ゲルの中
初めて生きたゲル(博物館の死んだゲルを外から見たことしかなかった)に入ってみると、想像していたより遥かに広かった。確かに木製のドアは小さくやや入りづらいと言えるが、内側について壁面はともかく天井がテントのように鈍角の尖頭形(正確に言うと尖頭ではなく、先っぽを切り取ったようにして平面になっている)をしているだけあって垂直方向に広がりがあり、狭いとは感じなかった。天井中央は輪の形に加工された木材が空に向けてぽっかりと空いていて、そこから放射状に広がるように取り付けられた数十本の細い角材が壁面へとつながる。輪の木材は半月型の天窓として働き、十分な光を室内へと送っていた。半月になっているのは建物の骨格全体を覆う厚いフェルトがそこにも半分被さっているからだ。円の中心を下から伸びた煙突が突き抜けて、潜望鏡のように屋外で首をかしげている。煙突の根元にはストーブと思しきものがあった。ストーブとその傍らにある長方形のテーブルを中心に対称的な位置取りで左右にベッドが二台あり、テーブルの奥には三人ほどが腰かけられそうなソファが据え置かれていた。
小森と私はそれぞれ、特に取り決めじみたやりとりもないままにそれぞれのベッドに腰かけて、荷物を広げた。お互い一つずつのザックしかなかったので特にもたつくこともなく、カメラを取り出してからすぐに外へと躍り出た。奥のゲルから出てきたガルさんが「もうすぐお昼ごはんですよ」と言った。私たちは返事をしつつ、草原の中へ歩み出て行った。
散歩を満喫して、後ろ髪を引かれる思いもありつつ三十分ほど経って戻って来ると、ガルさんが「いまお昼ごはん持ってきますね」と言って、ゲルに帰ることを勧めた。腹ペコだったので言われたとおりに背の低い玄関をくぐって中へ這入り、二人で仲良くソファに腰かけた。
この日は、平皿の半分にご飯を盛り、触感が良い芋と馬肉、それから人参をまとめて炒めたものがもう半分に盛られたものが昼食で出された。傍らには、ミルクティー。食事の際には決まってこれを飲むらしい。ミルクティーは苦手、というか温めたミルクが苦手な私だったが、これは美味しく飲めた。外が夏にしては寒かったのも大きい。気温はだいたい十三度かそこらで、ダウンジャケットが手放せなかった。
主食の方も、なかなかに美味しい。モンゴルは内陸の為、塩があまり手にはいらないから味付けが薄いというのを聞いていたが、そうでもなかった。ご飯は口当たりがパラパラな種類。炒め物とよく合う。おかわりはなかったので、熱々のミルクティーでお腹をいっぱいにした。食べ終わるころにガルさんがやって来て、乗馬を三時頃から始めないかと提案を頂いたので、是非そうしてくださいと返した。少しだけ食休めに転がってから、もう一度草原へと散歩に出かけた。
ゲルの手前には丸太で組まれた簡易的な囲いがあって、その周囲には馬が括り付けられている。そのあたりにガルさんや数人が集まりだしたのを見て、私は踵を返した。
そこにはガルさんのほかに、二人の男性がいた。ガルさんと同じくらいの年齢の男性はテムジンと名乗った。もう一人は初老の、暖かそうな紫色の上着を着たおじさんだった。彼は名乗ることはしなかったし、日本語はわからないようだった。けれど例えば僕らが馬に乗ろうという時に手綱や轡を握っていてくれたり、テント泊の道中鼻歌を歌いながら先導し、鮮やかな手綱さばきを見せてくれたりと、なんだか得も言われぬ頼り甲斐があった。なので私たちは彼を、師匠と呼んでいた。
既に鞍と乗馬の為のふくらはぎアーマーを手渡されていた私たちがそれを師匠に手渡すと、彼は慣れた手つきで馬にそれを装着し、アーマーの付け方を実演して見せてくれた。こちらがそれらに対して「ばいらるらー(モンゴル語で「ありがとう」の意)」と感謝の意を示すと、彼は綺麗な歯を見せて二カッと笑った。
本格的な乗馬――手綱を自分で握り、馬を操るというのは、この時が十九年の人生で初めてのこと。しかしその瞬間は感動する時間も与えられず、勝手がわからないところにまごついていたのを急かされて、ええいままよの思い切り。気づいた時には馬の背で背筋を伸ばしていた。さすがに視点が高い。ただ、想像していたよりはだいぶ低い。モウコノウマがそれほど大きな種類の馬ではないのが、体感的に理解できた。もっとも比較対象が小学生の頃にまたがった記憶があるサラブレッドだけなのでアテになりはしないが。
その場にいた全員が馬に乗ってから、群れはゆっくりと進みだした。やや雨が強くなり始めていたが、迂闊にも雨合羽を日本に置いてきてしまっていた私は、麻で編まれた半袖のシャツでその中を進む。幸い平熱が高い人間なので特に支障はなかった。
草原は、やはり、途方もなく広い。確かに視点が高くなったのでかなり遠方まで見通せるようになり、果てしないと思われた地平もおよそその端が補足できた。しかし如何せん遠近感が麻痺しており、また端が見えたところではるか遠くだ。広いものは広い。見回してみると、この草原(ナライハに隣接することからナライハ草原と呼ばれている)は周囲を高めの丘に囲まれた盆地のような地理にあるのがわかった。
馬はのっしのっしと穏やかな歩調で進む。ふと馬の足元を見ると、いつのまにかふさふさの毛でおおわれた大きな犬が、付かず離れずの場所をとことこと歩いている。ガルさんに「可愛い犬ですね」と言うと、モンゴルの遊牧民にとって犬は大事な生き物なんですと前置きしてから、昔話を話してくれた。
昔々の話、ある犬を飼っている遊牧民のゲルにお坊さん(モンゴルはチベット仏教徒が多い)がやってきた。その家にはたまたま病気になった子どもがいて、病状は芳しくなかった。お坊さんはその日の夜が子どもにとって峠だと断言し、その日の夜、お経を唱えて子どもの無事を祈った。すると真夜中に犬が突然唸り、吠え出した。お坊さんはそれと同時にゲルの周りをぐるぐると何かが回っている気配を感じた。お坊さんが読経を一層高ぶらせ、飼い犬の威嚇がより一層その激しさを増すと、ややあって気配は消えた。その気配は狼で、子どもに害を為そうとしたものだったそうで、しかし犬とお坊さんの力でそれを退けることができた。めでたしめでたし。
聞き終えて、なるほどそんな話があるのかと感心する。ガルさん曰くモンゴル古来の犬は大型の短毛種で、毛が長いものはそのほとんどがチベット原産の犬だそうだ。そして遊牧民の飼う犬は概ねその二種の雑種。この黒いわんこも例外ではない。可愛いだけじゃないんだなと思い、へっへっへと舌を出しながら付いてくる犬を眺めていると、ガルさんの乗る馬に近づいて蹴られかけ、馬と騎手に叱責されていた。しゅんとして一行から少し距離を置き、それから大人しくなった。なんだかいたたまれなくなった。
言葉少なく、緩慢とした時間は続き、ぬかるみ始めた草地は蹄の跡をそこかしこに飾る。僅かな傾斜を上滑りした雨粒はやがて一つどころに集まって、砂利の大地に水文を彫刻する。乾燥して固まっていた動物の糞が湿り気を帯び、そこから伸びた褐色のキノコはその小さな小さなカサを時折震わせた。
少し冷たい雨がやがてその勢いを増すまで、私たちは力強い背の上でゆったりと揺られていた。
この日、結局雨が止むことはなかった。
夜になって扉を開け、外を覗くとそこは一寸先までも闇。下手をすると自分の手もまともに見えない。べったり徹底的な墨塗りをしたかのように何もかもが黒だった。このゲルの中も、あるいはストーブで薪が焚かれていなかったり、部屋の隅にあった車用のバッテリーの電極に先っぽが輪っかになったケーブルをひっかけて電球を点けていなかったら、一層闇は深かっただろう。
その不便に喜びを感じて、「良いねぇ」と呟くと、小森が嬉々としながらそれに同意した。それからしばらく、思い出したかのように二人でこの地に来ることができたことの喜びを語り合い、噛みしめ合った。何度でも言うが、海外に行き慣れた人にとってこの程度のことはきっとなんてことはないのだろう。けれど、少なくとも僕にとっては大いに心震える時間だった。悶えるほどに高揚した、叫びたくなるほど感動した。そして、ため息が出るほど幸福だった。
二人の話声はしばらくの間、三つ並んだうちの南端のゲルから流れ出ていた。
やがてそこの低い扉の輪郭が突然闇に溶け込むと、「おやすみ」という言葉が小さく響き、少しの間も空けずに「おやすみ」と、山彦のように返す声があった。
残ったのは、小気味良い雨音だけだった。