【九十四話】硝子の靴を拾う人。
「ミシェールお姉様、曲が終わりますよ? もう一曲踊りましょうか?」
キースにそう言われて、私はブンブンと首を横に振った。
そんな余裕ありません。
ムリムリムリ。
無理ですってば。
私はキースとダンスホールをそっと抜けて、元のテラスに戻る。
ここが、ここが落ち着きます。
息を荒くしている私を見かねて、キースは飲み物を取りに行ってくれた。
返って来たキースの手にはグラスが二つ。
一応未成年なので、お酒ではなく、果実水。
私が受け取ろうとすると、彼はグラスの果実水を一口飲んでから私に渡す。
今、飲みましたね。
何故、飲んだ方を渡すかな?
「ミシェールお姉様が死なないようにーー」
「………」
「毒味です」
私はグラス越しに弟のキースを見る。
「この先も、キースって呼んでいいの?」
「もちろん。ずっとその名で呼んで下さい」
紫紺の瞳が優しく笑う。
この子、本当に優しいわよね。
七年間の記憶と言ったら、優しく笑うキースばかり思い出すもの。
私はグラスを受け取りながら、彼にお礼を言う。
飲み物を取って来てくれたお礼と。
毒味をしてくれたお礼。
でもーー
ふと考えると、王子様に毒味をしてもらうなんて本末転倒なんじゃないかと気が付く。
私は公爵令嬢で、彼は王国の第三王子様だ。
どちらかと言うと、毒味は私の役目なのじゃないかと思う。
思ったら立場があべこべで笑ってしまったのだ。
果実水は葡萄水。
爽やかで、酸っぱくて、今の気分にピッタリ。
「私、キースの素性を聞いて、吃驚してしまったわ。本当に考えてもみなかったから」
「そうでしょうね? ミシェールお姉様だけが、ずっと一貫して素でしたね」
その言葉に、更に重ねて笑ってしまった。
ホントよね。
私だけ素だったのね。
オリヴィアお姉様は、決して身分に遜ったりはしないけど、王子様と気付いていたのだから、それなりの対応をしていたでしょうし、シンデレラは誰に対しても対応が硬い。
私は、キース、キースと呼び捨てにして、それはもう三歳年下の弟を可愛がったものだ。
しかも若干命令口調だったり。
冷汗ものだ。
マジヤバイ。
「ところで、キース」
「何ですか、ミシェールお姉様」
「私達三姉妹の誰かと結婚するのでしょ?」
「そうなりますね」
「シンデレラが一番歳が近いけど、どうなの?」
「……それはないと、先程言いました」
いや。
言ってないでしょ?
言ったのは、シンデレラとダンスは踊らないという事だ。
ちょっと違うじゃないか。
つまり、彼女だけ意識して踊れないのか、それとも彼女だけ避けているのか。
つーか、王子様がシンデレラを避けてどうする?
話が始まらないじゃないか。
硝子の靴を拾うのはあんたでしょうよ?
キースは自分の分の果実水を口に含んで一口飲む。
飲みながら、王宮の庭を見ていた。
もう暗くなった、庭が彼の瞳に映っている。
「シンデレラお姉様だけは、絶対にありえません」
先程言った言葉と同じ意味の言葉を、再度強い口調で言い切った。
「ミシェールお姉様、あなたが落馬をした時、帰って来ないあなたを迎えに行ったのは僕ですよ」
「………」
「………その時、あなたはもう虫の息で、死ぬのは時間の問題だった」
うん。
なんか酷い事故だったって聞いてるわ。
第一王子様からね。
トラウマです。
「その時、僕の前には二本の道しかなかった。あなたを静かに看取る事と、ルーファスお兄様に泣き付く事ーー」
「…………」
「けれどーー分かりますか? ルーファスお兄様に泣き付くという事は、もうあなたはお兄様のものになってしまう」
「…………」
「僕は、後者を選びました」
キースはこちらを見ようともせず、暗い瞳で庭を見ている。
「あなたの血で、僕の手も真っ赤に染まってーー」
キースは手を開いたり閉じたりしている。
その時の事を、思い出しているように。
「僕には、後者しか、選ぶことが出来なかったのです」
そう言って、苦々しく笑ったのだ。