原っぱならどこでもいいや
先に立ち直ったのは、なんと言い出しっぺのこの私だった。私は非常に便利もとい単純な人間で、大抵の欝々とした感情は寝れば治る。そんなら親になんらか言われたのだって無視すりゃよいではないかという意見もあるだろうがそこはそれ。結果論である。もしかしたら例外的にくよくよし続けていたかもしれないのだ。とはいえこの時の私は、「ウイグルが駄目だとしても、とにかく俺の草原へのフラストレーションは治まらないんだよ!」と、なんだか異常に惹きつけられる草原への気持ちでいっぱいいっぱいだった。もうこの際草原ならどこでもいい、いつか必ず行ってやるからなバインブルク!
憧れているのは海外ではなかったが、とにかく日本にない植生や地理・環境に浪漫を感じているのは確かだ。草原というだけなら、植生の話で言えば秋吉台や、なんなら近所の空き地に行けばいい。けれど私はこの時既に、世界の広さを知ってしまっていた。一面の草地、延々と続く緑の世界。そんなものは半信半疑だったから、確かめなきゃいけないと思った。
それに僕にとってバインブルクにしろその他の草原にしろ、そこに行くこと自体が目的なのではない。僕の真の目的は、草原を自らの足で歩いて回ることだった。この欲望がどこに起因するのかはいまいちわからない。中学三年生の頃、愉快で理解ある担任の教師と進路についてあれこれと話したときから夢は「旅人」であったが、それは、かといって直接的な関係にあるようには思えない。むしろあの頃は車や列車かなんかで世界を回っていろんな人に会いたいなあとか思ったものだが。どうしたことか、今は、ただ草原の中をひたすら野宿しながら歩いていたいのだ。それの何が楽しいのという質問は今まで腐るほどされていて、しかし応えは変わらない。「え!?楽しくないの!?」
こういった動機があって、迅速に動き始めた私はものの三日も経たない間に、代替の目的地を定めた。