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「沙織さんどっち食う?」
「どちらでもいいですよ〜」
俺も食べられるならぶっちゃけどっちでも良い。
店員さんが持っている焼き鮭定食の方が俺に近いからそっちを先にいただくとするか。
「焼き鮭定食をこっちにください」
「はーい」
店員さんの返事とともに俺の手元へ配膳された焼き鮭定食に、無意識に喉をゴクリと鳴らしてしまった。
先程よりも香ばしい香りが強く感じられて、唾液の分泌量が増えた。
「おう、ありがとう」
麗奈から肩を叩かれそちらを見ると、箸を渡してくれたので受け取って静かに手を合わせる。
「いただきます」
一言だけ言って早速シャケの身を少し箸でほぐして茶碗の上に乗っける。
米とともにそれを口の中へと放り込むと熱気を帯びた米が口の中で自己主張をしてくる。
「はぐっ、はぐっ」
熱さを我慢して噛み下していく。
これだ、塩分を多めに含んだシャケの味がこの上なく米に合う。
50回ほど咀嚼を繰り返し、飲み込んで、口の中の熱を覚ますため、一口水を飲む。
そしてすぐに二口目を投入。あぁ、うまい。
朝食として食べる焼き魚というのは、それだけでいつもの変わらない朝にちょっとした特別感をプラスしてくれる。
うまい。一口食べようが二口食べようが、最初に口に入れた感動が消える事はない。
あっという間に米もシャケ半分程食べてしまった、いかんな……これでは菜月姉ちゃんに『もっとよく味わって食べなさい』と怒られてしまう。
この辺で一度味噌汁に口をつけ、味覚をリセットするとしよう。
最近の慌ただしい日々に疲れた体に味噌汁の温かみが染み渡る。
なんつうか俺……今救われてるな。
「あの〜、凄く美味しそうに食べてるとこ申し訳ないのですが……それ以上食べたら」
さて、舌もリセットした事だし、もう一度シャケと米のハーモニーを、と茶碗を持ったところだった。
突如として、俺の世界へと介入してきた魔王の手によって俺の至福の時間は邪魔された。
けど沙織さんの言った事もごもっとも、これ以上食べ進めてしまうと交換する分が無くなってしまう。
ここは我慢だ、別の発見をするとしよう。
「わりい、腹減ってたから夢中になってたみたいだわ」
「いえ〜。それじゃあ交換しましょうか〜」
「うっす」
鯖の味噌煮と焼き鮭を交換し、自分のお盆に置く。
至福の時間を邪魔された事も手伝って俺はすっかり興が覚めてしまったようだ。
綺麗に半分に裂かれた鯖の味噌煮を見ると、自分が半分程食い散らかした焼き鮭と見比べて申し訳ない気持ちになる。
それでもうまい事には変わりないから食うか。
「……ぁーん」
麗奈が口を開けながら何かを待っている。
味噌煮が食べたいのだろうか。
箸で身を小さく割き、麗奈の口へと運んでやるとそれを受け入れて、もぐもぐと咀嚼を始めた。
そしてそれを飲み下すと再び、口を開けて待っている。
なんだこの気持ち、雛鳥に餌をやる親鳥になった気分だ。
いいぞ、お父さんが好きなだけ食べさせてやろう。
麗奈に食べさせ続け、綺麗さっぱりと鯖の味噌煮が無くなってしまった。
俺に残ったのは米と味噌汁、そして小皿に申し訳程度に盛られた沢庵のみとなってしまった。
先程の高揚感は綺麗さっぱり消え失せ、沢庵と味噌汁のみで米を食べる。
悪くない……が味噌煮も食いたかった。
姉ちゃんの教えに従って米の一粒も残さず食べ終える。
目の前には間髪置かず、フォークに刺さったパンケーキが現れた。
さっきのお礼だ、食え。と言う事だろう。
一口水を飲んで、全ての味をリセットしてから、いただく事にした。
目の前では涼夏がデザートを好き放題食い散らしていた。
お前は良いよな、好きな物が食えて。
恨言を心の中で吐露しつつ、麗奈が食わしてくれるチョコパンケーキとイチゴのパンケーキに舌鼓を打つ俺であった。