出鼻は挫かれる前提で存在している言葉である
中国語も、ましてやウイグル語も習得していない私たちに求められたのは日本語が堪能な中国人ガイドか、あるいは私たちの拙いジャパニーズイングリッシュが通じる、それなりに英語ができる中国人ガイドだった。はなから日本人ガイドは望んではいない、というより無理な話であるというのは重々承知で、そのあたりは割り切るつもりだった。そもそもこんなことになっているのは私と、同行する小森(仮名)という友人が「ツアーなんて嫌なんだぜー!」と駄々をこねたからである。とにかくツアーといえば、時間を割り当てられ、特に興味のない観光名所を引きずりまわされるものだという認識があったからだ。
ツアー会社を通じてガイドさんを紹介してもらい、個人旅行の形式でバインブルクを目指すために必要な過程、その情報。それについては私の本当にどうしようもない中国語とインターネットの翻訳サービスでもって、中国人の使用する、旅行場所の情報を寄せ集める掲示板サイトを漁ることでなんとか入手することができた。それは大まかに次の二つである。
➀付近の空港(関西国際空港からだとウルムチ直通)→北京国際空港→ウルムチ空港→高速道路の後、天山山脈のオフロードという流れを車で十二時間→到着
②付近の空港(関西国際空港からだとウルムチ直通)→北京国際空港→ウルムチ空港→バインブルク鎮付近の空港へセスナ機→空港から車で三時間→到着
振り返ってもみれば無謀な話で、特に軍資金三十万というのは必死に働いた過去の自分に言うのはなんだがあまりに貧相だった。それでもあきらめず、なんとか色々な経費を削って予算内に収めようとしたのは、金なんかに僕たちの渇望を止められてたまるかという強い意志があったからだと思う。しかしその意志は、国という単位に打ち破られた。
出発を二か月後かそこらに控え始めたとき、バインブルクまでの予算計上と工程を紹介してもらえるあるオーダーメイドツアーの会社の方から一通のメールがあった。簡潔にまとめると、そこには、「今年はバインブルク内で外国籍の人間は宿泊ができず、また許可証を取得して立ち入る必要があるバインブルク草原は外国人にその認可がおりていない」知との旨のことが書かれていた。
すぐさまそのことを他社にも確認しようと、なんだか下調べをしないで既に見積もりを作成して送ってきていた数社に問い質した。すると案の定、現地に確認すると、前記のような状態になっていた。
初めに混乱。状況が呑み込めなかった。再度情報を下さった旅行会社にその原因を教えてくれと迫ると、「詳しいことはわからないが中国も奥地になると、人民解放軍の関係でしばしばこういったことになる」との返答があった。小森に連絡をし、その後に深い落胆に包まれる。お互いこのためにストレスフルで薄給なアルバイトに日々励んだのだ。時々会ってはさきのことを夢見、語り、愚痴でみっともなく傷のなめ合いをしながら、それでも現代社会に憑いて回る貨幣を求めてすり減り続けてきた。強い人間ではないために負の感情は湧いて出てくる。それを人に当てまいと大袈裟にため息をついたり自室で転がったりして解消を図った。むなしく、母と父のちょっとしたやりとり(落ち込んでいる態度が過度に感じたという旨だったか)に堰が切れ、抗議のメールを送って、布団に潜り込んだ。翌朝は午前三時半に起きてアルバイトに行く必要があったのだ。しばらく眠れず、翌朝は寝不足と気の落ち込みから、レジの打ち込みが思うようにいかなかった。