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窓から差し込んでくる日差しで目が覚めた。
この部屋には朝の忌々しい日光を、妨げてくれるカーテンすらない。寒い夜を快適に過ごさせてくれる暖房も。
暖かくなってきたけど、まだ春半ば。寒さで起きるかと思ってたけど、朝までぐっすり眠れた。
むしろ暖かいくらい。
……背後から感じる体を包み込むような温かさと柔らかさ。
姉ちゃんの抱き枕にされていたようだ。
今だに、一人じゃ眠れねえんだな。
実家に居た時は母ちゃんと寝てたと聞いたから、涼夏か蓮さんのとこで寝てると思ってた。
俺が夜中に家を飛び出さないか、心配だったのかもな。
そんなことよりも、トイレに行きたい。
「姉ちゃん朝だよ、起きて、トイレに行けない」
起きがけの強烈な尿意だあいつらは待ってくれねえ。
姉ちゃんの肩を揺すってみたけど反応がない。規則正しい寝息をたてて健やかに寝たまま。
そういえば姉ちゃんは、自然に起きるまで、どれだけ起こそうとしても起きなかったんだっけ。
このホールドをどうにかして抜け出すしかねえか。
「ぬ、抜けない」
体を捩ったら、逆に姉ちゃんの力が強くなった。さっきより密着度が増す。少し力を入れたくらいじゃ解れない。
おかしいな、姉ちゃんにそんな力はないはず。
狸寝入りか?ふと姉ちゃんの顔を見ると、白い頬に涙の跡が残っている。
言う親父に反抗して、意地張って出てきたとは言え……姉ちゃんも不安だよな。
姉ちゃんの不安に共感してる場合じゃないんだよ。
「おい、起きろマジで、ヤバイって、も、漏れる」
この歳でお漏らしなんて俺は嫌だ!
動かせる範囲で動かして必死にもがき続けて、ようやく指が解けてきた。
やっとトイレに行ける!と思ったその時、一瞬拘束が解けた。大きく広げられた腕と足、体を拘束しなおされた。
捕食者に飲み込まれる獲物の気分を味わった。
立て続けに自室の扉が突然、バン!と大きな音を立てて開けられた。
入ってきたのは涼夏、扉を勢いよく開ける癖は昔と変わってねえのかよ。
「悠くん朝だよー!お母さんがあさごは……ん」
「涼夏。助けてくれ」
涼夏の言葉が俺達を見て止まる。
高1にもなって姉に抱きしめられて寝るってのはおかしい。 でも俺が悪いわけじゃないんだ。
「んぅ、駄目だよ悠太、私達姉弟だよ」
必死で抜け出そうと暴れる俺。
心無しか少し頬を赤らめてアホな寝言を言う姉。
無言で近寄り涼夏が片足を上げた。なるほど、ここが地獄か……。
「実の姉を襲うなんて!不潔!」
ドン!
「ぶふぇ!待て!どう見ても」「変態!」
ドン!
「ゴハ!やめ!」「悠太!」
ドン!
顔面フルコンボだドン。
傷心気味な俺の心は久しぶりに再会した幼馴染によって、打ち砕かれた。
暴虐なる幼なじみと、俺を抱いて眠る姉ちゃんめ、ちくしょう。
――――――――――――
……あぁ、うまい。
四年ぶりに味わうけど、やっぱ蓮さんの飯は当時と絶品だ。 俺はこの飯を食って育った。
「悠くんごめんって!」「悠太、私もごめんね」
至極申し訳なさそうに、謝る。姉と、幼馴染を無視しながら、俺は蓮さんが用意してくれた朝食を食べている。
二人は床で正座だ。
悠太くん十五歳、姉と幼馴染の前でお漏らしさせられた恨みは、謝罪ひとつじゃ到底許せん。
「悠太くん、2人を許してあげてくれないかな?ほら2人とも悪気は無いんだから」
「蓮さんに言われても無理っす」
そうだ。いくら聖母のみてえな蓮さんに言われても無理なもんは無理だ。
「菜月だって久しぶりに悠太くんと一緒に安心できる夜を過ごしたかったのよ」
姉ちゃんはこんな俺を庇った結果一緒に家を出る羽目になった。
寝顔にあった涙で不安だったのも伺い知れる。
「ごめんね。久しぶりに悠太と一緒だと思ったら、お姉ちゃん嬉しくって隣に寝ちゃった」
姉ちゃんが言った。別にそんな事に怒ってはいない。
「いいよ姉ちゃん。俺の方こそごめんな。俺も姉ちゃんのお陰で安心して眠れたよ」
うん。そもそも姉ちゃんは謝る必要なんてない。俺を監視する為に抱いて寝ただけ。悪いのは涼夏だ。
「えっとー、悠くんが菜月お姉ちゃんに乱暴してると勘違いしました。ごめんなさい」
チラと視線を向けると、俯きがちに謝ってきた。
涼夏も、仲の良い幼馴染だった俺を心配してくれていたんだぞ。
こんな、心配する価値もない俺を。
「はぁ」
ため息をひとつ。
仕方ない、今回は許してやるか。
菜月姉ちゃんを見ていたら怒りが消え去っただけ。流石俺の姉ちゃんは癒し系だ。
「今回だけだからな、次はない」
ぱぁっと花を咲かせる様に笑顔を浮かべ、俺を挟んで両隣に座った。どっちか蓮さんの隣いけよ。
俺も蓮さんも思わず呆れ顔を浮かべてしまう。
「2人とも、気をつけるのよ、特に涼夏、暴力は駄目よ」
「う、うん、悠くん本当にごめんね」
「もう気にしてねえよ」
「悠太、ちゃんと許せて偉いよ」
菜月姉ちゃん秘技ナデナデ、相手は落ち着く。
「そろそろ十五だぞ。俺。これから生活費とか、どうするの?」
姉の手を優しく頭から下ろして、気になっていた事を質問してみた。
前向きに生きようがそうでなかろうが、そもそも生きるには金がいる。
住むところはあるけど今の俺たちには生活力が皆無だ。
姉ちゃんは俺を養おうと本気で考えていそうだけど、こんな俺の為なんかに、20歳の若さで仕事ばかりさせるのは申し訳ない。
どうせ学校に行く気もないし、と言うか前の学校は入学初日から行ってねえ。
早々に退学処分になっててもおかしくない。
なら少しでも姉ちゃんを楽させるためにも、働いた方がいいと思うんだけど。
「お金の事はお姉ちゃんに任せて置いてお姉ちゃん明日から働くことになったから」
「……俺も働くよ。俺のせいで実家を追い出されたのに、姉ちゃんだけ働かせるわけにはいかねえだろ」
「私は元々大学出たら働こうと思ってたからいいのー。悠太は学校に行って、いっぱい勉強して、いっぱい学ぶの」
姉ちゃんが優しい声色で言った。
「でも働き始めで2人分の生活費を稼ぐなんて難しいだろ」
「だから。ここに帰ってきたんでしょ?」
「どういうこと?」
姉ちゃんの意図がどうにも読めねえ。
「菜月ちゃんがうちで働くのよ。だから学費の事も生活費の事も気にしなくてもいいわよ」
「蓮さん……」
「そういうこと〜」
「その代わり菜月ちゃんには馬車馬の如く働いてもらうけどね〜」
「そんなぁ〜でも、社会人になるってそういう事だもんね……ごくり。悠太。お姉ちゃん頑張るね!」
姉ちゃんは、たわわに実った胸を張って言った。
どうしてこの2人は、涼夏も。
「だから菜月ちゃんがさっき言った通り悠太くんは学校に行きなさい」
「学校なんて、やりたい事も目標も生きたいなんて思いもないんです。俺。だからそんな俺が行ったところで」
金の無駄ですよ。最後まで口に出せなかった。
蓮さんが俺の唇に指を当てて遮ってきたから。
「今はそうでも、騙されたと思って通いなさい。これは強制よ」
蓮さんにこんな真剣な目で見つめられるなんて昔本気で怒られた時以来だ。だからこそ分からない。
深い縁はあるけど、高い授業料を出してもらってまで、学校に通わせてもらうだけの価値が俺にあるのか。
「どうして姉ちゃんも蓮さんもそこまで俺なんかの為に?」
「その答えは今の君にはどれだけ考えても、答えを教えても分からないわね。だから学校に通って、その答えを見つけなさい」
「そうだね、今は気にせず私達に甘えてみよ?えへへ、蓮さんおつきの社長秘書さんなんだよ?」
蓮さんや姉ちゃんに面倒見てもらって。
「それでも、答えが見つからなかったら?」
「その時は、幼馴染の私が一緒に考えてあげるよ!」
涼夏の言葉に、不意に目頭が熱くなるのを感じる。
「泣きたい時は泣いてもいいのよ、泣いた数だけ、立ち上がれるものよ、きっと」
続く蓮さんの言葉にもっとこみ上げるものを感じるが、少し上を向いて我慢する。
「泣かないよ。昨日から泣いてばかりだったからな」
「おっ、その意気だよ悠太!」
褒めてくれるのは嬉しいかも、だけどなんだかちょっとむず痒い。
「さて、そろそろ仕事行かなきゃね涼夏ものんびりしてていいの?」
時計を見ると、時刻は既に8時過ぎ。家から高校までは大体20分くらいだから余裕ではないな。
「あー!もうこんな時間だ!遅刻しちゃう! ごめんね、悠くん今日は午前中で終わるから寄り道しないで帰ってくるね!いってきます!」
カバンを持ち、ドタバタと涼夏が家を出ていった。
「ふふ、あの子は本当に慌てん坊ね、悠太くん、菜月ちゃんも一緒に会社に行くけど、1人でお留守番できる?」
「俺、そんなに子供じゃないですって」
「そう?私からしたら3人とも私の子供みたいなものよ?じゃあ任せたわね、菜月ちゃん行くわよ」
と言って蓮さんが立ち上がった。見た目だけなら俺たち3人のお姉さんでも、通用するんだけどな。
「はい!じゃあ悠ちゃん、お姉ちゃん今日は顔合わせだけで午前中でかえってくるから、午後から一緒家具を買いに行こうねぇ」
「おう」
「それじゃ、ん!」
2人を見送ろうとした俺の前に立ち、腕を広げる姉。
「おう、行ってらっしゃい」
「ん!」
「…?」
「ぎゅーだよ!英語ならハグ!昔はよくしてたじゃん!」
昔って……俺が小学生の頃(強制)じゃねえか…。
「蓮さんの前でそんな事できるか!」
「悠太くん、私も、んー!」
「れ、蓮さんまで、もししなかったら?」
「唐辛子が冷蔵庫に沢山あったかしら?」
この後めちゃくちゃハグした。仕方ないじゃん、俺辛いもの苦手だもの。
このハグに混ざりたい