1頁
評価、ブクマいただけたら幸いです。
良い作品にしていきたいので、読みづらいとことか、ありましたら感想等で教えてくれると幸いです。
1
4年前。姉が亡くなった。春日葉月享年19歳。
……病気や事故じゃない。
葉月姉ちゃんは俺の全てだった。
大切な事は姉ちゃんが教えてくれたし、何かあっても姉ちゃんが守ってくれた。
4年過ぎた今も俺の世界は曇りがかったように灰色のままだ。
葉月姉ちゃん……会いたいよ。
「……もうすぐ着くからね」
暗い道に目を凝らしながら集中しつつ、運転席から優しく呟いたのは春日菜月、俺のもう1人の姉だ。
優しさを煮詰めて固めたような人だ。優しくて暖かくて、無鉄砲な俺の事をいつも心配してくれる。
「うん」
姉ちゃんを横目に見て、短く返事を返した。
視線を外に向けると車の窓から見える景色は暗く、車のライトと街灯のみが道を照らしている。
車内には音楽も流れていない。
姉ちゃんもとてもじゃないが音楽を掛ける気にもならないのだろう。
聞こえてくるのはエンジンの駆動音のみ……音、景色、全てが、元々そうなのにさぞ鬱々とした気分にさせる。
覚えてる。市内に入った時から見慣れていた景色が続いてる。当時を思い出すような鼻の奥から匂いが香るような感覚。色に例えると赤。最後に染み付いた記憶だからだろうか。
「大丈夫だよ、今度はお姉ちゃんが悠太を守るからね、大丈夫だよ」
俺の察したかのように菜月姉ちゃんが明るく優しい声で元気づけてくれた。
不安な気持ちを隠して、大丈夫と自分に言い聞かせているのかもしれない。
それでも姉ちゃんの目は、不安と言うよりも決意に満ちている。
今日、俺たち姉弟は親父に家を追い出された。
厳密には荒んで夜な夜な喧嘩に明け暮れていた俺に、呆れ果てた親父が俺を追い出そうとしたところ、そこに居合わせた菜月姉ちゃんが庇ってくれた。
仕事や世間体ばかり気にして、俺や菜月姉ちゃんのことなど二の次で、葉月姉ちゃんが亡くなる前から小言しか言わねえ親父にしては我慢していた方だとは思うが。
そんな親父と4年ぶりに交わした会話は「お前とは絶縁だ。今すぐ荷物を纏めて出ていけ」だった。
心当たりはある。高校入学と共に退学になったからだと思う。
俺を庇ったからといって姉ちゃんとセットで追い出すことは無いだろう。
それもすんなり「そうか。ならお前も出ていけ」と冷たく言い放ちやがった。
詰まるところ親父にとって、出来の良くて、将来を約束された葉月姉ちゃん以外は煩わしかったのだろう。
菜月姉ちゃんだって、優しいから争いを避けるだけで能力はあるのに。
ただ俺の無計画な行動のせいで、結果的に無関係な姉ちゃんまで巻き込んじまった。
「ごめん……姉ちゃん。俺のせいで」
「悠太のせいじゃないよ」
俺の所為以外の何物でもないだろ。
菜月姉ちゃんは葉月姉ちゃんが亡くなった後も真面目に学校に通って今年卒業して、晴れて社会人になる予定だった。
「元々ね。働き始めたらお姉ちゃんは悠太を連れて家を出るつもりだったんだぁ」
「俺なんか連れてっても姉ちゃんに迷惑しかかけないでしょ」
「私は悠太のお姉ちゃんだから迷惑じゃないよー」
「葉月姉ちゃんみたい」
菜月姉ちゃんは朗らかな笑顔で後ろで見守ってくれるタイプだ。
少なくとも今日みたいに能動的に動く姉ちゃんを見たのは指折り数えても数回しかない。
「ふふっ、葉月ちゃんに悠太をよろしくって言われてるからねぇ」
「俺の事はほっといてくれても良かったのに」
「ほっとかないよ。私のたった一人の弟だもん」
菜月姉ちゃんと葉月姉ちゃんは双子で、葉月姉ちゃんが先に産まれた。
四つ下の末っ子だった俺を2人の姉は心底可愛がってくれた。
もちろん俺も姉ちゃん達が大好きだった。
だが4年前、葉月姉ちゃんは通り魔に襲われて、19歳と言う若さでこの世を去ることになった。
愛していた姉の1人を失った。
あの日から俺の見ている世界からはどんよりと曇ったように灰色の空が広がった。時間が経った今でも土砂降りの雨が降り注いでいる。
全て逃げ出すように夜遊びに逃げたが、虚しさが増すだけで俺の心が晴れることはなかった。
2
「すぐに前を向くのは難しいかもしれない。けどいつまでもそのままで居たら葉月ちゃんも安心できないよ」
「俺は幽霊なんて信じてない。人間死んだら……なんも無い」
「ふふ。昔は夜中にトイレ行くのも怖がってたのにね」
「……幽霊が居るなら、姉ちゃんは俺の前に出てくるはずだよ」
それが無いのは、あんな事をしたからだろうか。
悪い事をしたとは思ってる。けど忘れたかった。見ていると思い出してしまうから。
けど、残ったのは虚無感だけだった。それに母ちゃんも泣かせてしまった。
あの時点で追い出していてくれたら、野垂れ死ねていたかもしれないのに。
「お家に着いたら居るかも。おかえりって言ってくれるかも」
俺たちは今、葉月姉ちゃんと暮らしていた街に向かっている。クソ親父から手切金代わりとして貰った旧家に。
本来であれば二度とあの街.......家には戻りたくもない。
俺1人追い出された場合は野垂れ死ぬつもりだった。
だが菜月姉ちゃんをそれに付き合わせるわけにはいかず、姉ちゃんと親父の話し合いを聞いているしか無かった。
「そうだといいな。無いと思うけど」
もし本当に葉月姉ちゃんが出たなら俺は死ぬほど怒鳴り散らかされるに違いない。
「ふふ、この街で、前に進めるといいね」
「葉月姉ちゃんを忘れることなんてできない」
「忘れる必要なんて無いの、悠太が忘れるなんて言ったら問答無用で葉月ちゃんが化けて出てくるわよ、大丈夫、お姉ちゃんを信じなさい。葉月ちゃんよりは少し頼りないかもしれないけどね」
情けねえ……その一言に尽きる。
菜月姉ちゃんだって辛い筈なのに、取り繕ってでも前を向こうと努力している。
でも今の俺はどうだ。
空っぽだ。何も無い。ちっぽけな自分に、涙が溢れそうになる。
「ほら、家ついたよ」
ゆったりと車が止まった。
涙で霞む目を拭って窓の外を見る。やはり懐かしくも見知った家だ。
四年ぶりに見た家の外観は今の俺を映し出すように、あの頃のままだ。何も変わって居ない。
手入れが入っていたのだろうか。4年も無人だったにしては外壁などの黒ずみも見られない。暗いからそう見えるだけかもしれないが。
「やっほー!待って居たわよ!悠太くん!菜月ちゃん!」
家の事を考えていると、不意に少しだけ開けられた車窓にバン!と張り付く様にして、女性が声をかけてきた。
蓮さんか。びっくりした。
姉ちゃんと一緒に車を降りて、蓮さんと向かい合う。
「うっす」
「あら、反応鈍いわねぇ、おばさんてっきり、感極まって抱きついてくるなりすると思ったんだけどなぁ」
長い栗色の髪を後ろで束ね、綺麗と言うよりは可愛い顔立ちをしたこの人は、ここに住んでいた時のお隣さんで幼馴染の母ちゃんだ。
麻波蓮さん、イタズラ好きでお茶目な人。元ヤン。
驚きなのは俺が世話になっていた頃から見た目が一切変わっていない。
蓮さんの後ろで、麻波涼夏も心配そうな表情でこちらを見ている。
「悠くん、菜っちゃん……久しぶりだね!」
心配そうな表情を一転作ったような笑顔で涼夏も挨拶をしてきた。
相変わらずコロコロ表情の変わるやつだ。
「あぁ、久しぶりだな」
「悠くん髪伸びたね、身長はそのままだけど」
と俺の腰程まで伸びた髪を見てから、茶化した様に言ってくる。
涼夏だってあの頃からそんなに変わって居ない。せいぜいお互い少し身長が伸びただけだ。
「お前だってそんな変わってないだろ」
「失礼な!私だって少しは身長伸びたんだから!」
「どうだか」
「むー、信用してないなー。えいっ」
涼夏が優しく抱きしめてきた。
女性、というには少し膨らみの乏しい体。
涼夏の鼻先が俺の額に触れている。身長では完全敗北している……だと。
「おかえり……、悠くん待ってたよっ」
言い終わるなり感極まってしまったのか、幼馴染の腕が小刻みに震え、暖かい液体が俺の額を濡らした。
3
こいつにも大分心配をかけてしまったようだ。
そうだよな、何も言わずにこの街を離れた。顔を合わすなり殴りかかられても文句は言えない所業。
けれどそれは不可抗力だ。姉ちゃんが亡くなった途端に、誰かに別れを切り出す間もなく引っ越したのだから。
「ただいま」
絞り出すように声を出し、涼夏の腕を解く。
乱高下を繰り返す感情の起伏に胸が張り裂けそうで、涙を何とか堪えて、強ばった顔を見せないようにして下を向いた。
「ちょっと!胸に顔押し付けないでよ!!」
怒られてしまった。そんな気はまったくなくて、そもそもここまで平らな体を楽しもうだなんて思わない。なんて言ったら俺はここで殺されるだろう。
怒れる涼夏から離れる。
「わりぃ、今日は寝るわ」
そして謝罪もせず取ってつけたように、寝ると宣言をした。
「う、うん、急だったから疲れたよね!」
「まあ、な」
「噂はかねがね聞いてるけど……夜遊びに出ちゃだめだよ。まだ高校生だからね」
姉ちゃんから聞いたであろう俺の悪行、何処まで知ってるんだろうか。
高校を退学になったって言ったら失望してくれるかもしれない。
「でねえよ。ガキじゃねえんだから」
俺は遊びのつもりなんて一切ないのだから。
「悠くんはガキだよーっ喧嘩ばかりしてるからーっ」
吹っかけられた喧嘩に負けてそのまま死ねればと思っていた。
だけど幼少から染み付いた技術と、姉ちゃんの教えが俺を生かしてきただけ。
「売られた喧嘩しかしてねえよ。外に出るとやたら声かけられんだ」
「それってナンパじゃ」
「ちげーよ。可愛い子がこんな時間に外出てたら危ないぜ。とか言いながらマウント取ってくるから、先手必勝だ」
1人やると、仲間を連れてぞろぞろ出てきやがると来たもんだ。
となんでこいつは頬を片方膨らませて不服そうな顔をしてるんだ。
「とにかく、こっちに来たからには夜遊びは禁止!駄目だよっ」
ビシッと指を指してきた。
「言われなくてもそんなつもりはねえよ」
少なくとも今日は。隣の部屋に姉ちゃんが寝てる訳だし、暫くは監視の目が強いはず。
次、家を出たならもう会うことは。これ以上考えるのはやめておこう。
「んじゃ、寝るわ」
力無く、手をひらひらと振り、涼夏から離れて蓮さんと話をしている姉ちゃんに声をかける。
「姉ちゃん、先に休みたいから鍵貸して」
「わかった。お姉ちゃんも直ぐ行くからね。はい、鍵」
「ゆっくりで良いよ。積もる話もあるだろ?」
「私は悠太くんとも、積もる話があるんだけど。また、明日ね」
慈愛に満ちた眼差しで、また明日。という蓮さんに軽く会釈をして返しその場を立ち去る。
「はい……また明日」
家の中に入り、手探りでスイッチを探して電気をつける。
やはり四年も使われて居なかったとは思えないほど、不自然に掃除が行き届いている。
ちくしょう。親父め、急に追い出した癖に、最初から計画でもしてやがったのか?
「ただいま、葉月姉ちゃん」
葉月姉ちゃんが居る気がして自然と言葉が出た。
もちろん返答は無い。構わず2階の元自室へと向かった。
扉を開けて中に入ると、そこは家具もカーテンも何も無い殺風景な部屋だった。
カーテンすら無いからまだ外に居るであろう涼夏の部屋が丸見えだ。
昔はよくこの窓からあいつが侵入してきたものだ。
1度窓をぶち破ったことがあって、それ以来侵入は無くなったが。
何故か俺も一緒に怒られて理不尽を感じた。
カーテンや寝具など、生活する上で必要なものすら何も無い部屋だが、微かに残る懐かしい匂いが、この部屋で過ごした姉ちゃんや幼なじみ達との甘い記憶をフラッシュバックさせた。
この部屋で菜月姉ちゃんと葉月姉ちゃんや涼夏、雪兄が家に来て良く遊んでいた……。
でも、もう、葉月姉ちゃんだけが居ない。
駄目だ、もう寝よう。
思考を振り払うかの様に何も無い自分の部屋で大の字になって眼を閉じる。
(おかえり、悠太)
数分経たずして意識が微睡んでいき、途切れる間際、葉月姉ちゃんの声が聞こえた気がした。