天使のはしごはすぐそこに(二〇一七年八月二十日)
風が強かった。
目まぐるしく雲はその姿を変容させ、同じ場所に一秒以上留まるものは一つたりとて存在しない。依然その層は呆れるほどに分厚く垂れ込んでいたが、掻き乱された一瞬の隙をついて、太陽がこちらに手を伸ばす瞬間がある。濃い緑の草原はその一所一瞬だけを陽色に浸されて、柔らかな反射を私たちの瞳に届けてくれる。それを遠くから望んだとき、一筋の光の柱を見いだすことができるのだ。それが世にいう天使のはしご。
小森と私と二匹はその真下にいた。生憎とはしごは下りてこなかったが、朝六時半の陽光は顔を洗う水がないのでウェットティッシュで無理やり済ませた、まだ腫れぼったい眼の私たちの本能を揺さぶって目覚めさせた。未だ青空の草原は拝めていないが、むしろこう云った景色を楽しめるのも珍しかろう。秋口のモンゴルは例年乾燥した晴れの日が続くはずなのだ。日本や中国と同じように、この年のこの時期の空模様は、非常事態だった。
さて、二匹と言ったが、この日の(今後旅の中で私たちは毎日六時半ごろには起床し、二、三時間以上の散歩をしている)朝の散歩には連れがいた。それは二匹の犬だった。片方は、前日の乗馬で怒られていた黒犬。朝露と雨でびしゃびしゃになっていたが、尻尾を振り振り私たちに付いてくる。控えめに後ろにいて、ときどき並走してくるので頭を撫でてやると、目を細めていた。非常に大人しい性格だ。もう一匹は茶色の短毛で、凛々しい顔立ちをした引き締まった体躯の犬だった。こちらは黒犬と対称的に非常に活発な固体で、私たちを先導し、小森が走り始めるとそれを追いかけて追いかけて、人間の方の体力が尽きるまで楽しそうに駆け回っていた。こちらは頭を撫でると、凶器になりえるスピードで尻尾を振った。
二匹と小森とともに草原を、特にランドマークも設定せずに歩き回る。だいたいは東に向かって進んでおり、太陽が顔を出す機会は徐々に多くはなっていった。吹きすさぶ風の中、しかし犬も私たちも元気いっぱいだったので、果てには私たちがやってきた舗装路にまでたどり着いた。草原の中にぽつーんと続くアスファルトの不自然は、隔てた向こう側、ある程度の面積は中空から見ると丁度長辺が道に平行に接する長方形になるようにして掘り起こされた、茶色の土壌が広がる。野球の簡易的なグラウンドが三つや五つは据え置けそうな広さだ。だからなんだという話だが、僕が今ここで言いたいのはそういう農地予定地がありますよということではなく、そんなだだっ広いエリアのもっと奥、ぎりぎり人間の影をそれと特定できるか否かに分かれる彼方に、茶犬が走っていってしまったことである。もっと言うと、さっき黒犬もそれに釣られてどこかへ行った。茶犬が先走る傾向にあったのは重々承知であり、もうしばらく前に諦めてはいたがまさか両方ともいなくなるとは。この時点で出発してから既に一時間半。振り返るが、私たちのゲルは視界に入らない。時間も時間でそのうえ雨が降り出したので、戻る必要があった。心配だが致し方ない。犬よさらば、達者でな。
後ろ髪を引かれる思いでゲルに戻ってきたのが九時ごろ。犬たちが先回りしてやいないかと期待したが、そんなことはなかった。ドワーフに丁度よさそうな木製のドアを開けて中に入ると、テーブルにプラスチックのバケットに入ったてんこ盛りのパンのようなものがある。隣にはバターに見える練り物のような何かが、昨日の昼にミルクティーを飲んだお椀によそわれてスプーンが添えられていた。二人してぐしょぐしょになった靴と靴下を脱いで、二人が持ってきていたベルトを結び、ゲルの柱(サスマタのように先が枝分かれして、二本で一セット。分かれた先がそれぞれ二点ずつ計四点で輪型の天窓木材に接合し、地面に垂直に据えられることでゲル全体を支える)に渡して、そこに靴下をひっかけた。靴はストーブの近くに置いておく。いろいろと落ち着いたころにガルさんがミルクティーを持ってやってきた。朝の挨拶を済ませてから、ガルさんは謎のバターチックなものについて説明をしてくれた。なんでもこれで一応「生クリーム」らしい。料理上の生クリームの定義を知らないので、特に疑いもせずにそういうものなのだろうと思って指に乗せてから舐めてみると、なんとなく乳脂性の甘さがあるが塩っ気のない風味が口に広がった。健康に気を遣ってバターを無塩にしましたが、企業努力が足らず塩っ気の補完を放棄しましたというコンセプトの新バターといった感じ。美味しいかどうかと言われると「うーん塩っ気が足らないかな!」としか言えない(さっきから塩気の話しかしていない)。後でどうにかしようと思った。
ガルさんはこちらの知的欲求を満たしたのち、すぐに立ち去ってしまうかと思ったらポケットから何か茶色い塊を取り出して、私の前に置いた。見ると、それは松ぼっくりのような―――というか私には松ぼっくりにしか見えなかったし今もそう思っているのだが、ガルさんはそれを否定した。
「これは豆です。この周りの殻をはずして、中にあるのを摘まんで取って、口の中でこうやって殻を割って白いのだけ食べるんです。おやつみたいなものです。美味しいですよ」
慣れた手つきで彼は、松ぼっくりでいうところのカサ(周りの飛び出たカリカリしているようなところ)をむしり取った。するとそのカサの下から海綿状の内側が見えて、そこには等間隔にヒマワリの種のお尻部分のようなものがこちらに向いて埋め込まれている。そのうちの一つをちょっとだけ難儀そうに爪で挟んで引っ張り出すと、ヒマワリの種より一回り小さいくらいの赤茶けた何かが出てきた。渡されて、中身を見たかったので指で押しつぶそうとしていると、口です口ですよ奥歯で、と窘められた。大人しく奥歯に入れて、加減をしながら噛む――がしかし、パリッという音がして、中で殻もろとも砕けた。手に吐き出すと、確かに白いものが砕けている。殻だけ除いて口に戻したが、味はない。いつのまにかガルさんはいなくなっていて、やりきれない表情の二人が残されていた。
パンはなかなか歯ごたえがあった。焼いているというよりは揚げているといった感じの見た目と肌触りのものがバケットの大部分を占めていて、見慣れた食パンは下層で下敷きになっている。味気ないのは確かだがその触感もあって、食べ始めはプレーンでもりもり食べていた。やがて飽きてくると例の生クリームに手を出すのだが、あまりぱっとしない。そこで私たちはドアから少し顔を出して誰もこちらに来ないことを確認すると、小森から受け取った魔法の粉末―――そう、世にいう「ふりかけ」を二袋だけ生クリームにかけて、スプーンで練った。乾燥鮭フレークの入ったふりかけはクリーム色一色のそれに彩を加えていたし、味にも実際的な変化が起こるはずである。「ふりかけ」の知恵は私の愛知県に住む祖母から貰ったもので、彼女の友達がモンゴルに行って帰って言うに「味気ない料理ばかりでふりかけ持ってきゃよかった」とぼやいていたことに由来する。ばっちゃが言ってた!というよりばっちゃの友達が言ってた!という二次資料なのだが、万全の準備をしてきたのが功を奏したようだ。さて実食、と、スプーンで盛り付けて頬張ると、これが大正解。鮭の風味がクリームでその濃厚さを増し、ふりかけの塩っ辛さが元来の塩気のなさにうまい具合に抑えられている。うまいうまいと二人で喜んで食べ、出していただいた料理にこちらが手を加えたということに引け目を覚えたのですっかり食べつくし、ウェットティッシュでふき取った。熱く乳臭くない不思議なミルクティーをすすってから、満腹をかみしめる。
食器を返却しに西の奥、一つゲルを挟んだ向こう側のゲルに向かった。我々の利用しているのと同じサイズの扉を軽く数回ノックすると、「どうぞ」と声がかかる。少しだけ扉を開いて覗くと、たくさんの人がいた。
まず上座には中年の体格の良い男性。浅黒い肌に、鼻筋の通った感じの顔つきで、モンゴル人というよりはトルコ系に近い風貌をしている。彼はここにある三つのゲルの所有者で、ツォクトさん及びそのツアー客に施設を貸し出しているオーナーのような方だ。愛想が悪いわけでもなく、この人も二カッと笑うのが度々見られた。以前に来た日本人観光客にユウスケという名前を貰ったらしく、それを名乗っていた。その隣では、彼とよく似た顔の背の低い男性。年齢を聞いて驚いたものだが、十六歳の少年だった。彼の息子さんだ。またその隣に水色のTシャツを着た中年の女性。少年の母親で、オーナーの奥さん。ストーブの近くにはガルさんとテムジンさんがいて、その周りをウロウロと奇声を発しながらわちゃわちゃしているのはオーナー夫婦の他のお子さん。男児三名、女児一名。
背丈だけ見ると女の子が一番高い。七歳かそこらで、白地に花柄のワンピースを着ている。昨日も着ていた。
次に次男坊らしい、男児の中でも比較的しっかりしていそうな顔立ちをした男児。こちらは六歳ほどか、青いベストを着ている。やはり昨日も着ていた。
三男坊はもう表情からして腕白坊主で、昨晩の食事中にはやれ携帯電話の電池パックを外せや、やれむしろ着けろや、もっかい外せやと、お前はいったい何が楽しくてこんなことやっているんだというような遊びに付き合わされたり、ひたすら謎のカップの底を拳を押し込んでぶち抜く遊びに巻き込まれた(このカップはその後、私たちの部屋に奥さんが運んできてくださったお湯入りの水筒に被さっていて、注いでみると案の定漏れた)りした。水色基調で、袖などに黄色の布が装飾で当てられた、正面に車のキャラクターのパッチのようなものが縫い込まれた上着を着ている。当然昨日も着ていた。
末っ子は控えめな子で、ほかの兄弟と我々が遊んでいると遠巻きに一人で遊びはじめるが、迎えに行ってやると嬉々として加わるいじましさがある。暗い三色くらいの細いストライプが一面にプリントされたTシャツを着ている。昨日も着ていたのだった。
食器を奥さんに手渡し、通じているかわからないがとりあえず「ばいらるらー」と一声かけて外に出た。すると三男児がその後に続いて出てくる。そして皆々諸手を挙げると、口々に何かを叫ぶ。モンゴル語がわからないので正確なところなど知りはしないが、昨日の乗馬前に抱え上げて走り回ってやったのが好評だったので、おそらくまたやってくれと言う意味だろう。生憎私にはそんな体力などなかったので逃げようとした。が、取り囲まれてダウンにしがみつかれて云々。結局根負けして、この日のテント泊出発まではその後に参戦した女児を含めた四児の玩具にされたのだった。