使って思いっきり走り回ることもできるんじゃないか? セラムの運動不足や気晴らしに良いと思うんだがどうだ?」
「行く! 連れて行ってくれ!」
俺の問いにセラムは身体を前のめりにして頷いた。
●
俺の私有地となっている山は家の裏手側にある。
軽トラで十分ほど走らせると、程なくしてたどり着いた。
車の入れるところまで入り、これ以上はしんどくなるところで降りる。
「ここがジン殿の山か?」
「ああ、ここっていうよりこの辺り一帯だな」
「なっ!?」
俺の私有地となっている山をポンポンと指さしていくと、セラムがかなり驚いていた。
「一帯とはどこまでなのだ?」
「具体的にと言われると難しいな。とにかく、この辺り一帯だ」
「土地を所有しているというのに、そのように大雑把でいいのか?」
「都会と違って田舎では土地が余っているからな。住んでる人もおおらかだし、その辺は誰も気にしないな」
私有地の入り口や境界線になるところには、きちんと注意を促す看板があるので問題ないだろう。
「それじゃ、登るか」
「少し待ってくれ」
車にロックをかけて移動しようとしたところでセラムが待ったをかけた。
振り返ると、彼女は背嚢から甲冑を取り出して装備していた。
そんなものまで持ってきていたのか。
「今、つけるのか?」
「鎧を付けた状態で登る方がいい鍛錬になりそうだ」
「そ、そうか」
ここに来るまでは、甲冑を装備するのが当たり前だったようだしな。
ここまでくれば、誰もいないだろうし、甲冑を付けるくらいは構わないだろう。
「待たせた。問題ない」
程なくしてセラムは全身を甲冑で身にまとい、ヘルムから顔の部分だけを開けた。
出会った時と同じ異世界の女騎士スタイルだ。
セラムを連れて、山の傾斜を登っていく。
既にコンクリートなどという整備された道はなく、完全に野道。
後ろからはカッチャカチャと鎧が擦れ合う音が聞こえてくる。
ちらりと視線を後ろに向けると、西洋甲冑を纏った金髪の美女が付いてきている。
とてもシュールな光景だな。
ぬかるんだ地面や突き出ている根に足を取られないように気を付けながら移動。
重い鎧をつけているのもかかわらず、セラムはまったくそれを感じさせない動きで付いてくる。
足元の不安定な場所を歩くのも慣れている様子だし、しっかりと訓練していたのだろう。
二十分ほどそのまま進むと、開けた場所にやってきた。
「この辺までくれば、誰かが間違ってやってくることもないだろう」
「そ、そうか」
傾斜もほとんどない平地だ。周りには青々と生い茂った木々があり、動き回るにはちょうど良さそうだな。
ここにやってくるまでに地面を確認していたが、誰かが迷い込んだ様子もないし、野生動物の形跡もない。
まあ、セラムなら野生動物の一匹や二匹くらい問題なく追い払えるだろうがな。
「ジ、ジン殿……」
冷静に周囲を観察していると、セラムがソワソワとした様子で言う。
「剣を抜いてもいいぞ」
「ッ!!」
許可を出すと、セラムは鞘に納めている剣をゆっくりと抜いた。
それと共にセラムの表情が引き締まる。
この世界の常識や文化に振り回されるセラムの姿は頼りないが、剣を握った瞬間だけは異世界の女騎士としての凛々しさを見せる気がするな。
「……ジン殿、何か失礼なことを考えていないか?」
「気のせいだ」
剣を握ったことで直感が研ぎ澄まされているのだろうか。いつもより鋭いな。
「そうか。それはそうとして、そのように間近で見られると恥ずかしいのだが……」
「すまん。本物の騎士が、どんな風に素振りするのか興味があったんだがダメか?」
「……ダメではない」
観察したい意思を伝えると、セラムは恥ずかしそうにボソリと返答した。
少し離れたところに移動すると、セラムは気持ちを落ち着かせるように深呼吸。
気持ちは日常のものから稽古の方に切り替えたのだろう。
切れ長の瞳が細められ、セラムの纏う空気がスッと研ぎ澄まされていくのがわかった。
かすかに足幅を開くと、一撃、二撃、三撃と剣を振るう。
それは恐ろしいほどに自然な動きで、遠巻きに見ていたにも関わらず動作の初動が見えなかった。
俺が驚きで目を見張る中、セラムは続けて剣を振るう。段々とその剣先は上がっていき、素人の俺では捉え切れない速さ。とても大きな剣を振っているとは思えない軽々しさ。
それでいながら剣の振りに一切淀みは感じられない。
薄暗い山の中で、いくつもの銀閃が煌めく。
とても綺麗で思わず目を奪われる光景だ。
彼女がこれまでの人生で積み上げてきたものが、剣の中に詰まっているように感じた。
きっと、あそこまで到達するのに並々ならぬ研鑽があったのだろうな。
セラムが剣を振る姿を、俺は遠目に眺め続けるのであった。
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