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徳利を持ち、トクトクと音を鳴らして、こちらに手を伸ばす蓮さんのお猪口にお酒を注ぐ。
「ととと、ありがとう。それで沙織ちゃんは――――」
「悠太ごめんね」
注ぎ終えると、酔っ払い2人は酒談義に興じ始めたので、そっと徳利を二人の間に置くと、横から姉ちゃんに囁かれた。
「気にすんな。姉ちゃん酒よえーからな」
いつもお世話になってる人達だから、この程度なんの苦労でもない。
豪華な夕食が冷めていくのを黙って見ているしかないのは、少しもったいない気もするが、この夕食なら冷めても絶対美味いでしょう。
そんな事を考えていると、姉ちゃんが金目の煮付けを箸でつまんで俺に差し出してきた。
「あーん」
「自分で食えるよ」
そう。俺は赤ちゃんじゃねえ。飯くらい自分で食えらぁ。
しかも大人数でのバーベキューとは違って、これは明確に俺の飯だ。
隙あらば食べさせようとしてくる麗奈も、隙あらば俺の飯を狙ってくる涼夏も遠くにいる。
だから俺は金目鯛料理を心行くまで楽しむ。そう決めたんだ。
箸で煮付けの身をほぐして1口分を摘む。すっげぇやわけえ。口に入れた瞬間とろけていなくなっちまうんじゃねえか?
ああ、無意識に垂れてしまいそうだった涎をゴクリと飲み込む。
幸せなこの時間は誰にも奪わせやしない。
「悠太くん。貰ってあげてください」
なんて思いながら、煮付けを口に運ぼうとしていたら神田さんに止められた。
何故か俺を咎めるような顔だ。何故だ。何故邪魔をする。
「菜月さん。自分よりも麗奈さんの方がよっぽど悠太君のお姉ちゃんしてて立場が無いってよく落ち込んでるんですよ?」
なん……だと?
「ちょっと美代子、それは言わないでー!」
だとしたら俺が姉ちゃんの弟失格なだけで姉ちゃんは悪くねえ。
姉ちゃんの厚意を無下にして、俺は何をしているんだ。
俺の幸福?誰にも邪魔されずに飯を食べることが?違う。俺の幸福は。
「姉ちゃんすまなかった。俺に飯を食べさせてくれないか?」
姉ちゃんに甘えて姉ちゃんを喜ばせることだ!
それが弟の役目を忘れちゃいけねえ。
「ううん。悠太も独り立ちしたってことだもんね。大丈夫だよ」
姉ちゃんは悲しげな顔で自分の箸でつまんだ金目を食べた。反対側を見ると、心配そうな神田さん。
ちくしょう。俺はどこで選択肢を間違っちまったんだ。
最近絡み薄ではあるけども、独り立ちした覚えはねえ。
「昔はお姉ちゃんと結婚するって言ってくれたんだけどね」
と沈痛な面持ちで俺を挟んで神田さんに話す姉ちゃん。
「結婚まではどうか分かりませんけど、悠太くんは菜月ちゃんのこと大好きですよ!」
姉ちゃんと麗奈のハーレムならみんなも認めてくれるんじゃないか?
嫌。駄目だ駄目だ。苦渋の決断とは言え、美女2人を侍らせるようなクズ野郎に俺はなってはならない!
「どうかな。私みたいな重たいお姉ちゃん。麗奈ちゃんとくっついたらポイされちゃうのかも」
そんな訳ねえだろ。今しがた姉ちゃんを幸せにする方法を考えていたところだよ。
「菜月ちゃん言い過ぎですって!そんなことないですよね!悠太くん!」
そうだ!雪兄なら!
視線の姉ちゃんの奥へと向ける。
そこに居るはずの雪兄は居らず、綺麗になった食器と座布団を残してやつの姿が消えていた。
ちくしょうあの野郎。大事な時に居なくなりやがる。
「雪兄はどこにいった」
「雪人君なら料理の事を聞きたくなったって料理長のところに行ったわよー。そんなことより」
ポツリと呟いた独り言を蓮さんが拾ってくれた。おかわりの催促を添えて。
ここにきてまで料理オタクかよ!姉ちゃんが悲しんでいるんだぞ!
「おつぎしますとも」
「ありがとうねえ」
取り敢えず蓮さんのおかわりを注ぎ。顎に手を当て思案する。




