男爵家三男の俺 ー料理長視点
今回は前回出てきた料理長の目線です。番外編のような扱いで、読まなくても今後の展開についていけないというわけではないので、飛ばして読んでも大丈夫です。
俺の職場は筆頭公爵家のシアーズ家の厨房だ。
俺は元々田舎男爵家の三男だったが、平民に近い生活を送っていたのと貧乏だったこともあり、家族のために料理を振る舞うことがあった。その経験もあり、料理人になろうと王都で修行し始めた。
王都の小さな食堂で料理人として働いていた時に、シアーズ家が料理人を探しているという話を食堂のオーナーが教えてくれた。そこでオーナーからは是非面接に行ってみろと、背中を教えてくれた。早速面接に行くと、俺がトンプソン男爵家の三男だと知り、身元の確認とともに採用してくれた。
その当時は一介の料理人だったが、今となっては料理長になり、料理の幅を広げ料理人や見習いを束ね、育てるまでになった。シアーズ家は労働環境も給金もよく不満はない。仕事はうまくやれば昇進や増給もある、文句の付け所もないくらいしっかりとした職場だ。
シアーズ家は皆模範的な貴族で、俺のような田舎男爵家の者とは比べ物にならないくらいだ。旦那様も奥様も貴族しての矜持を持ち合わせており、社交界では珍しい恋愛結婚のため理想の夫婦と憧れの的らしい。お二人共容姿端麗でお二人の愛娘である、ユナお嬢様が将来絶世の美女になるのではないかと社交界ではささやかれている。
このユナお嬢様は、旦那様と奥様から溢れんばかりの愛情を受けて育っている。旦那様は、屋敷以外では笑わず無表情で淡々と仕事をこなしている。ただお嬢様の前ではその面影は一切なく、むしろ別人なのでは?と疑いたくなるほどだ。そして、奥様は社交界の高嶺の花だ。ただ、旦那様同様お嬢様には甘いのだ。お二人とも、社交界の噂とは正反対の姿をユナお嬢様には見せている。
ユナお嬢様は厨房で仕事をしている俺とはあまり接点がないが、使用人や料理人達の噂では我儘で使用人達に対して横暴な態度らしい。ただ、貴族の屋敷では珍しくない。だが、シアーズ家では優しく大らかな旦那様なためあまりない。例外がユナお嬢様なのだ。
そういう類の噂で、俺はお嬢様が厨房にいたことに驚いた。そもそも、貴族が厨房に立ち入ることはほぼ無い。だがお嬢様は普通に夕食を取りに来たと言ってきた。そして、使用人達から聞いていたように我儘でもなければ、横暴でもなかった。むしろ俺が料理長だということも、明日の朝食の仕込みがあるから食堂までつ一緒にこなくて良いと。そもそもお嬢様は料理人がどんな仕事かも知らないはず、厨房に来たのも初めてのはず、それなのに役職も労働内容も知っていた。
そうやって一々驚きながら対応していたら、お嬢様が”親しき中にも礼儀あり”と言ってのけた。この言葉に近くにいた料理人や使用人達は心底驚いた表情をした。俺も驚いたが、平静を装ってユナお嬢様を見送った。
ーーーーーーーーーー
シリル料理長はこの日動揺し過ぎで仕込みが終わらなかったとか。