絶対的な隙間
壊れた引き出しをバレないように偽装するのに思ったより時間がかかってしまった。
最終的には取手のついている板を机に接着してあたかも引き出しがついているかのように見せかける、という単純極まりない手法に落ち着いた。
壊れた引き出しを直すのは無理だったよ……。
バラバラの部品は三段目の少し広めの引き出しにまとめて放り込んだ。
いや、しかし待てよ。
メイドさんたちはどこまで整理整頓してくれるんだろう。もしかして机の中とかも見たりするのかな。
見られたら一瞬でバレるんだけど。引き出し壊すってなにか理由が必要なことだよなぁ。
たら、と冷や汗が垂れる。
いや、でも引き出し壊したからって別によくない? バレても大丈夫でしょ。
頭がおかしくなったとかストレスが溜まっているのかもしれないってことになって医者にみてもらうことになるかもしれないけど?
こうなってくると、素直に引き出しを落としたら壊れたとか引っ張ったら立て付けが悪くてバラバラにぬってしまったとか報告した方が無難だったかもしれない。
でももう接着してしまったのだ。
引き出し二番目になんでもひっつく謎の接着剤が置いてあったんだから仕方ない。
一仕事終えた後の休息はいい。
ベットに仰向けになって、書き終えたメモを見る。
とりあえずやることメモは作ってみたものの、全てがざっくりとしている。
① 机から発見した謎のノートの解析
② 日本もしくな地球に関する知識
③ 魂の取り出しもしくは入れ替えについての魔法
④ リッチェルが大枚はたいて買ったものはなにか
⑤ 以上を踏まえて元に戻る方法
難問揃いだ。
しかも調べるのに骨が折れそうだし。
比較的①が簡単に取り組めるので、明日は①から進めていくことにしようかな。
学校へ行くための準備はかなり簡単なもので、部屋の中に置いたままになっていた何にも入らなそうな薄い鞄に必要なものを詰め込むだけだ。
まだどの授業を取るか決まっていないため持ち物は極端に少ない。一週間以内に自分で取りたい授業を決めてしまう必要があるというのは知っているが、さすがにアイヴァンくんになんの相談もなく決めてしまうことは出来ない。
一緒に受けてもらうことになるかもしれないんだし。
とりあえずは目星をつけるに留めてある。
授業要項は魔法で圧縮されている、という謎の板で全てを見ることが出来る。会場としてはタブレット端末に似てはいるが、その薄さは下敷きだ。しかも電気の充電はいらない。
つくづくこの「魔法」ってやつはなんでも出来るなと、思う。
万能ではない、などという前書きがあるけれど、万能ではないけど万能に限りなく近い。
茜の感覚はそろそろ麻痺しかけている。
図書館で調べるための準備だけが必要だな、と謎日記ノートと筆記用具を入れた。
朝になれば制服に着替える。
見えやすい場所に掛けられていた服を頭から被ると、服がぐにゃぐにゃと伸縮してリッチェルの身体にあったサイズに変わる。
どんな体型にも合う制服だ。
襟付きのフレアワンピースの胸元にはリッチェルの名前が綴られている。……名前がついているのは体操服と同じ感じと捉えていいんだろうか。
黒い襟に淡いベージュのワンピースは明らかにお嬢様学校といった風情を醸し出している。
脇の下から黒い縦線が伸びていて、それがあるだけでスポーティさも加味されている。黒いストッキングを履けば準備万端。
胸元にはリボンがある。蝶々結びではないもうすこし複雑な結びになっているのだけれど、このリボンも勝手に綺麗に結ばれるのでかなり安心。
制服だけ見れば日本にもありそうだ。
服を着替え終わると、ドレッサーの椅子に移動する。
髪をいじるのは得意ではないため、メイドさんが髪を整えてくれるのはかなり助かる。
サイドの癖のついた髪に合わせて髪全体を緩いウェーブにして、そのあとで高い位置で一つに纏めてくれた。前髪も抜かりなくセットしてくれる。
美容師さんみたいな完璧なスタイリングだ。
「ありがとう。とってもかわいい」
「いえ、お気に召していただきありがとうございます」
ちなみに私は話をするときは猫をかぶっているので、できうる限りでお嬢様言葉を話している……つもり。
一礼終えたメイドさんは居住まいをただして「アイヴァン様が玄関までお迎えに来てくださっています」と言う。
「えっ、あっ、そうなの? 早い、ですね」
軽くお化粧までしてもらって、時間が経ってしまったのだろうか。かなり余裕を持って準備していたつもりなのにおかしいな。
綺麗に磨かれた黒い鞄を引っ掴み、靴を履く。
そう言えば屋敷から学校までなにで行くのか聞いていなかった。馬車とかかな。それとも電車かな。
学校の中に電車が走っているというのは聞いたから、この世界にも電車はあるというのは確定している。
玄関のすぐ近くにある部屋で待ってくれているというのでいつもより歩調を早めて歩く。
目的の部屋のドアは大きく開け放たれている。
「アイヴァン、さま。お待たせいたしました!」
約束の時間までまだ猶予はあるが、待たせるのは忍びない。
「こちらこそ、早めに着いてしまい急かすような形になってしまって申し訳ありません」
ソファから立ち上がったその姿を見て茜は口元を抑えた。
「声、どうしたんですか?」
お見舞いに来てくれた時にはかわいらしい声だったはずが、今謝ってくれた声はかなり様変わりしている。
「いや…….声が変わる時期、だったみたいで……自分でもまだ慣れないんですけど……」
「へぇーー」
アイヴァンくんは少し困ったような顔をしている。
「あの、変でしょうか」
「え?」
「僕の声……」
なるほど、困っているというよりは不安なのか。
いきなり慣れ親しんだはずの声が野太くなったら変じゃないかと心配にもなるだろう。
「いえっ、変じゃないですよ。かっこいい声になりましたね」
顔が変わらずかわいらしいままなので、多少違和感はある。けれど顔もまた声と同じように男らしくこれから変化していくだろうし。
「そう、ですか。よかった」
安心したように息をついたのがなんだかかわいらしい。知らず知らずのうちににんやりと笑みを浮かべてしまっていた。
なんというか、アイヴァンくんも制服で来るとはわかっていたけれど、なんというか目のやり場に困る。
デザインはほぼ茜の着ているものと同一なのだが、彼がきているのはワンピースではない。
黒いハーフパンツなのだ。
膝小僧がみえるかみえないかのギリギリの丈で、気がつくと茜はハーフパンツの裾に目がいってしまう。
少年期のまだごつごつとした印象の薄い足にハイソックスを履いているのがまた絶対領域を作る要因になっている。
「久しぶりの学校でご不安かと思っていましたが、心配なさそうですね」
アイヴァンくんはそつのない笑みを浮かべている。
「いっしょに着いてきてもらうことになってしまってすいません。私は一人で大丈夫だと言ったんですが、両親が心配しておりまして……。改めましてありがとうございます」
ほんとにマジで申し訳ないと思っているので、茜は深々と頭を下げた。
「え、と、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。どうせもう卒業できるだけの講義は終わらせているので、心置きなくリッチェル様にお付き合い出来ます」
何ということでしょう。
もう卒業出来る程度の講義は終わらせている? なるほど、この子は天才少年だったのか!
かわいい顔して!
なんていうかそれなら、私の調べ物この子が手伝ってくれたらはかどるんじゃないだろうか。なんなら入れ替わったことを素直に言ってみるとか。
うーん、でもそれは……やっぱりまだ言えない。
頭を上げた茜のすぐそばにアイヴァンくんは立っている。
なんだか、違和感。
制服がまだ見慣れないからかな、と思ったけれども違う。
「ずいぶん、身長が、伸びました?」
なんなら十センチぐらいの違いを感じる。前はもっと視線が下にあった。
「あ、はい……はずかしながら、まだリッチェル様より身長は低いんですが……」
いや、そりゃ、3歳も歳離れてたらそうなるのが普通ですから。
はぁ、そうか、育ち盛りって怖いね。
こんなにハーフパンツが似合うのもあと少しなんだな。
しみじみと少年の絶対領域を見つめてしまうな。
恋愛要素があまりすすまないので困った。
次はようやく学校。
ブクマありがとうございます。