帝国へと
ガザル帝国の帝都ガリレウス。その皇城のテラスで二人の冒険者が語り合っていた。語り合っていたというが、それまでは口論に近い形だった。今、ようやく落ち着いて話し合う機会ができたというところだ。
「ソウ。お前、本気でいくのか?」
「はい。エル殿の故郷が復興されるとなれば是非もなし。謁見の間において吐いた言葉を撤回するのは、あの御仁には無理にござろう」
短い会見だったが、ガザル皇帝の人となりは知れた。極端なまでに秩序を重んじる人物。行き過ぎた公平感と平等感を併せ持つ……危険な人物ではあったが、それだけに約束を違えることはない。
もっとも、それが起因して各国に侵略をしかけているのであろうが。
「ホレス殿は冒険者組合の方を?」
「ああ、本部が屈したのは少しもおかしくはないから事実だろう。椅子にふんぞり返ってた連中だからな……それでも支部は残っている。地道に繋いで危険な任務を減らしていく」
「つなぎにエツィオとポリカを付けましょう。ポリカだけでも良いのですが、エツィオは魔法の武具を使いこなせていない様子。竜斧を持つホレス殿に師事させます」
サライネはエルミーヌの騎士なので巻き込む形になる。ソウザブにとっても不思議なことにサフィラを巻き込む形になっても、それほど違和感を覚えなかった。
ホレスは禿頭をぴしゃりと叩いた。承諾の意味のようだ。
おそらく皇帝はそのあたりも読んでいる。だが、彼にはジュリオスが抜けた穴をソウザブで埋める必要があったのだ。
「出ていく前にちっとアレと話をつける。だが、アレはお前を使い潰すつもりでいるだろうよ。そのあたりの引き際を忘れんな。姫さんの国も大事だろうが、命が無くては意味が無い」
ソウザブは頷いた。
しかしアークラ復興とは随分と痛いところを突かれた形になる。いくらソウザブとエルミーヌが稼いでも、現役をかけて城が買えるかどうかだろう。考えないようにしていたところまで読まれていた。
一体どれほどの情報網を持っているのか、それともエルミーヌがそれほど有名なのか。それは判断がつかない。
ホレスは宣言通り城の中に戻っていったが、衛兵も止めなかった。おそらく皇帝もホレスがもう一度来ることを予想して指示を出していたのだろう。
一代で国を作り上げた男の恐ろしさの片鱗であり、ホレスという男が無視できない存在であることの証明であった。ソウザブは父を上回る手腕の持ち主を初めて見た思いがしていた。
「ソウ様……わたくしのために……申し訳ありません」
「何を……」
今更、とは言えなかった。エルミーヌは長衣を握りしめながら、涙を浮かべていた。それはもう泣かないと言っていたはずのエルミーヌの揺らぎだった。
「わたくしは足を引っ張ってばかり……サフィラさんのように、眷属にもなれず……」
「エル殿……
それがエルミーヌの心を突いた槍だった。戦闘や日々で足手まといなのは理解していたが、それを盾にされて夫の行動を制限してしまった。かつて恥と思っていないと言った言葉に嘘は無かったはずだが、サフィラがソウザブの眷属となったことで重さが増したのだ。
「それじゃ、オレが悪いみたいじゃん! オレだってまだ師匠の半分の速度も出ないし、それにエルミーヌが恥じゃないって言ったから先祖返りの道を選ばなかったんだ。なのに……そんなこと言わないでよ……」
横で聞いていたサフィラも感情を爆発させた。涙目の二人に囲まれたサライネは何も言えない。ソウザブが説得する他はない。
「エル殿、サフィラ。どうか、泣かないではくれないか。誰も何も責めていないのだから……これはそれがしの不徳でしか無いが、どうか……」
先祖返りというものの最大の理不尽。誰でも成れる可能性があるのに、報われるものはわずか。さらに眷属という要素が加わったことでエルミーヌは掴んでいた絆の糸が、確かなものと信じられなくなった。
一方でサフィラは信頼していたエルミーヌの強さがもろくなったことで、戸惑いを隠せない。
対等でありたいと願っているものは同じなのに……
「姫。それを言われると、このサライネこそ立つ瀬がありませぬ。ご自分の強さと仲間をもう一度信じでください……」
弓騎士の言葉を最後に長い沈黙が続いた。
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その頃、皇城内でも同じような争いが行われていたが、こちらは至って静かなものだった。それは最早やり直せない者同士……立派になってしまったからこその決別だ。
「さっきはソウ達の手前聞けなかったが……お前、なぜ逃げた」
「恐ろしくなったからだ」
禿頭の偉丈夫の問に威厳ある皇帝は息を吐きながら答えた。もう遠くなってしまった日の残滓が口から出ただけ。それでも国父としてはあるまじきことなのだろうが、素直に皇帝は非を認めていた。
「お前が? だとしたら誰も浮かばれねぇな。サクだって先祖返りじゃなかったんだ。なのにお前が竜から逃げだしたんじゃいよいよ見下げ果てるしかねぇ」
「違う。私が恐ろしくなったのは竜ではない。お前たちが、だ」
伝説的な冒険談。ホレスの竜殺し。
そこに皇帝の名は無い。事実を知るものはわずかだ。そもそもホレスと皇帝が仲間だったことすらわすれられている。
「俺達が?」
「そうだ。力の多寡ではない。竜は先祖返りすら上回るのだからな。凡人にとって恐れることなど当たり前で、逃げる理由にはならなかった。お前たちはその竜を相手に嬉々として立ち向かっていった。その時に確信した。人の差とは力量ではなく、心の違いなのだと」
皇帝は語る。ホレスとかつての仲間たち。そして今生まれつつあるソウザブやジュリオス達の伝説。それはただの人間と英雄は別種の存在だからこそ生まれる。偉人と常人は既に別種族なのだと言う。
「個人の力が強くとも、心が普通ならそれは人間だ。実際、今まで4人の先祖返りが私に仕えていたのだからな。だが心一つで不可能に挑める者こそ真なる怪物なのだ」
皇帝はもう一度息を吐いた。
「ゆえに私は帝国を作った。貧富の差ではなく、心の差がなくなるような国を……」