【百九話】曼珠沙華と曼陀羅華
私は華岡青洲という人の事を思い出していた。
江戸時代の紀伊国の医師だ。
歴史上の人物ね。
多分。
とても有名な人なんじゃないかと思う。
何と言っても、世界で初めて全身麻酔を成功させた人だ。
ヨーロッパで全身麻酔が執行される四十年も前の話。
気管支確保とか酸素マスクとか無しで執行された訳よね?
行けるって事?
だが、しかしーー
現代医学とは形式が違う。
そもそも、彼の麻酔薬は飲み薬であったようだし。
なんと飲んでから麻酔が効くまで四時間も掛かり、その上浅かった。
即効性が全然違う。
可及的速やかに処置をしなければいけない場合、マジで間に合わない。
四時間も待ってたら死ぬし。
華岡青洲の父もやはり医者だった。
その処置を見ていて、青洲は思ったのだ。
激痛。
この激痛が故に、治療を困難にしているし、また苦痛にしている。
患者さんの痛みを取り除いて上げたい。
ずっとずっとそう思っていたのだ。
だって、それまでは日本でもヨーロッパでも外科手術は麻酔なしで行っていたのだ。
気を失うわって話だよね。
舌を噛まないようにしたり、押さえたり。
考えるだけで、怖いわ。
そこで麻酔な訳。
一から麻酔の開発を行い、二十年で仕上げた。
嘘か本当か分からないけれど、母と妻で人体実験をしたとか、しないとか。
お母さんは亡くなり。
妻は失明する。
他人の命を救いたくて。
家族の命を失うって。
切ない思考回路ね?
でも……。
ある意味、日本人らしいというべきか……。
アンビバレンス。
相反する感情の同時存在。
苦しい事に変わりない……。
毒と麻酔は表裏一体だ。
というかーー
毒が麻酔であり。
麻酔が毒である。
華岡青洲が使っていた毒は、トリカブトとチョウセンアサガオだ。
別名、曼陀羅華。
華岡青洲が初めて全身麻酔をして手術した病気は悪性新生物。
昔からあるのね? いわゆる癌。
私がいた頃の前世でも、死因の一位だった。
不動ね。
でも術後四ヶ月で亡くなっているのよ?
ティアナ・オールディスの麻酔絶対絶対信用しない。
私は、ある意味彼女が次に言うであろう言葉が百パーセント予測が出来た。
それが故に、突っ込み待ちだ。
ティアナは腰に手を当ててエラそうに踏ん反り返る。
「私ね、その威名に恥じない知識の持ち主なのよ?」
威名って、彼岸花の事ですか?
別名、曼珠沙華ね。
なんだろう?
この別名って。
中国っぽいような。
インドっぽいような。
いや、仏教ぽいのかしら?
釈迦っぽい?
まあいいわ。
とにもかくにも、釈迦の周りが似合う花よ。
法華的なさ。
「ミシェール様が私の頭から掛けた遅効性の毒ね……毒じゃないって臭いで看破したのよ? 凄いでしょ?」
ふーん。
ほーお。
無味無臭の毒の御説明はどこに?
ここですか?
確かに毒じゃないですけどね。
というか毒なんて盛るわけないじゃない。
私、そういう部分壊れてないのよ?
あの、潔い飲みっぷりは、潔いのでもなんでもなかったと。
知ってた、というか驕慢から来る思い込み?
私の脅しもまだまだね。
「私は兄姉が沢山いるじゃない? いつ誰が死んでも良いように、庭や温室にこれでもかって有毒植物を植えてるのよ?」
「…………」
それって大丈夫なの?
間違って口にしない?
というかそれが狙いなのでしょうが……。
人殺し?
積極的なやつじゃなくって。
消極的人殺し?
私はかなり常識から逸脱した令嬢を見ていた。
苦労し過ぎて、こんなになっちゃった?
「それでね、古来より毒は痛み止めにもなるという言い伝えがあるのよ?」
言い伝えレベルかい!?
私は盛大に突っ込んだ。
ちょっと待ち疲れましたよ?