クオカード(以下一人称にブレがありますが筆のノリを重視しています)
縁もゆかりもない景色に、自らの原点を感じたことはあるだろうか。
嗅いだことのないにおいを、唐突に懐かしく思い出したことはあるだろうか。
どこかへどうしても行かなきゃならないと駆られたことは、あなたにはあるだろうか。
ええ、そんな大層なことじゃないのはわかっている。大げさに、芝居がけ、少し目を引こうとしているだけなのだ。それにしたって、十代最後の夏に海の向こうへ行こうだなんて演目は、飽きられるほどに世に満ちている。
だから私は、誰かに私がかの大地で得た凡てを追体験して貰おうなどという、浅ましく、愚かしく、気の利かない散文を、ここに寄せようとしているのではない。あくまでこれは『覚え書』の中に挟まったちょっとした、メモ書きのような――そう、「覚書の覚書」のようなものなのだ。
けれど運悪く、この後に続くでき損ないの文字の羅列のいくばくかが誰かの何かを多少なりとて動揺せしめ、心に描く景色があったのなら。
すぐ、少し遠くに行く支度をして欲しい。
それはきっと、あなたにとって大切な場所のはずだから。
クオカード(以下一人称にブレがありますが筆のノリを重視しています)
あの導入でこのタイトルはいったい何だという話だが、それっぽいことを書き連ねるのは最初だけ。後は気が向いたら、やろうかなぁ、やらないかなぁ、と、そんな気位である。仮にも天下に名高き(?)筑○大学の○○学研究会の会誌で何をフランクな。そもそも分野も方向性も全く異なるようなことを、期待して損した、という失望も察するに余りある。言い訳をするとすれば、とにかく夏季休業期間において筆者が極めて多忙であったのが、最大の要因だ。民俗調査に出かける時間がなかったのだ。時間は作るものだという言説は今も昔も至極当たり前のことのように主張されているが、それは器用な人だからこそできることにいい加減気づいて欲しい。自己管理ができていないとな?人を見る目があるなぁあなたは!
さて、私がこの年(二〇一七年)、物心がついてから初となる海外渡航を断行した動機を遡ると、最終的に二年前、東京都○○区へ至る。私はその○○区の千葉県寄りにある○○○駅から、徒歩三十秒かそこらという好立地の私立校に六年間通学していた。中高一貫校であるそこは、登下校の時間になると黒とも紺ともつかない色に染められた学ラン姿の青少年があちこちで見られるようになる。
高校時代についてあれこれ語りだすときりがないので、必要なことだけを話すとしよう。それで、話は高校三年生のころ。○○大学から推薦入試合格の報せが届き、一心不乱に勉学に励み続ける友人たちの視界に入らないように生き、こそこそと自動車教習所に通い始めたあたりである。その自動車教習所では入所と同時に、その施設を卒業した人間の招待状があった場合、三千円かそこらのクオカードをいただくことができた。とにかく金券やらプリペイドカードやらに疎かった私だが、以前、下校の道すがら立ち寄った○○○駅に結合しているルミネで、よく似たものを友人が使用していたのを思い出した。店員の方に尋ねると、どうやら使用できるとのこと。覚えているときに使わないといつまでも財布の中で燻らせるのが目に見えたので、今日中に使ってしまおうかと考えた。三千円分というのは、いまでこそ如何様にでも浪費できるものの、あの頃は高い本といえば図鑑か写真集くらいの認識で。それでいて後者などは十八年の人生の中でほとんど手に取ったことがなく、唯一、我が家の本棚にある南極の写真集がそれだった。もう仕方がないので猫の写真集でも買って帰るか、と、半ば投げやりで向かった本屋の一角。そこで出会った一冊の写真集が、過去の私、現在の私、そしておそらくこれからの私にも、大きな影響を与えるものになった。