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「……おはよう」
声がしてパッと目を開けた、視界に見慣れた照明と天井が目に入る。
いつもの寝室と、視界の半分を埋め尽くす、さっきランキングを更新した世界一の顔面があった。
いつも通り無表情な顔は微かに眉間にシワがよっていて、ちょっぴり不機嫌そうなのに、オレンジ色の瞳は無心な様子で、眠たそうな俺を写している。
俺の頬っぺを引っ張ってたのはこいつか。
じっと目を細めて麗奈を見て、口を開く。
「何やってんの」
「ルーティンワーク」
寝起きには聞き心地がいい、綺麗で透き通ったソプラノボイスだ。だがいかんせん短いからもう少し長い言葉を喋って欲しい。
進言したいが、不機嫌そうだからやめておく。
「なんで毎朝俺の頬っぺで遊んでんの?」
「君の頬っぺの柔らかさには、リラックス効果がある」
柔らかい物を触るとストレス解消効果があるみたいに言われましても。俺はその原因が知りたいんだ。
「何にそんなイラついてんだよ。朝だぞ」
麗奈の白い頬を微かに膨らんで、そっぽを向かれた。
今日も教えて貰えない。数日前からずっとこれだ。
俺が起きてから、麗奈を起こすのが朝のルーティンだったのに、先に起きて、俺の頬っぺで憂さ晴らし。
俺が何かしたのかと、問いかければ首を振る。じゃあ何があったのか聞くと、今みたいにそっぽを向かれる。
きっと女の子にしかわからない難しい秘め事なのだろう、と父親の気分で頭を撫でた。
「そのうち教える」
なら待つしかないか。
いつまでも触ってたくなるような青い髪を手で遊び、ボーッと天井を眺める。
「夢を見た」
「うなされてはなかったよ」
姉ちゃんが死んだ時の夢を見たのかと、麗奈が心配そうに顔を寄せてきた。
「ああ、あの夢じゃなくて、姉ちゃんと見つけ合うだけの夢なんだ」
麗奈の目に力が入り、俺と見つめ合う。
「何時間」
「学校に行かねえつもりか?」
手で麗奈の顔を押し返す。
「葉月はズルい」
麗奈は口を尖らせて言った。
「お前は俺と触れ合えるだろ」
麗奈の形のいい鼻や、頬っぺに指を滑らせる。
すんげえキメ細やかでしっとりもちもち。手入れしてるのを見たことは無い。
「何してるの?」
「麗奈の頬っぺにもリラックス効果がある」
俺を見つめたまま、されるがまま。
「男の子は女性の胸を触るとリラックスするらしい」
視線を少し下に下ろす。僅かに膨らんだ胸が目に入るが、この話題、なんて答えても地雷でしかない。
「ないだろ。俺にもお前にも」
「確かめてみれば?」
麗奈がぐいと胸を張った。更に膨らみは服から強調された、推定BよりのA。知り合いの中で二番目に小さい。
「いいよ。お前の胸は、その、綺麗だった」
1度だけ見たことあるが、危機的な状況なのに、ついついみとれてしまったことがある。
再三『女性は胸の大きさじゃない』って葉月姉ちゃんから教わったが、あの時、姉ちゃんの教えが正しかったのを痛感したね。
「じゃあ、お姉さんが悠太の胸を揉む」
「それこそ揉むほどねえだろ」
鍛えてるのに胸筋も育たねえし、筋肉もつかねえ。
果てにはシルエットすら女だってみんな言う。涙が出そうだぜ。
「大丈夫、揉めるくらいはあるよ。育てたお姉さんが言うんだから間違いない」
「仮に育ってたとして、いつ栄養を与えてるんだよ」
麗奈は話しながら左手で俺の胸を触ろうとしてくる。
「君が寝てる間」
バッと腕を交差させて胸を隠す。麗奈は行き場の失った手をわきわきしながら、見つめている。
こいつが先に起きてる理由ってもしかして――。
「変態!」
掛け布団を捲り下を確認する。良かった、履いてるし、脱がされた形跡もない。
「冗談」
「心臓に悪い冗談はやめろよ」
得意げに言い放った麗奈の頬っぺをつねり上げてやった。
起き上がり、誰も居ないベッドの奥の方へ視線を向ける。
キングサイズのベッドの右端は、菜月姉ちゃんのスペースだ。
今日も帰ってきてない、安堵するような寂しいような、曖昧な気分だ。
ベッドサイドのテーブルからスマホを取り、画面を起動させた。
俺と麗奈に挟まれて菜月姉ちゃんが笑ってる待ち受けだ。おはよう姉ちゃん。
ついでに通知を確認したが、新着はない。
「顔洗って飯食うか。何がいい?」
「君がいい」
「おーけー」
黄身がいいのね。なら目玉焼きにしよう。ウィンナーも焼いて、レタスも少し残ってたっけ。ご機嫌な朝食じゃん。テンション上がるぜ。
ベッドから立ち上がり、伸びをする。
視界の端で、麗奈が目を閉じて、何かを待っている。
「何してんの?」
「君がいい」
「今作ってくるから、学校に行く準備しとけよ」
麗奈に告げて、寝室を出た。