敏捷神の眷属
救い主は前へと進むことを選択した。
彼らを信じて、彼らと共に歩むために。
敏捷神。その名に相応しい速度で疾走し、その存在に相応しい存在と相対するのだ。
ゆえに――
「あ、がっ……!くそっ……!」
青い短い髪と軽装に、赤が加わる。
サフィラの腕に裂傷が刻まれたのだ。幸いにして浅い負傷ではあるが、多数を相手取るという事態においてはどんな些細な能力低下も決して軽視できない。
冒険者側最高の札であるソウザブとグライザルが、相手側の最高戦力と相対する以上は只人が有象無象の魔人を相手取ることを意味する。
イレバーケが神に劣る技術力で作成したとはいえ、魔人は魔人。先祖返り無しで戦うならば、本来は高位の冒険者複数でかかる他は無い。
「師匠のくれた小剣は流石に頑丈だ……!保ってくれ、最後まで……!」
後詰めとしてサフィラが応援に来たはいいが、肝心の銀級パーティは既に虫の息だ。タイミングを誤ったという他は無く、結果としてサフィラは敵の中で取り残される羽目となる。
中性的な美少女に、おぞましい姿の悪鬼達が群がる。その光景は一種蠱惑的ですらある。
多腕型の振るう触手を持ち前の身軽さで回避し、無様に転がりながらも起き上がった先で目の前の壁に思いっきり剣を叩きつける。
しかし腕に伝わるのは痺れたような衝撃だけだった。
サフィラに攻撃対象を選んでいる余裕は無い。転がった先の昆虫型の魔人に剣を振るったのだが、硬い甲殻に阻まれて終わってしまったのだ。
振り向いてちょろちょろと小うるさいハエを叩き潰すかのように、昆虫型が鎌に似た腕を振りかぶる。
「ちょっ、待って待って……!」
そんな懇願を無視するように、低位魔人の顔には何の変化も見られない。昆虫型には思考が無いのか、あるいは言葉が通じていないのか。いずれにせよ己を害そうとしたサフィラに加減してやる理屈はない。
……しかし布団を叩くような音と共に、昆虫型の頭部に極太の矢が生えて危機は去る。サライネによる援護射撃だ。
「た、助かった!でも、このままじゃ……ヤバイかな、これ……」
サフィラの活躍は大健闘と言っていいものだ。
これは彼女が常日頃から、師であるソウザブの速すぎる動きに親しんでいたこと、他の冒険者ほどに魔人のような奇天烈な怪物に違和感を覚えなかったことによる。
銀級の集まりでも単なる魔獣ならばともかく、魔人そのものと相対したことのある者は少ないのだ。
懸命に二刀を振り回すサフィラの戦い方は次第に無様なものとなる。
地を這い回り、時に転がる。美しい青の髪もホコリと土に塗れて斑だ。
それでもサフィラは決して諦めない。
サライネの援護は無限ではない……彼女には優先する主もいる。手も二本しかない。あのような剛弓を連発すればどうなるかは、弓に疎いサフィラにもわかる。
少なくとも他の場で戦っている者のところまで行きつけ無ければ、己が生き残ることは不可能。それも余裕がある者のところで無ければならない。
「エルミーヌとかなら怒ったりはしないだろうけどさ……オレの不始末はオレでどうにかにしなきゃな。あーこれは……」
終わったなどとは口が裂けても言えないが、随分と厳しくは無いだろうか?
そう考えた瞬間が気の緩み。眼の前の攻撃から飛び退いたと思ったと同時に、頭部に鈍痛を感じてサフィラは意識を失った。
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疲れ切った日の眠りのような深く落ちていく感覚。
違うのは意識が残っているところにある。
――ここは?オレはどうなった?
声が出ない。だがその問いかけは確かに四方に響いていた。
口に出したことでやるべきことを思い出す。師匠の教え、常にまず現状を把握せよ。
訓練の初歩の初歩でくどいくらい聞かされた。何回言うんだよと言えば、百回だと返された。百回間違えて百回やり直さなければ身に沁みないだとかなんだとか。
よくもまぁあんなに訓練できるものだと我が師ながら思う。自分も強くはなりたいが、あそこまではちょっとやりたくない。
そんな考えばかりが浮かぶ理由は現実逃避だ。
なにせ幾ら見渡しても、何度目を閉じて開いても、海の底である。さっきまでは荒野の丘で戦っていたというのにいくら何でも現実味がなさ過ぎる。
多分夢だ。あるいは荒野が夢かも知れない。
『夢ではない。我が子孫よ、現実のお前は今にも息絶えようとしている』
――はぁ?
『分かっているだろう。現実ではお前は紛い物どもに頭を打たれた。ここで話せているのは仲間が矢を放って、僅かの時間を作れたからだ。それも二度目は無いだろう』
――いや、そうじゃなくて……
はぁ?と言ったのは言葉の主が、外の魔人など可愛く見えるような異形だからだ。異形といっても形が人間と異なるのではない。
単純に大きい。山と言い表しても良いほどだ。
顔は髭面の中年で、手にはさらに巨大な三叉槍を携えている。
それが威厳たっぷりの渋い声で、どういうわけかオレと会話を試みてくるのだ。誰だって自分の頭を疑うだろう? 実際にオレがそうだ。
――ん?子孫?
『そうだ。我が血筋ながら血の巡りが悪いな。我こそがお前の祖神である“海洋神”だ』
夢でももう少し気の利いたことは言えないのか。それでは世界でも有名だという海洋神ネプース、その人がこの巨大なおっさんということになる。ついでにオレの祖神らしい。
個人が抱く妄想にしてはスケールが大きすぎである。ホレスのおっさんに師匠と、出会う人がことごとく大人物であるせいで自分まで偉くなったつもりだったのだろうか?
――今後は気を付けよう……
『その必要は無い。海洋神の名をお前が引き継ぐのだ、サフィラ。青の宝石よ。我が直系として大いなる海洋の力を世界に再び顕すのだ』
その声と同時に深い海の底が揺らぎ始める。ネプースの持つ三叉槍に呼応して神の海がうなりを上げているかのようだ。
その振動は確かにオレの体を飲み込もうとするかのような勢いだ。
……あれ、これって夢じゃない?つまりはコレが先祖返り?
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己を継げと語る海洋神を前にして、サフィラは頭を掻いた。現世の負傷はここでは影響が無いのか、髪は美しい青へと戻っている。
……サフィラは元よりどちらかと言うと直感で生きる側の人間だ。夢でないようだと察した瞬間から半分は信じていい気になっている。
だから返す言葉は決まっていた。
「ん~、折角だけどいいや」
『……なに? どういうつもりだ』
訝しむ旧神。それは当然の反応だ。
海洋神は極めて知名度が高い。それは神の中でも格が高いことの証拠だった。その力を継ぐということはサフィラの今後を劇的に変えるだろう。それもいい方にだ。
死に瀕した現状を付け加えれば、断る理由などあるはずもない。
「オレは師匠みたいになりたいんであって、アンタみたいに成りたいわけじゃない。大体、先祖返りしたって今を変えるのに向いた力を持てるかどうかは分からないし。それに……」
サフィラは強大な神を真っ向から見据えて言い放つ。
自分の選択が酷く愚かであることも、全て分かっている。
「……なんで今さら出てきたのさ。オレが奴隷みたいな扱いのときには一度も出てこなかったのに。あの時も結果的に助けたのは師匠だった。その後の冒険でもアンタは何もしなかった。誰かが死にそうな時にも、ただ見ていただけ……神様には神様の都合があるんだろうけど……オレは……アタシは……」
その考えは八つ当たりのようで醜い。成ってしまった後でも彼を目指すことは出来る。だがそれでも理屈をこねるのならば……
「……うん。そうじゃないや。オレにとっての神様はアンタじゃなくて師匠なんだってだけの話」
瞬間、消え去る海洋。
それと同時に歪み巻き戻っていく現実。
惜しいことをしたと分かっていても、サフィラに悔いは無かった。
さぁ現実で窮状に立ち向かおう。外では未だに仲間が戦っている。自分の愛する神に頼りすぎないように、自分で出来る限りのことをしてみよう。いつの日か彼と肩を並べるために。
少女の儚く愚かな決心。
ゆえに条件は達成された。神を愛し、信じる。それは祈りと呼ばれる行為。
そう。神は単身では神足り得ない。
祈りによって神は生かされ、その報酬として信徒は恩恵を受け取るのだ――!




