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麗奈が首を横に振って、俺の頭を胸に押し付けるように抱いた。
ふんわりとした柔軟剤の匂いと麗奈の甘い香りが鼻をぬけ脳に直接安らぎを送ってくる。
同時に麗奈の服を汚してしまう罪悪感に駆られるが、この安らぎには変え難い。
「私ジャージを取ってくるので悠太くんの事お願いしますね」
麗奈に俺を託した唯は体を反転させると、着替えを取りに走り出した。
「麗奈のも頼む!」
矢継ぎ早に琥珀さんが言うと唯は振り返らず、手だけで了解のポーズをとって俺がお礼を言うよりも早く走り去っていった。
あの教室に戻るのか、涼夏の怒りが鎮まっているといいけど。
「麗奈、少年を抱きしめたままでも良いから一先ず中に入ろう」
俺達の様子を見ていた琥珀さんがバツが悪そうに言った。邪魔をしたと気を使わせたみたいだ。
麗奈が頷いて、琥珀さんが保健室の扉をガラガラと開けた。
整頓された室内には誰もおらず、先程まで人の居た気配もない。
もうすぐ予鈴の鳴る時間だから職員室に集まったりしているのだろう。
保健室に来るのは小学校以来で久しぶりだ、この薬品の匂いや、白い布の仕切りで仕切られたベットが懐かしい。
「保健医は居ないみたいだな。とりあえず少年も麗奈も脱げ。私は濡れタオルを用意する」
平常時なら何言ってるんだとツッコミを入れるところだが、保健室のガラスに反射した自分の姿が吐瀉物塗れであまりにも汚らしい。
上着だけでも直ぐに脱ぎ散らかしい衝動に駆られた。
「麗奈、ありがとう……離してくれ。あっちで脱いでくる」
離してもらいベットの方へと歩き出すと、当然のように麗奈が着いてくる。
「ここは学校だ。せめて隣で脱いでくれ」
麗奈はふるふると首を振った。
『君を今1人にしたら壊れちゃいそうだから』
と言うのは建前だ。琥珀さんは今棚からタオルを出しているところか。
「琥珀さん……麗奈の移動をお願いします」
1人にしてもらうことに成功した。
ベットの仕切り布を閉めてワイシャツのボタンを外し、脱いで広げる、狭い空間だからくっせえな。
「琥珀さん、袋とかありますか?」
仕切り布の隙間からぬっと手が生えた、その手にはタオルが握られている。
「私が洗っとくからこれで体を拭いておいて」
「先輩に自分のゲロの世話はさせらんないっすよ」
そもそも同級生でも同居人でも本当はいやだが。
タオルだけを受け取ってワイシャツの汚れていない部分を下にして床に置いた。
「困った時はお互い様だ。ほら、渡せ」
「……ほんと大丈夫っす」
「なんだ、麗奈や唯は良くて私はダメなのか……そうか……」
俺から見える腕だけが力なく項垂れた。
断った上で麗奈も唯も強制的に介抱してくれていたのであって俺から頼んだ訳では無い。
「私も少年のお世話をしたいしたいしたいしたい!!!!!したいーー!!!」
今度は落ち着きなく暴れ出した、ブンブンと振り回した腕は、近くに、俺が居ないことを察知すると、ガバッと伸びてきて触れた。俺の胸に……。
「あ、柔肌……突起……ふわあーーー!!!!」
俺は男だから気にしないが、向こうはそうでは無いらしい。
触れた部分に気が付くと慌てた声を上げて瞬時に腕が引っ込められ、それっきり何も言わなくなった。
琥珀さんから貰ったタオルで体を拭いていく。時間を掛けて拭き終わっても琥珀さんが声をかけてくる事はない。
静かになったならいいか。いじる材料が増えただけ儲けものだな。
うん、思考能力も戻ってきた。唯が来たら着替えて教室に戻ろう、そんであの悪魔見てえな奴に「ばーか」って言ってやろう。
教室で俺を見下していた奴の顔を思い出した途端に心と体に違和感が生じた。
おかしい、足が竦む、直ぐに立っていられなくなりベットに腰掛けた。
「ちくしょう……またかよ」
1人ごちて、ベットに体を預けて倒れ込む。
治りかけの男性恐怖症がタイミングを見計らったかのように、再発しやがった……。




