ビッグフロッグ?
「おはよう、ジン殿」
生活用品を買いにショッピングモールに行った翌朝。リビングでセラムの声が響いた。
「ああ、おは――」
反射的に振り向いて挨拶を返そうとするが、セラムの姿が変わっていたために途中で止まってしまう。
セラムの着ている服が違ったのだ。
いつもの野暮ったい赤ジャージではなく、真っ白なTシャツにデニムを穿いていた。
間違いなく昨日買ったばかりのユニシロの服だろう。
シンプルなファッションだが、セラムのようなスタイルのいい美人が着ると、すごく似合うんだな。
衣服の変わりように呆然としていると、セラムがやや不安そうな顔で衣服を触る。
「ど、どうだ? 私の服は変ではないだろうか?」
「安心しろ。変じゃない」
「そうか。なら、良かった」
頷きながら返事すると、セラムは安心したような顔になった。
胸元には金色の輝くネックレスが輝いている。夏帆なりのワンポイントだろうか。
郊外にある大学に通い、都会に憧れているだけあってファッションセンスは確かだな。
「セラムに似合うものをちゃんと選んでくれたんだな。夏帆には感謝しておかないとな」
「あっ!」
などと呟くと、セラムがいきなり大きな声を漏らした。
「どうした?」
「カホ殿にちゃんとお礼を言っていなかった!」
「あー、そういえば、最後の方は生活用品を運び込んだり、家に届けたりと忙しなかったからな」
とんでもないミスでもやらかしたのかと思ったが、まったく大したことがなかった。
「あれだけ世話になっておきながら礼を言っていないのは失礼だ! カホ殿に礼を言わなければ!」
しかし、セラムにとってはかなり重要らしい。
思い出すなり家を飛び出そうとするセラム。
「待て待て。お前、夏帆がどこにいるか知らないだろ」
「あっ」
呼び止めると、セラムは冷静になったらしく外に出ようとするのを止めた。
「騎士ならこういう時こそ落ち着けよ」
「考えるよりも先に動いてしまう。私の悪癖だ。面目ない」
シュンとしながら言うセラム。一応、自覚はしているようで何よりだ。
「まず、夏帆が家にいるか聞いてみる」
「聞くとはどうやって?」
「こうやって端末で文字を送信するんだ。すると、同じ端末を持っている奴と離れていようが連絡が取れる」
「それはどこでもか!?」
「山奥とか地下でもない限り、どこでも連絡が取れるな」
「なんて便利なのだ。このような連絡手段があれば、戦場が一変するぞ……」
夏帆に送ったメッセージを見ながら慄いているセラム。
スマホの便利さを知って、真っ先に軍事利用を考えるとは物騒だな。
などと思っていると、夏帆から返信がきた。
朝早いのですぐには返事がこないだろうと思っていたが、起きていたみたいで驚いた。
どうやら大学の友人と遊びに行く予定があるらしく、早起きしていたようだ。
「午前中なら少しだけ時間が取れるらしい」
「ならば、今からカホ殿のところに行こう!」
「その前に朝食を食べてからな」
「そ、そうだな」
またしても飛び出そうとするセラムを落ち着かせて、俺たちはいつも通り朝食を食べた。
●
朝食を食べ終わると、俺とセラムは家を出て夏帆の家に向かうことにした。
通常、朝早くに訪ねることは迷惑になりがちだが、今回はその方が相手にとって都合がいいので問題ないだろう。今日を逃すと、夏帆はしばらく忙しいらしく会うのが難しくなるみたいだからな。
夏帆の家は、うちから歩いて十五分くらいのところだ。
田舎なので特に横断歩道や複雑な道があるわけでもない。ただ道なりに進むだけでいい。
時刻は七時半を過ぎたところ。太陽が段々と昇っていき、これから気温が上がっていくところだ。このくらいの時間帯であれば、まだ普通に過ごせる。
真っ昼間もずっとこれくらいの気温であれば、安定して楽に作業ができるんだけどな。
周囲には水田が広がり、水面には青空や白い雲が写っている。
呆れるくらいに自然に包まれたド田舎だな。
のんびりと景色を眺めながら歩いていると、水田からヒキガエルが出てきた。
田舎は自然が多く、生き物が多い。こんな光景は日常茶飯事であるが、セラムの反応は劇的だった。
「ビッグフロッグ!」
聞き覚えの無い名称を発するなり、剣を引き抜いた。
真夏の太陽の光が降り注ぎ、セラムの持っている剣が鈍い輝きを発していた。
長閑な光景には似合わない光景。
「おいおい、なにしてんだ?」
剣を抜くなと注意したのに、こんな道端で抜剣するとは何を考えているのやら。
騎士は無暗に剣を抜かない云々かんぬんはどこにいったのやら。
「ジン殿、この世界には魔物がいないと言っていたが嘘ではないか! これは紛れもなくビッグフロッグの幼体だ! 下がっていてくれ!」
この女騎士は一体何を言っているのやら。
俺はため息を吐いて、剣を構えるセラムの後頭部を叩いた。
「痛っ! なにをする!」
「異世界の魔物と似ているのか知らないが、こいつはカエルという動物だ。魔物なんかじゃない」
「そ、そうなのか? すまない。あまりにも私のいた世界の魔物と似ていて……」
「ビッグフロッグとやらはどんな魔物なんだ?」
「このカエルを全長五メートルくらいのサイズだ」
「カエルで五メートルって……そんな生き物がいるのか……」
現代人の感覚からすれば、最大級のカエルといってイメージできるのは精々がウシガエルくらいだ。それ以上にデカいカエルがいると言われても、ちょっと想像ができない。
「農村地帯によく現れ、家畜や人間を丸呑みにしてしまう恐ろしい魔物だ。初陣でのビッグフロッグの討伐では、長い舌に絡めとられ危うく丸呑にされるところだった」
異世界の事情はよくわからないが、セラムがカエルに対してトラウマを抱いているのは何となくわかった。
「まあ、この世界にはビッグフロッグみたいな生き物はいないから安心しろ。この辺ではカエルもよく見かけるが、小さなものばかりだからな」
「……そうみたいだな。私たちを見かけてもまったく襲ってくる様子がない。うむ、ただの動物だな」
「わかったなら剣を仕舞ってくれ」
「す、すまない! 以後、気をつける!」
銃刀法違反で捕まるのだけは勘弁してほしい。
セラムが剣を鞘に戻すのを確認すると、そのまま道を歩く。
しかし、セラムはまだヒキガエルが気になるのか恐る恐るといった様子で凝視している。
悪戯心が湧いた俺は、ヒキガエルに後ろから近付いた。
すると、危険を察知したヒキガエルがセラムの方へとジャンプした。
「うわぁっ!?」
すると、セラムは腰を抜かしたように道端に倒れ込んだ。
ヒキガエルはそれを気にした様子もなく、ピョンピョンとセラムの横を通り過ぎて水田へと戻っていた。
「はははははっ! ただのカエルにビビり過ぎだろ――って、待て待て! 剣を抜こうとするな! 俺が悪かったから!」
セラムの反応が面白くて笑っていると、彼女が本気の表情で鞘に手をかけたので焦る。
よくよく考えると、俺は戦闘面でセラムにまったく敵う要素がないのだ。あまり怒らせるべきではないだろう。
夏帆の家に着くまで、俺はセラムの機嫌を取り続けることになった。




