2-5
「三年間私はこの体で過ごしてきた」
じ、と茜は考えこむ。
「そっちでは……まだ数日しか経ってないって? どういう……? でも夢見は……? ……わからないことだらけだなぁ。調べることが増えちゃった……」
遥の存在を忘れたように軽く俯き、小さな声でぶつくさ言いながら、茜はふと思いついたように遥に聞く。
「じゃぁもしかして、遥からしたら私と夢で会ったほのって……昨日?」
「え、ぁあ……昨日急に夢に出てきたところじゃねーかよ」
「そうか、なるほど? だからか。夢で繋がったはずなのに、なんで半年も音沙汰ないんだろうって心配してたんだ」
茜は遥にもう一度言う。
「なるべく早くお願い。そっちの一日はこっちでの……半年らしいからさ……」
茜は元気そうにしているように見えていたけれど、やっぱり早く戻りたいんだ。それは当たり前だろう、茜からすれば気づいたら別人の身体でまったく知らない土地と人と環境全てがストレスに感じたはずだ。
悪い扱いはされてなさそうなのが幸いではあるが、寂しいに決まっている。
茜は懐かしい懐かしいと机の上に置かれたパンを見ている。そのプラスチックの袋すら懐かしいと、くまのキャラクターを見ている。これは今日彼方が買ってきて机の上に置いたままになっていたのを俺が覚えていたから出てきたんだろう。
目が覚めてすぐ、目が開くか開かないかの状態のまま遥は夢で起きたことを全てノートに書きだした。
そうしないとすぐに忘れてしまうからだ。
昨日は綺麗さっぱり忘れてしまっていたが今日はちゃんと覚えている。
一日経ったら……半年本物の茜を待たせてしまっているということになる。
学校に着いてすぐ俺は、自分の机に突っ伏した。
休めばいいとは思ったが、休んでしまってはニセモノの茜の動向がわかりにくくなってしまう。
ニセモノの茜は振る舞いを覚えたらしく、数日前よりは気楽な様子で茜のフリが板について来ている。
違和感を訴えていた友達も、茜がイメチェンしようとして失敗しただけだったのか、というような雰囲気になっている。
そいつニセモノだぜ、なんていっても誰も信じないに決まっている。
身体を乗っ取っただけでなく、茜の人生も自分のものにしようとしているんだなと思うとぞっとする。
遥は、今日の夕方には茜の部屋のガサ入れを決行しようと考える。ニセモノを遠ざけるのは……彼方にどうにかしてもらおう。駅前で歌う気なんだろうし。
それに茜を連れていかせればいい。
「いつも喜んで行ってた」
とでも言えばニセモノの茜に真偽はわからないだろうし、《いつもの》茜を演じるために彼方と一緒についていくだろう。
俺は顔を上げて思いつくままに、彼方にメッセージをおくる。
《駅前で歌うなら、茜も連れていってやれば? 行きたがってた。夜まで連れ回すなよ!》
かなり適当なメッセージではあるが、十中八九このメッセージを見た彼方なら茜を引きずってでも一緒に連れていくだろう。
彼方は聞かせたがり屋だからな。
一仕事終えた気分で、彼方からの返信を待たずに画面を閉じた。
夢で茜に会うと疲れが取れにくい。
いつも通りの睡眠時間を確保していたはずの俺の体は、まだ足りないと休養を欲している。
瞼を閉じると、担任が来る前のざわついた教室の喧騒は徐々に聞こえなくなっていった。
「あれ~? 遥思ったより早いね、今もしかして学校で寝てる? それとも電車の中?」
茜はあからさまに嬉しそうにしている。
遥が夢の中で意識がはっきりするまでの間に茜はもうくつろいでいる。
いつもながら、ふわふわしたドレスみたいなものを着ている。茜が今いるところにはドレス以外の選択肢がないのかもしれない。
顔も西洋っぽいし、習慣や文化なども西洋寄りなのかなと推測する。
一日が半年なら、ホームルームが始まる前のこの時間なら、どのぐらい経過しているんだろう。
だいたい2.3週間ぐらいか?
俺にとっては、つい先ほど会ったばかりなので久しぶりという感覚ではない。
少しずつではあるが、脳は目の前の女を茜だと認識してきている。姿形というよりも、話し方や動きが茜のものなのだ。
「てかその制服着てるの初めて見た! ネクタイ似合うじゃん」
遥の制服姿に茜がいいじゃん、金髪とも合ってるし!とニコニコしながら褒めてくれる。
「ま、遥あんまりにこにこしないし、ちょっと怖そうに見えるけどね~」
俺も褒められると満更でもない。
染めてみたはいいものの、少しでも髪が生えてくると黒い髪が目立って仕方ない。まだ一週間も経っていないが、既に遥は早まったかもしれないと思っていたから、尚更だ。茜が良いと言うならもうしばらく金髪生活は続けても良い。
「ちょっと大きめ買った? なんか肩とかサイズ合ってない感あってめっちゃ新入生っぽい」
「……まだ伸びる予定だからな」
今日の俺は毎時間ごとに寝る。
いつもは授業中に居眠りなんてしたことがないが、今回は許して欲しい。
3時間目のまえの休み時間になると、友人に「お前体調悪いんだったら保健室行ってこいよ」と言われた。
「なんか今日顔色ヤバいぞ。土色ってやつだ」
なるほど、その手があったか。
日頃保健室の世話になっていないためまったく頭になかったが、保健室ならベッドで寝れるのか……
「保健室か……」
「ついていってやろうか?」
「いや、いい。先生に保健室いったって言っといてくれ」
俺はすぐさま立ち上がる。