現場検証
屋敷の庭にたくさんの見知らぬ花が咲いている。
チューリップによく似た花が蔦状に伸びてアーチを作っている。
そこを潜り抜けると、どろりとした透明なスライムが入った池があり、その池の上をスライムが意思をもったようにリズミカルに滑っていた。
空は明るく晴れ渡っているが、そこに太陽の姿はない。月も星もこの世界の空には存在しない。
とすればこの世界は太陽系ですらないということがわかる。
だとすれば本当にお手上げなのではないかと気が沈む。
結構頑張っていたソシャゲも、合気道もこちらで続きをすることはできない。
はぁ、とため息をついて庭を横切った。
刈り込んである生垣の隙間を通り抜けると、大きな木へと続く道がある。
不自然に屋敷の敷地内にある木だが、いわゆるご神木というものだそうだ。十年に一度花を咲かせるこの木然はかなり珍しい品種だという話だが、私の目には普通の桜の木にしかみえない。
今日が見ごろの薄桃色の花弁はひらひらと舞い落ちてきて、緑の芝生の上にたおやかに落ちていく。
ちょうど今年がこの木の開花の年なのだ。
せっかくのきれいな花だというのにこちらには花見をする習慣がないため、見に来るのはこの屋敷に人間だけだ。
かなりもったいない。
かすかに吹いている風に長く伸びた髪が流される。
他になにか変わったものがないかと目を凝らして見回す。
なんども来ている場所ではあるが、探さずにはいられない。
リッチェルが倒れているのを発見された場所というのがこの場所なのだ。
現場百辺とはいったものだ。
この場所、というのがなにかキーポイントでもあるのではないかと何度も通っているのだが、何の進展もない。
同じように芝生に倒れこんでみる。
ざわざわと周りの草花も風に揺られて音を鳴らしている。
はぁ、と何度目かのため息をつく。
「服が汚れちゃった……」
今日は紺色のワンピースを着ていたのでそう目立ったことにはなっていない。
しかしこの後リッチェルの両親に会うことになっているため、着替えが必要だ。
早めに準備しておく方がいいだろうと、立ち上がった。
マダムに会うたびにリッチェルの容姿はマダム似だと思う。
顔の横に垂らした黒い髪は緩くウエーブをかけたような癖があり、そのほかはまっすぐという珍しい髪質だ。
目は角度によって色が変わる不思議な目をしている。偏光眼という珍しいものらしい。
その眼を持つものはなんらかの才能を持っているというのが、この世界のセオリーなのだと言う。
ということはリッチェルもなんらかの才能持ちであった可能性が高い。才能というのがどのようなものを指すのかはわからないが、その才能と私がこんな間に合っていることに因果関係はあるだろうか。
マダムの名前はミーシェと言う。
その豊満な体型はまさにひょうたん。
細身のリッチェルは父親似だろう。
無駄な肉がついていない。思春期の頃多少憧れたモデル体型というやつに大変近い。
胸に視線が集まることもないし、太って見えることもない。胸が大きすぎていろいろと工夫して小さく見えるようにしていた茜からすればかなりうらやましい。
こちらの服のセンスがまったくわからない。
今日も何も言わずにメイドさんが選んで持ってきてくれた服になんの疑いもなく腕を通した。
目の前で思案顔でこちらを見ているこの家の旦那さまのアスフォート・ジョアン氏を見返しているのは私だ。
窓から光が差し込んでその困ったように見える表情に陰影をつけている。
ダンディに伸ばしてある口髭は、私からすれば全く似合っていないと思うが、それはこの世界のことをよく知らないからなのかもしれない。
「学校か」
「はい……もっと知りたいことが、たくさん、あるので」
区切りながら言った言葉には嘘偽りは一つもない。
私はもっとこの世界について知りたい。
主に魔法についてとか魂の概念とか。どこが別の世界の魂とこちらの魂を入れ替えたり、取り出したりすることが可能なのかどうかをはやく調べたい。
それらの知識は魔法の学校に行って学ぶのが得策だ。聞いたところ教師の質はかなり良いとのことだし、あまりこの世界で浸透していない書物もかなりの量を図書館に所蔵しているのだという。
メイドや両親に根掘り葉掘りこの世界の常識や魂の不思議を聞くのはさすがにまずいように思える。
記憶喪失だからと気にもされない可能性もあるけれど、私は案外慎重派なのだ。
身体が沈みこんでしまいそうな柔らかなソファに座り姿勢を正した私は、どうします、とでも言いたげな二人をじっと見つめる。
入れてもらった紅茶にたっぷりとミルクを注ぐ。
「あまり言葉、うまくないので……心配ですよね。ありとうございます。でも記憶思い出すためにも、依然と同じ生活、したい、です」
滑らかに話すことが出来ないのが悔しいが、ある程度の内容は伝わっているのでよしとしよう。
三人の間に沈黙が落ちる。
駄目だと言われればそれまでだ。
この屋敷の中だけで自分のいた日本に帰るためにあがくことになるだろう。
ぶっちゃけ学校で誰と話せなくてもいいから書物だけでも読みたい。
話をするのはまだへたくそだが、読み書きはかなり出来る。辞書があればその作業効率は格段に上がるに違いない。
勉強は嫌いではなかったが、ここまで辞書が欲しいと思ったのは初めてだった。
「わかった。記憶を取り戻したいと思うのは普通のことだ。自分が何者かわからないというのは不安だろう」
重々しく頷いた旦那さま言葉を聞いて、マダムも頷いてくれる。
「一人ではまだ不安だろう。だれか一緒に―――」
「一人で、大丈夫です」
「いや、あの学校はかなり広い。学園内に電車が通っているぐらいだ。誰かと一緒に行った方がいい」
学園内に電車って広すぎるだろ。どういうことなの。
規模の大きさに驚いてしまい、旦那様の言葉を了承したようになってしまった。
「誰か適任の人物はいたかな」
「……ジョアン、ほら、あの子はどう? リリアーナ嬢。 元気で素直な子だし、きっとよくしてくれると思うんだけれど」
「ああ……リリアーナ嬢か……。あの方は今お忙しくされているみたいだから、今回は難しいだろうな」
知らない名前が出されては否定されていく。
知り合いがたくさんいるようだがその名前どれもが女の子の名前だ。
やはり一緒に行動するならば女の子の方が無難なのだろう。なにせ一応婚約者もいるわけだし。男と一緒に仲良くしているのは外聞が悪いのかもしれない。
「はぁ、なかなかよさそうな方がいらっしゃらないわ」
マダムが少し疲れたようにため息をつく。
「いっそアイヴァンに頼んでしまおうかしら」
マダムの言った言葉に、旦那さまははっとした顔をした。さも名案みたいな表情。
えぇ、だってあの子私の三歳年下だよ?
学校って学年が分かれていたりしないんですか。どうなのかな、それすらもわからない。
実力主義とか言われたら私アイヴァンくんよりも学年下だと思うし。
「そうか、その手があったな」
「いや、年下だし……」
「あの学校は年齢は関係ない」
「そ、そうなんですか」
じゃあやっぱり実力主義なのか。まったくこの世界のことを知らない私は冷や汗をかいている。テストとか言われたらたぶん全然できない。
「学校に在籍しているものは好きな講義を好きな時間に受けることが出来る。決まった数講義の最後にある試験に合格すればいい」
「なるほどです」
ざっくり考えて大学みたいな感覚という事かな。自分で好きな講義を取ってその講義の単位を取る、みたいな?
「でもアイヴァン……くんも聞きたい講義、あるでしょうし……」
「そこは二人で話し合って決めればいいだろう。まぁ彼は優秀だから……。リッチェル、お前も譲歩というものを覚えなくてはならないよ」
「は、はい」
譲歩とは何ぞや。
自分で聞きたい講義を取って、それを聞いて役立てる。そのために学校に行きたいのに譲歩とは何ぞや。
……とりあえず学校に行くのを許してもらえただけで、かなり感謝だ。
「そうだな、では五日後から学校へ行かせることにしよう」
五日後かぁ、それは準備期間としては長いのか短いのか。
一緒について来てくれることになったアイヴァンくんには悪いけど、私は私の知識を高めるために妥協はしない。出来ない。
茜はまだ見ぬ学校へと思いを馳せた。
読みやすいように適度に改行等入れてみましたがどうでしょう。