準備の前に
彼らは怒っていた。自由という餌を目の前にたらされて、食えなかったことに。
彼らは怒っていた。肌の色が違うだけで、不当な扱いを受ける現状に。
オーク族に現れた英雄は、被差別を束ねて立ち上がった。その覇道は何かに操られているかのように、小気味よく進んでいた。
平等を謳うガザル帝国ですら、目の届かない場所で陰湿な嫌がらせを受けていたのだ。他の国はこの種族を徹底して排斥していた。いつしか単純労働だけをやらされるようになり、それがオーク族のイメージが力しか取り柄のない種族であると助長していた。
しかし、彼らも実のところ人間種。知性で劣ってはいない。
現に幾つかの国を荒らし回っているが、各国は有効な対応策を講じることができないでいる。
オーク達が取った行動は洗練されたものではなく、勢いを利用して蹂躙して略奪するだけだ。問題はそれをわざとやっていることにある。
襲撃先の国家を偏らせるなどして、国々を連帯させないように動いているのは見事だった。傍目には暴走でも、その方向を決めている者がいた。
それを遺跡から出土した望遠鏡で見ながら、ホレスは過去の行いを後悔していた。オークの首領らしき人物は黒い霞を常にまとう剣を手にしていた。
かつて無垢神クラヴィが振るった剣である。それを置き去りにしてしまったのは、あの日に集った面子でありホレスもその中にいた。そして、今一人の当事者も来ることになっているが……
「いや、早すぎじゃねぇか」
「早い方がよろしいでしょうに。見えてる範囲内かつ障害物が無いなら、それがしは飛べるので」
「その力に頼ることになるかもな」
ホレスは望遠鏡を押し付けると、前方の戦場を見るよう促した。ソウザブもまた、己のやり残しがあることを理解した。
「あの御仁……随分と若く見え申すが……」
「それだけ優秀なんだろうよ。才能の使い方を間違っている気もするがな」
「復讐……と言ったところでしょうかな」
ソウザブも随分と恨みを買ってはいるが、それともまた違う。環境への恨みは世界を火の海にでも沈めなければ収まらないだろう。
もしやすると、あの剣がそれを更に煽っているような気がする。無垢神の力は善悪問わず人の願いを叶えるためにあった。終わり無い憎悪の循環がオークの首領に力を与え続けてもおかしくはない。
「エツィオとポリカは?」
「近くの街にやっている。世評がどうなっているか、とか。まぁやることは変わらないんだがな」
「あの剣を砕く……それを可能とするならホレス殿の竜斧ぐらいでしょう」
「エツィオの剣でも良いだろうがな。アレの効果はようやく分かったが、アイツ自身が俺らの戦いにはついてこれねぇ」
それがどんなものかはソウザブにも不明だが、“先祖返り”であるソウザブでは神の力と反発して使えないだろう。ともあれ、魔剣を無事に手に入れて良かったと彼の夢に対して思うしか無い。
「迂遠ですが、どこかの兵に紛れて剣を破壊する機会を窺うしか無いのでは?」
「まぁ、そうだよなぁ」
いきなり突撃とは流石に無理がある。仮にもそれなりの勢力にあるのでは、どちらかは捕まってしまうだろう。できるなら乱戦の最中、それも大きい戦が良かった。
「剣を壊した後は……」
「あの者だけは討たねばなりません。皇帝は、おサク殿の国にまで、戦火が飛び火するのを気にしておられましたよ」
「あいつ……俺とは偉い違いにしてくれる……が、サクの心配は無用だ。いざって時のために、大金を預けてある。逃げるだけならどこへでも行ける」
例えばお前とサクの故郷にな。という言葉をホレスは飲み込んだ。どっかと地面に座り込み、土煙をぼんやりと眺めている。
「まぁ良い。今すぐってわけにはいかねぇ。話でもするか」
「それで良いのなら」
「そういや、あのロバどうなった?」
「ああ……現状というか今後もただのロバですよ。移動する必要が無くなったので、ずっと草を食んでばかりで……将来的には太って役に立たなくなるのでは……」
戦の前に近況報告というのも悪くない。
件のロバは喋れる以外は、ただのロバだ。そして知性がそれなりに育ってきている以上、別に荷物持ちすらしなくてもいいだろう。オウムの代わりのようなものだ。
「エツィオとポリカは迷惑をかけてませぬか?」
「迷惑ってほどじゃねぇな。エツィオは武具で上乗せされてるし、ポリカも支援としてはまぁ悪くない。最悪、荷物持ちにでもすりゃ良いんだから気にすんな。で、お前自身はどうよ」
「なんと言うべきか。昔に戻ったような気ですな……正直、任務は不快で、エル殿の件が無ければやってられないところはありますね」
「あの野郎……」
「ただ……ガザル帝国はいい国です。出来得る限り、多様性を尊重しようとしつつも、価値観を統一しようてしておられる。それだけに、どこからかヒビが入るような気がしてなりませんが」
新しい世代の子どもたちは帝国の価値観に順応していくだろう。一方で、今いる大人たちは不服な部分も多いだろう。たかが、好き嫌いとはいかない。それだけで人はあらゆることをやってのける。
「自由とは何なのか。それがしも時折、そんなことを考えます」
「ふぅん……ああ、エツィオ達が見えてきたな。哲学は後にして、尻拭いをする方法をつめなきゃな」
駆け寄ってくる二人を見ながら、ソウザブはオークの国でもあればこのような事態は避けられたかも知れないと考えていた。