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雪兄が緊急入院した、と聞いたのは家に帰ってからのこと、俺の怪我を見て驚くよりも先に、麗奈から聞かされた。
犯人は琥珀さん、どうやら俺とやり合った後、開店前の桜亭も襲撃したらしい。
……何やってんだよ、俺の心を折れなかったから腹いせか?そこまでやったらもう、戻れねえだろ。
怪我の応急処置を済ませて、沙織さんに車で迎え来てもらい、病院に向かっている途中の車内で、俺は拳を握りこんだ。
車内はお通夜ムードだ。
運転席の伏見さんはジッと進む先を睨んでいる。
沙織さんも助手席で、感情の無い瞳で車窓の景色を見ていた。
俺の右では千秋が、俺の腕に抱きついて震えていて、左では麗奈が、怒りの籠った感情を目に宿しながら、眉間に皺を寄せている。
「沙織さん、なんかバイトない?」
いつもの調子で言った。伏見さんの手がビクッと反応して、車がキキっと揺れた。
忙しなく、目ルームミラーと正面を行ったり来たりしてる。
車内の視線が俺に集まった。
沙織さんは振り向いた勢いで牛乳瓶みたいにレンズが分厚いメガネが落ちかけていた。
目は、『こいつ、この状況で何言ってんの?』と言いたげだ。
「ば、バイトですか〜?」
ギリギリのところで、口調を保っている。
その口元はひくついている。
「そーなんすよ。うちの子二人を食わせなきゃいけないんで、社会勉強も兼ねてバイトでもしようっかなっておもって」
山本組は、沙織さんが家に帰ったのを皮切りに、裏のしのぎの一切を辞めた。
代わりに普通にカフェとか、飲食店を経営してるって聞いたことがある。
視界の端で千秋が、何かを言いたげに、口を開いては閉じてを繰り返す。
「流石に不用心過ぎない?」
苛立ちと不信感を俺に向けた、麗奈が口を開いた。
静まり返る車内、数秒過ぎてから、沙織さんが大きく口を開けた。
「麗奈さんが喋った!!!!」
車内に叫び声が響き、伏見さんがハンドルを強く握る。
今回は耐えたようだ。
「沙織、うるさい」
「いや、だって、あの、え〜?」
「うるさい」
「……すみません」
沙織さんは圧に負けて、口を閉じ、うつむいた。
おい、アンタヤクザでしょ、たかが小娘の圧に負けてんじゃねえよ。
麗奈を見上げる。うん、俺も、負けそう。
そのくらい麗奈の視線は冷え込んでいた。説明を果たせって圧も感じる。
「姉ちゃんが居なくなった以上、俺が大黒柱、働かねえと飯食えねえだろ」
「そういうことじゃない。雪人がやられたんだよ。君が襲われたらどうするの?」
「俺は負けない」
どの口が言うんだ、って話しだけど、俺は負けてない。
麗奈が顔を寄せてきた。
「ふざけないで」
神妙な眼差しで、言ってきた。
しょうがねえ、白状するか。
「俺の考えなんだけどさ、こっちの戦力を削いで、心を折りたいんだろ?あっちは」
麗奈が頷く。
「俺を圧倒して、雪兄も倒した、後狙われるとしたら沙織さんだけど、結果としては充分だろ。今頃安心して小躍りしてるかもしれねえぜ」
琥珀さんの自信も、雪兄を倒して回復してるだろう。
むしろそれ目的で襲ったんじゃないかとも思う。
だとしたら雪兄には、悪いことしたな。
「だからさ、普通に生活して騙してやろうぜ!決定的な証拠を持ってるなら今日中に動き出すだろ。沙織さん、姉ちゃんたちに動きは?」
沙織さんにはあらかじめ、姉ちゃんの位置情報を共有して、見張りをつけてもらってる。
「ないですね」
「この勝負、お前と千秋が折れたら負けだぜ」
二人の肩を叩き、交互に顔を見る。
「なんたってお前らは、俺の精神的支柱だからな!はっはっは!」
そう、心を折られたら負けだ。自分に負けたら負けだ。
どうせ俺たちも見張られてんだろ。
俺が考えつくようなこと、頭が良い姉ちゃんが思いつかないはずもねえ。
犯人に行き着く手がかりがない以上、俺が襲撃される所を割って入り、殺すしかない。
姉ちゃんと琥珀さん、立石さん……はどうか知らねえけど。
最強のボディーガードがついてるようなもんだ。
だから俺が派手に大立ち回りしねえよう、動ける程度にボコられた。
「一つ条件がある」
麗奈はやっと表情を緩めた。
「なんだ?」
「お姉さんも一緒に働く」
「良いんじゃね?一人じゃちょっと不安だから、お前も一緒だと心強い」
「と言うわけで、沙織、お姉さんと悠太が働けるアルバイトを紹介して欲しい。大丈夫、お姉さんも喋れるようになったから、接客も任せて」
意気込む麗奈に、沙織さんは「うーん」と考え込む。
「何か問題?」
「えっとですね〜。今従業員を募集してるのが、メイドカフェしかなくてですね〜」
麗奈が前の座席にしがみつき、後部座席から身を乗り出す。
「やる」
「でも、麗奈さんは男の人が苦手ですよね〜」
「あ」
こいつ絶対忘れてただろ。しかも俺にメイド服を着せたくて、がっついた。
「……じゃあ、悠太だけでも」
「嫌に決まってんだろ、他探すぞ」
しょうがない、後で蓮さんにも聞いてみるか。
「悠太くんと一緒に、お席に着くのはどうでしょう〜、それなら怖くありませんよね〜」
麗奈が、期待に満ちた目で、こくこくと頷く。
「沙織さん。俺は男だからメイド服なんて」「二人セットで、送迎付き、時給六千円なんてどうですか?」
高時給には裏があるって、俺の第六感が警鐘を鳴らしてる。
「やる」
なのに麗奈はやる気満々で、勝手に頷いてしまう。
こうなったら抵抗するだけ無駄か。
「兄貴のメイドさん、きっと売れやすよ」
「……そりゃどうも」
嬉しくねえよ。
まあ、隠れ蓑にするにはありか。
仮に姉ちゃんか、俺の命を狙ってるやつも、カタギの目撃者を接客中のメイドを襲撃するなんて不可能だ。
しかも送迎付き、俺を襲えるタイミングを、ある程度こちらが絞ることもできる。
つまるところ身の安全を確保したけりゃ、メイドをやるしかねえってことだ、断る理由もない。
あまり気乗りはしねえけど、あまりっつーか百パーセント気乗りはしない。むしろ厨房を担当して、麗奈のメイド姿だけ拝んでおきたい。
「いいな〜」
千秋がポツリと呟いた。羨ましいなら代わりにメイド服着るか?なんて安易に言ったら怒られるから黙っておく。
だがバイトをしてみたいと言う殊勝な心がけは褒めてもいいんじゃね。
「バイトがしたいだなんて偉いな」
「私が高校生だったら悠太にセクハラしに行くのに」
千秋は、はぁと溜息をつき何かをつまみ上げて覗き込む仕草をした。
ぶっちゃけこいつが小学生で良かった。もし同学年だったとしたら身の危険を感じるぜ。
「良いですね〜、私と一緒にVIP席で悠太くんにセクハラします〜?」
雇い主からのセクハラなら訴えることも可能だ。民事から刑事まで裁判起こして、搾り取ってやる。
沙織さんを睨んだ。
「メイドさん、スカートの下は何履いてるの?ぐふっ」
上機嫌で妄想までし始めた、なんか久しぶりな気がする。
「ねぇねぇメイドさん、いくら払ったら触ってもいいですか?」
千秋も毒されてる。ノリノリで聞いてきやがった。
「お嬢たち、あまり妄想を垂れ流すと、兄貴が働いてくれなくなりやすぜ」
不快な妄想垂れ流しを無視してたら、伏見さんが珍しくまともなことを言ってくれた。
だが油断は禁物、沙織さんに関わる人間は普通じゃねえ。普通じゃねえから沙織さんと行動できるんだ。
「兄貴みたいなメイドさんには、休憩中のタバコが似合いやすね、こう店の裏で、ゴミ箱に腰掛けて、仏頂面でタバコをふかす……最高にクールではありやせんか」
それ、絶対沙織さんと千秋にセクハラされた後だろ。
しかも目撃するには店裏に入れなきゃ行けねえから絶対関係者。
必死に働くメイドさんの裏側を暴こうとするなよ。
妄想話は雪兄の病室まで続いた。