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お姫様救出

 ホレスの逞しい腕がソウザブの身体を跳ね上げる。同時に自身の足で跳躍しているためソウザブは下手な城の高さまで到達した。



「どうだ!? ソウ!」

「見え申した! それがしなら間に合うゆえ…単身で突っ込みます!」

「よっしゃ行け! 後先考えなくて良いぞ! どうも大分きな臭くなってきやがった! 俺らを舐めた連中に一発かましてからトンズラだ!」



 ホレスは落下してきたソウザブを受け止めると同時に、その勢いのまま今度は水平に射出した。常人ならば地面との接吻で息絶えるだろうがソウザブならば問題はない。それどころか衝撃を上手く利してさらに加速していった。



「……承知!」



 セリグという名の強敵がいた先とは異なり気配を断つ必要もなく、万全の速度。姫を救うべく東方の戦士は一筋の颶風となった。


/



 波打つ亜麻色の髪が揺れる。花と讃えられた顔は土にまみれている。男達の視線を集めた豊かな肢体も慣れない逃亡には邪魔でしか無かった。

 足が縺れる。ドレスなど捨ててきてしまえば良かった。そうエルミーヌは思った。もっともそんな余裕など無かったし、ここまで来れたのも愛馬と身を挺して守ってくれた兵達のおかげだった。愛馬は既に倒れ、兵たちももういない。エルミーヌは既に一人きりだった。なぜこうなったのだろう?そう考えても答えなど出ない。


 王族としての教養を身に着けていても、エルミーヌは政事から遠ざけられていた。城内の陰謀ともまた無縁。民と兵の信望を集め、いずれ訪れる政略結婚のために美しくなり微笑むことだけが彼女の役割。そうして育てられたエルミーヌは内面さえ美しい姫君に成長した。彼女の父である王の望みどおりに。


 エルミーヌは気付いていないが、彼女に今なお命があるのは追っている騎手達がわざと嬲っているからだ。利用価値があるエルミーヌを殺してはならない……そう命じられているのだ。

 そして未だ虜の身となっていないのは美しい姫を殺すことも犯すことも出来ない騎士達の嗜虐心故だ。味方であったはずの者達と戦い、困惑と血に酔った者達にとってせめてこの程度の楽しみが無ければ割に合わないのだった。本来遠巻きに見ていることしかできない存在の命も肉体も自分たちの思うがままという状況は想像以上に彼らを楽しませた。だがそれもここまでのようだった。


 姫がとうとう転倒した。追いかけっこは終わりだ。



「ご安心下さいエルミーヌ姫。姫は生かして連れてくるよう、王から仰せつかっております」



 王が既に自身の父親を示す言葉ではないと気付き、エルミーヌの心が挫けそうになる。それでも声を張り上げた。



「バイエ卿!なぜこのような…わたくし達が何をしたというのですか!」

「強いて言うなら何もしておらぬ故でしょうな。世界は常に乱世。隙あらば寝首をかくは当然の行い。それに……」



 バイエ卿のねっとりとした視線がエルミーヌの身体を舐めあげ、エルミーヌは身を竦ませた。


「あなたのその美しさこそが罪。我が主をはじめとして各国の王を惑わせた」

「え……?」

「あなたを手に入れることができるかどうかはあなたの父上次第。それに我慢できる男などいなかった。そういうことです。私とて命が無ければ……」

「わたくしのせい……?」



 かつて仰いでいた姫君が打ちひしがれる姿はバイエ卿の背中を快感で震わせた。傾国とはこのことか!思わず手を伸ばす。

 手が姫に届こうとした瞬間、よだれが垂れかけていたバイエ卿の口に剣が生えた。


「おごっ!? ごげっ!? ……ゴボッ」

「間に合いましたな。ご無事でござろうか姫君?」



 いつの間にかエルミーヌの目の前に男が立っている。城でも城下町でも見たことがない粗末な外套に身を包んだ、偉丈夫というには少しばかり足りない広さの背中がこの世のどんな城壁より頼もしく見えた。



「あなたは……?」

「ソウザブ。御身の救出を依頼された冒険者の片割れです」



 騎士達の何が悪かったかといえば、間が悪かったと言うほかは無い。姫を最後まで逃がそうとした兵士達が必死に稼いだ時間がこの結果を産んだとも言えるし、時間をかけた追手達自身が悪いとも言えたのだ。

 指揮官を失ってうろたえる兵士らは所詮ソウザブの敵ではない。ある者は奪われた自身の剣で裂かれ、ある者は首の骨を外された。

 半数まで数を減らしてからソウザブはエルミーヌの身体を抱き上げた。



「ええっ!?」

「失礼。一発かましてから撤退とのことだったのでコレ以上は不要。御身も保護できたことですし言うことなしですなぁ」

「ま……待て!」

「あなた方も姫を追う暇などあるならば、逃げるか戻るかするがよいかと。何せ世は乱世にて」



 兵らに一言かけてからソウザブは来た道を逆走していく。相棒と合流してこの国から離脱せねばならないのだ。

 主命を果たせなかったとなれば身が危うい兵たちも追いすがるが、一陣の風となったソウザブには馬とて追いつくことはできない。歯噛みしながら豆粒となった影を見送ることとなった。

 そして、兵たちはソウザブが別れ際にかけた言葉の意味をその日の内に知ることとなる。



「あ……あのソウザブ様!?どこに向かっているのでしょうか!」

「隣国トランタラ。そこの公爵閣下から御身の救出を依頼され申した。相棒と合流してから一旦閣下に御身をお預けいたします」

「大叔父様が!え、一旦……?」



 父以外の男に抱き上げられた経験が無いエルミーヌの顔は赤い。彼女にとって彗星のごとく現れた救い主はおとぎ話の白馬の王子様のようであった。馬には乗っていないが。

 だというのに速い。いかにエルミーヌが世間知らずとは言えこの速度が尋常ではないことぐらいは分かる。皆がこのような速さを持てるのならば誰も馬になど乗りはすまい。驚く他はない短さでソウザブの相棒だという禿頭の巨漢の待つ場所まで行き着いてしまった。



「おうソウ! 上手く行ったみてぇじゃねえか…へぇ、ソレがお姫さんか。なるほどこりゃ見事にお姫様だ。俺はホレス…ソウザブの相棒だよ。にしても約得だったなソウ!」

「約得……まぁ軽くて助かり申した。それはともかく様子はいかに?」

「予想通り…ってやつだな。お姫様にはわりぃがそのままソウに抱えられててくれや。いや顔を見れば満更でもないのか? やったじゃねぇかソウ!」

「え? ……えっ?」



 エルミーヌは言葉の意味こそ理解できているが、事態の流れについて行けていなかった。ホレスのような男はエルミーヌにとって話す機会の無い人間で、面食らっている内に移動が再開されてしまう。

 このまま見知らぬ男達に連れられて行ってよいのか?という疑問はエルミーヌにも当然あったが、壊れ物を扱うような優しさで抱きかかえられていると少なくともソウザブという男は信じても良いような気分になっていた。


/



 無事国境を抜け、高台に3人は立っていた。


「そんな……!」

「あー、ろくに根回しもせずに政変なんぞするからこうなるんだよな……いつ見ても嫌な光景だぜ」



 小さな国とて全体が見渡せる訳でない無い。それでもそこかしこに混乱が見て取れる。特に戦場経験のあるホレスとソウザブには争いが広がっていくのが肌で感じられた。遠くには煙が上がっている。別側の国境付近だ。


 人間族の加護である“繁栄”は確かに機能しているようで世界に人間の勢力は満ちている。だが結果として同じ種族内での争いが絶えない。知識はあっても、まさか自国が巻き込まれるとは考えもしなかったエルミーヌはあまりの現実に膝をつく。

 武力で王権を簒奪した首謀者はそれだけで支配が確定するわけでもない。領主の中には他国と通じている人間もいれば、単に新たな王が気に食わない者も入る。隣接している国々も自分から食卓に上った料理を放って置けるはずはない。時間が経てば経つほど事態は混迷化していくだろう。

 髪や衣服が地につくのも構わず打ちひしがれる姫を気遣いソウザブとホレスは声をかけようとした。



「姫……」

「大丈夫です!」

「うおっ」



 やにわにエルミーヌが立ち上がり叫んだ。その顔は涙に濡れながらも微笑んでいる。



「わたくしはアークラのエルミーヌ! たとえどのような困難に立ち向かおうと、父様と母様がくださった一輪の花たれという教えが消え去ることはありません。アークラの花はどんなときでもあろうと……微笑むのです!」


 凛とした言葉は宣誓のようで、それが誰に向けてのものなのか……自分といつか再び訪れる国に対してだと、ソウザブにも分かる気がした。



「おい姫さん。そういうのは好きだけどよ……今あんたが行っても悪いが……」

「事態をさらに悪くするのみ。分かっております……わたくしには力がありません」



 力…単純にエルミーヌ自身の力というだけでなく、勢力としての力もそうだ。今乗り込んでいっても良くて更なる争いのための神輿だろう。最悪、ただ嬲られて終わりである。

 エルミーヌは奇妙な泣き笑いの表情のまま二人の冒険者と向かい合った。



「ソウザブ様。ホレス様。助けていただいた御恩はいつか必ずお返しします。わたくしはアークラの血が絶えぬよう、そして叶うならばいずれ国を取り戻すべく力を付けたいと思っています。お二人のご活躍のことは大叔父様にも必ず伝えます」



 エルミーヌの感謝の言葉に男達は気まずげに顔を見合わせた。



「あーそれなんだけどよ。なんだ。俺らの下衆の勘繰りかもしれねぇけどよ」

「姫にはすぐさま更なる試練が訪れるかもしれませぬ……まぁ直接会われたのはホレス殿だけなのですが、このような事態になった以上は最悪に備えてもよかろうかと」

「え?」



 二人の推測をエルミーヌは黙って聞く。その胸中がいかなる荒波に襲われているかは定かではないが、一呼吸置いてからエルミーヌは判断を決めた。



「……分かりました。わたくしはお二方に救われた身。その薦めに従います」


/


「戻ったか!エルミーヌよ……おお美しい。ああ冒険者よ良くやったな。報酬を受け取って下がって良いぞ」

 


 公爵の様子は依頼時とは全く違う。ホレスへのおざなりな態度からもそれが分かる。

 今の公爵は全く冷静さというものが消え失せたようだ。最愛の親族が無事生きて戻ったことに感謝するでも、家族の多くが犠牲になったことに涙するでもない。


 しかし、息を荒げる公爵の横柄な物言いにもホレスは黙って従う。悲劇など見飽きているからどうか杞憂であってくれと願いながら。

 歓迎の宴もそこそこにエルミーヌは公爵に連れられて城内を案内された。



「そなたの母のことは残念だった。だがお前は正に生き写しよな」

「大叔父様。わたくしはこれから……どなたの家に嫁ぐことになるのでしょうか?」



 エルミーヌは切り出した。政略結婚の相手次第では祖国の復興も可能だろう。元々王族としての教育を受けてきたのだ婚姻先が決められていることに不思議はない。この歳になるまで未婚だったのも、父王が出し惜しみしていたからに過ぎなかったのだ。本来なら抵抗もないはずだが今は救ってくれた男の精悍な顔が浮かんだ。



「ん? ああ……先行きが不安か? 心配することは無い……お前はどこにも行くことはない」

「どこにも? では一家を立ち上げることが可能なのでしょうか?」



 稀ではあるが未婚の女性が当主となる家門も前例が無いではない。公爵の権威がこのトランタラの国では想像以上に大きく、そうした無理を通せるのかもしれない。その淡い期待は――



「それもない。お前は一生我が手元で暮らすのだ。大丈夫だ……可愛がってやるのだから」



 たやすく裏切られた。

 先のバイエ卿の言葉を思い出し、エルミーヌは大叔父の顔を正面から見た。既に初老の域などとうに過ぎた顔に僅かに欲望の色が見えている。

 人を疑うということを今まで知らなかったエルミーヌはこの時初めて人には隠れた一面があるのだと知り、よろめきそうになる。だがもう泣かないと誓ったのだ。



「そうですか…大叔父様もわたくしが目当てなのですね」

「エルミーヌ?」



 今まで見たことがないエルミーヌの様子に公爵は訝しげな視線を向ける。

 なんということか。冒険者達の言っていた推測は正しかったのだ。離れてるとは言え血が繋がった者が自分の肉体を狙い、昨日であったばかりの他人が彼女の身を案じていた。



「そして、このトランタラもアークラに攻め入ろうとしている。ええ……隣の国ですものね。それが世の習いなのでしょう。でもわたくしは強くなると誓ったのです亡き父と母に!」

「何を……」



 言いかけた公爵の台詞は微笑みの前に掻き消えた。この大姪に突如として備わった気迫に、老人は押されているのだ。



「だから! わたくしをさらって行って下さい! わたくしの王子様!」

「……委細承知」



 突如として廊下の窓が開け放たれた。そう思った時には既にエルミーヌは男の腕に収まっていた。



「貴様!何者か!それは儂のモノ(・・)だ!」



 モノ……物か。醜悪に歪んだ老人の顔が父親と重なり、ソウザブは思わず無表情の仮面を被った。最もソウザブから見た父には理という芯があっただけ、この老人よりはまともだった。

 何よりもその下で疑うこと無く働いていた自分も、同じように人をモノと見ていたのだろう。



「姫が僅かに持たれていた装飾品……“金”は無理でも、“銀”ならば雇うに充当。故にエルミーヌ姫からの依頼により、ただのエルミーヌを取り返しに参った」

「儂に逆らってどうなるか分かっておるのか!?」



 公爵が権威という棒を振り回しても、冒険者の顔は小揺るぎもしない。

 それが恐ろしく無いとは思わない。ただ、見飽きている。



「お好きに。この場で捕らえようとするなり、後日刺客を放たれるなり好きにされるがよかろう。ですが……」



 ソウザブは無言のうちに気を老人に叩きつける。それだけで戦士としての力量を持たない公爵は腰を抜かしそうになる。



「夜討ちであろうとも、いかなる強者であろうとも。あなたがエルミーヌ殿を手に入れることは決して無い。それだけは知っておくのですね。彼女は既に彼女の物なのです」



 言い終わるがいなやソウザブは姫を抱え、闇夜に飛び出す。常人なら危険な高さでも超人には障害とならない。

 夜の星が流れていく。その中を疾駆する男女。


「あの……ソウザブ様?」

「ソウで結構。我が名はこちらの人々には言いにくいようで。」

「……ソウ様。先程のお言葉は本心ですか?」

 


 期待を込めて、姫は男の胸に問いかけた。悲劇から一転して夢の世界に連れ出してくれた男。僅かな時間でこうまで心を傾けることなど考えてもいなかった。



「無論のこと。我が腕の中にいる限り、いかなる敵が来ようとも御身が傷付くことはありませぬ」



 男の口調には真情が篭っていた。その言葉だけでエルミーヌは希望が齎されたことを知った。いかな家に嫁ごうともこの人物ほど力になってくれる所は無いだろうと確信した。彼と共にあれば再び故国の地を踏むことさえ叶うだろう。



「なら! わたくしはわたくしのものではありません。ソウ様のものです!」

「…は?」



 意味が分からぬ。公爵に言った言葉はホレスや自分がいなくとも、彼女が芯から折れることは無いであろう……そうした意図を込めてだった。

 言ってしまったと顔を手で覆うエルミーヌを見ながら、ソウザブは久方ぶりの混乱を味わうことになった。

 

 後日自分が言ったことが何を意味するか相棒に教えられ、祝福と激励を送られるソウザブだった。

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