今後
目を開けると、木目の天井がソウザブの目に映った。次いで、バタバタと何かを倒すような音と共に、人の顔が至近距離にあった。
「エル殿……そうか、それがしは負けたのか……」
「はい、はい……でも、ソウ様が無事なだけでわたくしは……!」
亜麻色の髪が滝のように覆いかぶさり、実際にその瞳からは水が溢れ出していた。その豊かな髪を撫でようとして、ソウザブは体の現状を知った。
体が動かない。不具になっていないのは、単純に神としての耐久力のおかげであり、人間であったなら死ぬか廃人になっていただろう。
「完璧に負けた……か。ホレス殿と出会った時以来だ……」
恥とも言えぬ奇妙な悔恨と共に再び目を閉じた時、野太い男の声を聞いた。その気配になぜ気付かなかったのか? それはあまりにも自分にとって馴染み深いものだったからだろう。
「俺様がどうしたって?」
「ホレス殿! ……っ~」
「ソウ様! 急に動かれては……」
というよりは急に動けた事実のほうがおかしい。先程までは渾身の力でもピクリともできなかったのだ。ならばそれは精神力によるものであり、ホレスの存在はソウザブにとってそれほど大きなものだったのだ。
病床の自分にエルミーヌとホレスが付いていてくれる。それは白昼夢のようだった。
「ったく。あんな帝国野郎に遅れをとりやがって。冷静に動けば今のままでも十分お前に軍配があがるだろうによ。鍛錬してきた俺の立場が無いぜ」
「しかし、なぜホレス殿が……」
「あの後、折よく訪れてくださったのです。おかげでソウ様は帝国の指揮官に連れていかれずに済んだのです。あの時、ホレス様が来なかったかと思うと、エルは……エルは……」
「天運というものですな……あの後は?」
帝国はロウタカの街を占領したものの、幾人かの動けない冒険者は留まっている。それは主にグライザルの存在が大きかった。
グライザルの“先祖返り”は今のジュリオスにとっても相性が悪い。無理やりにと叩き出すのは得策ではないと感じたのだろう。それでも生まれつきの“先祖返り”であるグライザルでは、勝利は拾えない気がする。おそらくはこちら側の眷属であるサフィラと、無双のホレスを同時に相手取る危険性を避けたという方が正しい。
「久方ぶりに自分の未熟さを思い知りました」
「そりゃ結構。とりあえずあの間抜けから抜け出したバカとの約定で、お前さんがある程度回復したら街を出ることになっている。養生しろ」
間抜けから抜け出したバカとはまたホレスらしい表現だが、4騎士団のうちの一つが反乱というのは世情にとって大波乱も良いところだ。
普通ならばガザル帝国と傘下国によって叩き潰されて終わるだろうが……
「全員が眷属で構成された軍隊。それが前を向いていればいい辺境での反乱となると……」
「ま、単純に考えれば白剣は善戦して終わる。だが、帝国側も先槍の国は潰れる。誰もやりたがらないだろう……あの間抜けの国もおかしなことになるな」
禿頭を叩いて、ホレスは微妙な顔つきになった。それは遠くを見ているようだが、距離的なものか時間的なものなのか分かる者はここにいなかった。
これまでの言動からガザル帝国皇帝とホレスには個人的事情があるのだろう。それも一方ならぬ何かが。自分とホレスも短くない付き合いではない。それでいながら踏み入れられないことは奇妙な感覚を覚えさせた。
「そう言えば、皆は?」
「エツィオやポリカ、サライネは荷造りをしてくれています。サフィラは……ソウ様が倒れられるのと同時に寝込んでしまいました」
「……眷属の弊害やもしれませぬな。ジュリオスとは違い、それがしの眷属はサフィラのみ。与えられる加護の強さと同様に反動が大きい……」
「ああ~~、師匠、おはよ~」
噂をすればなんとやら。ふらふらと揺れながらサフィラが現れベッドに倒れ込んできた。おそらくは主の復調と連動して目覚めたのだろうが、やはり覇気は無い。
「心配……したよ~、なんかオレも駄目な感じだけどさぁ」
「それはすまなかった。どんな具合だ」
「あれ、あれ、酒飲みすぎた人とか……あんな感じ~」
二日酔いか。どうやら同程度の痛みを背負うわけではないらしい。神でありながら神の性質を理解できていない自分には苦笑するほかない。
青い髪をかき混ぜていると、ホレスが話題を提供した。
「問題はここを出ていった後をどうするか、ってところだが……正直、全く、全然、会いたくもないが帝国の首都に行かねぇか、ソウ」
「それはまた、なぜ?」
「なぜも何もねぇよ。こんな事態になったのは元々あいつの不手際だろうが。頭をへし折れるぐらい下げてもらわねぇと筋が通らん」
やはり個人的な付き合いがあるらしい。面会すら叶うのだろう。
「それにここのところ、あちこちから火の手が上がってる。ここを含めてな。冒険者としてか、個人としてかは置いておくにしても身の振り方は考えなきゃならねぇ……ここにいるっていう魔王は気になるがよ」
「話ではつつかない限り、何もしない魔王らしく思われますが」
「一旦放っておいたほうが良いだろう。想像通りなら、戦争かトチ狂った白剣が勝手に手を出すだろうよ」
放って置かれる魔王というのも不思議だ。そう思いながら再び夢の世界へと誘われていった。




