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こうして侯爵家に引き取られることになった私は、一度拠点にしていたネピドーの町に戻り、冒険者仲間のみんなと別れ、荷物を持って王都に再びやって来たのだった。
「でも、みんなひどいよね。笑顔で送り出してくれたのはうれしいけど、やっぱり貴族だったって言うんだもの」
ちなみに荷物は宿の外で待っていた馬車に乗せている。これも侯爵家が手配してくれたもので、王都へも専用の馬車で向かった。貴族専用の門を通るのでとても緊張した。
「お嬢様、侯爵家に着きました」
「ありがとう。じゃあ、荷物を……」
「そちらは部屋まで私たちが運びますので」
「そ、そう。助かるわ」
う~む。至れり尽くせりだけど、この生活に慣れる日が来るのかな。そう思いながら生活し始めて早、半年。何とか慣れてきたのだ。
「アーシェ、この生活には慣れてきたかい?」
「リディ兄さま! 何とか……」
「それはよかった。心配していたんだよ、アーシェはこれまで平民として暮らしていたからね」
「まだ慣れないこともありますけど、邸のみんなも優しいですから」
「それはアーシェが優しいからだよ」
「そんな……」
リディ兄さまの本名はリディアスと言って、私より二つ上の兄さまだ。もう一つ上にユリウスという兄さまがいるのだけど、来年には本格的に次期侯爵として領地運営をする関係で、今は領地にいる。まだ、会ったことがないので、何か言われないかと今一番の心配の種だ。
「アーシェのドレス姿も似合ってるよ。ここに来た時は着られていたのが嘘のようだ」
「ありがとうございます。でも、すぐにサイズが変わってしまってなんだか申し訳ないです。短期間で新しいものを仕立ててもらうので……」
この半年間で少し背も延び、それに合わせてドレスも新調してもらっている。まだまだ着られるものも新しくなっていくので悪い気がする。
「それは仕方ないよ、アーシェは成長期だし。それに、貴族にとってドレスはとても大事なんだ。そうでなくてもすぐに新しいドレスを着ることになるから気にしないでいいよ。もっとも、そこを勘違いした馬鹿な令嬢もいたけどね」
貴族はドレスやスーツを着回さない。しかし、貴族として暮らしてみたら分かるのだけれど、別に一回きりということでもない。当然ながら家にいる時には何度も着るし、ドレスと一言に言っても色々ある。
豪華なものは王家主催や何かの記念パーティーの時だけ。家主催の馴染みの貴族の集まりや、お茶会などでは生地は良いけど落ち着いたもので、夜会でもそこまで派手なものにはしない。
「そんな令嬢がいたんですか?」
「ああ、ユリウス兄さんの元婚約者だよ。もっとも婚約解消したけどね。僕からすれば別に婚約破棄でもよかったのに……」
「婚約破棄ですか?」
貴族の世界の婚約破棄は大ごとだ。婚約解消はお互い了承の上、事情があって行う。する方もされる方も納得した形なので、後々まで影響はほとんど及ぼさない。しかし、婚約破棄は一方に明らかな問題があり行われるので、その後はかなり婚約が難しくなる。令息ならまだしも、令嬢なら修道院行きや生涯未婚を覚悟するレベルらしい。優しいリディ兄さまがそこまで言うなんてどんな人だったんだろう?
「ちなみにどのような方だったのですか?」
「気になる?」
「はい」
「ドレスは常に一流、宝石で常に着飾り、平民を見れば視界に入れるなとわめく、淑女の鑑だ」
「淑女の鑑ですか…?」
「本人がそう言っていたから間違いないと思うよ。あれが淑女の鑑なら動き回らない分、赤子の方がましだろうね。僕らの母上は貴族の夫人には珍しく、領地経営にも力を入れていてね。幼い頃からそれを見ていた兄さんにとっては、彼女は異質でしかなかったんだろう。初めての婚約があれで、婚約解消した後は二度と婚約者も探さなかったからね」
私は心の中でまだ見ぬユリウス様に心から同情した。理想の女性の次に見たのが、貴族として底辺の女性だなんて最低だわ。
「そういえば、まだ私はユリウス様にはお会いしたことがないのですが、どのような方なのですか?」
「ユリウス兄さんか……一言でいうと、これぞ貴族! って感じかな?」
「ええと、私は貴族で侯爵家の次期当主だぞ! みたいな感じですか?」
「違う違う。アーシェ、何で自分から『俺は貴族だ!』なんて言うんだよ。兄さんが聞いたら怒るよ」
「でも、それではどういう方なのですか?」
「そうだね……アーシェはノブレス・オブリージュを知っているかい?」
「貴族がゆえに持つ義務ですわね」
「そう。兄さんはあれが服を着ていると思えばいいよ。貴族として税を徴収する代わりに、高い教養と責任を持ち、平民に対してそれらを行使するんだ」
「う~ん。わかったようなわからないような。難しいです」
ただでさえ、平民から貴族へなりかけの私にとって貴族の義務と言われたら難題である。
「なら一つ例え話を。アーシェは貴族が自分で使うお金を集めるために税収を上げようとした時、どうすると思う?」
「税率を上げることですか?」
特に他には思いつかない。というかそれ以外に何かあるのだろうか?
「簡単に思いつくのはそうだろうね。兄さんなら平民の収入を上げると答えるだろうね。民に何もせず税収を上げるなんて貴族の責務を放棄していると言うだろう。農民相手なら生産量を上げるために水路や道の整備を、商人相手なら新たな商品の開発や輸入を行い、商売を大きくさせる。その過程や結果において税をどうこうすることはあると思うけど」
「それは貴族のためではなくて民衆のためなのでは?」
「いいや。あくまでお金を集めるために領地からの税収を上げる。その為に必要な措置であって、決して民のためではない。そういう考え方なんだ。民が飢えるなら領主の無能さが、富めるなら領主の有能さが最終的に税収となって返ってくる。そんな人さ。だから、使用人と貴族と平民の区別はしっかりしてるよ。そこだけは気を付けてね」
「はい」
リディ兄さまの話を聞いてる限りでは、とてもいい人のような気がします。何ていうかツンデレ?『お前らのために道を作ったんじゃないからな! 税収のためだぞ』なんて言う姿が浮かんでしまった。でも、私の生まれは貴族でも育ちは平民だからどうなのでしょう? 仲良くできるといいんですけれど。
「まあ、婚約者と言えばアーシェもその内、決めないとね」
「私ですか?」
「そうだよ。名門ティベリウス侯爵家の令嬢が行き遅れだなんていけないよ?」
「そう言われましても、今は貴族としての生活で手一杯です」
「今はね。でも、その内に話も来ると思うし、今から考えておくのも大事だよ」
「考えようにもリディ兄さま以外の貴族の男性というとお父様しかいませんけど?」
この半年間はマナーなど本当に基本的な事ばかりで忙しく、もちろんパーティーなど一つも出ていない。
「そういえばそうか。今度誰か連れてくるかな……」
「やめてください。まだ早いです」
「でも、アーシェももう十五才だろう? 高位貴族はその歳だとみんな婚約しているからね」
「リディお兄さまもすでに婚約されているのでしたわね」
「ああ、マイラ伯爵令嬢だね」
一度だけお会いしたけれど、マイラ伯爵令嬢はややおっとりとしていて、優しい感じのする方だった。リディ兄さまとも仲が良く、お似合いの相手だと思う。
「私もリディ兄さまたちのようになれるかしら?」
「どうだろうね。私も運が良かっただけだから。彼女にしたのも野心がなかったからだし」
「野心ですか?」
何だかすごい話になってきました。侯爵家次男に嫁入りするのに野心だなんて。
「ああ。私も今は侯爵家次男だけど、後々は子爵となり侯爵家の領地を治める代官となるか、王都で子爵になり役職に就くかどちらかだ。彼女は伯爵令嬢だから嫁入り後は侯爵家と縁続きとは言え、今の暮らしより悪くなるだろうからね」
「でも、それはどうしようもないのでは?」
「ユリウス兄さんが居るからね」
「それって……」
跡目を巡る争いになるってこと?
「実際、歴史を辿ればそういう家は幾つもある。うちは代々外交を行っているから、より身内の問題が起きないようにしているのさ」
事実として長子以外が不自然に跡を継いだり、家ごと滅んだりした例もあるそうで、どこの家もそれなりには気を付けているらしい。
「大変なんですね」
「まあその分、普段は良い暮らしも出来る訳だし仕方ないさ」
そんな、貴族の婚約について学んだティータイムだった。