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クラソリエル

 ロバが嗅覚に優れている、ということは嬉しい誤算だった。それはロバ……や馬に生来備わったもので、どうにもこのロバは身体能力という面においてはほとんど強化されていないらしかった。

 野営の後と足跡を辿り、そこに着いた。

 目の前に石造りの扉がある。左右に開閉するそれは上古の時代に大陸を席巻していた統一王朝の遺跡に他ならなかった。

 扉に這っていたと思しき蔦は千切れており、何者かが入った後であるようだった。


 蔦の断面をしげしげと眺めていたエツィオは一つ頷いて、主君に振り返った。



「当たりですぜ、旦那。つい先日……いや、もっと新しい。入ったばかりかもしれねぇ。ロウタカの門で会った連中かまではわかりませんがね」

「尻馬に乗るようだが、それがしらも入らせて貰うとしよう」

「呼んだか?」

「いや、君は馬じゃなくてロバでしょ…名前付けた方が良いんじゃないかなコイツ」



 それは思い付かなかった、後で話し合って決めるとしよう。目の前のことを片付けてからになるが……ロバには名を名乗る習慣があるのだろうか?



「先に入った者が、先日の冒険者であるかもまだ不明だろう? どうするのですか王?」

「魔剣が実在するかどうかを調べるだけでも意義があるというもの。エツィオとエル殿を連れていく。他はここで待機。外のほうが危ういようなら中に入って来ても構わん。敵がいるならば全て排除しておく」


 弓騎士は不満気だった。

 サライネからすれば仕える者が先を行き、留守を任されるというのは承服し難いのだろうが…荷駄を守る必要もある。ロバは遺跡の中に入れない。ポリカとサフィラだけでは遠が足りない。弓を得手とするサライネには残って貰わねば困るのだ。

 中で活動できる人数も限られている以上、個として優れているソウザブは前に出る必要があった。内部を探索する場合を考えれば魔術を使用できるエルミーヌは不可欠。エツィオはこの探索の主役といえる。それゆえの構成だった。


/


 ソウザブ達を戦闘集団として見た場合、問題となるのはソウザブが突き抜けて強すぎるという点にある。かつては“竜殺し”という存在がいたが、離れて活動するようになって随分と経つ。

 主が抜きん出ている状況はあまり好ましくは無い。ソウザブ自身が仲間にそういった要素を求めていないために軋轢とはなっていないが…先日の魔人との戦いのようにごく限られた場合においてしか仲間が戦力足り得ない。いずれの破綻は目に見えていた。

 魔剣の探索というものがそれを防ぐ一助となる可能性は高い。エツィオの夢に乗っかることにしたのも、そうした事情があるからである。




 地下へと去っていく背中を見送る。

 後に残された面々は思い思いの姿勢で主君らの帰還を待つことになった。



「大丈夫かな、ソウザブ様達」

「心配するのはどっちかというとオレ達の側だと思うけど? 魔人とか魔獣が出たら辛いし」



 ポリカの心配を切り捨てて、サフィラは愛用の小剣の手入れに入った。

 かつてソウザブが自分にくれた剣。使い込んだために年季は入っているが、まだまだ使えるその剣の質は確かだ。それに自分の顔が映るようになるまで磨き上げていく。



「へへー」

「……置いて行かれたというのに嬉しそうだな。私は我が身が歯がゆくてならん」

「そう? 片方を任された、って考えれば良いことじゃない? この前ポリカに言われたことはグサッと来たしねぇ」



 甲冑姿の女はむっつりとロバの横で仁王立ちしており、笑いを誘う姿だ。四角四面な彼女は役目を果たすポーズを取っているつもりらしい。

 


「その時は……あー、ごめんなさい。でもソウザブ様に仕えるようになって改めて思ったけど人の役に立つって難しいね。どうにかしたいんだけど……」



 居場所がない地から外へ出ることにした朴訥な青年。言い換えれば自分の居場所を求めているとも言えるだろうポリカにとっては切実な問題だろう。

 女として求められることがある自分とは違う。強さにしても単純に強くなりたい、というよりは師と同じようになりたいと些か異なっていた。

 かける言葉を思い付かずにいるとロバが首を震わせた。



「どうした、ロバ」

「何やら嫌な感じがしてな……よくわからん。こういう気分は初めてだ」



 獣の曖昧な危機感に待機組は頭を捻った。


/


 地下へと入り込んだ瞬間から嗅覚が異常を検知し始める。

 別段、先祖返りとしての感覚でもなく馴れたものだったからだ。それはエツィオも感じているようだった。



「わずかに血の匂い……」

「それに獣の臭いか何かですかねこれは。こう、戦場跡みてーな感じがしますね」



 戦争というよりはもっと小規模な……住人が獣を相手に抗っている時のような、冒険者が討伐対象を相手取った後のような感覚がそこには満ちている。



「今、灯りを付けますねソウ様。……柔らかな日差しをここに……〈灯火〉」



 浮き上がる灯りにエルミーヌの亜麻の髪が照らされる。地下にあろうともアークラの花の輝きは失せたりはしないものだった。

 エツィオの革鎧姿が前に出る。主君の盾となるべく動いていた。



「……そうだな。もし見つけることがあるのなら、お前が一番最初が良い」

「そういうこってすね。散々助けてもらって何ですが譲ってもらいます。……まぁ先に入った連中が見つけて無ければの話ですがね」



 一行は地下への道行きを開始した。


  一般的な古代王朝の遺跡の作りはそのままだ。だが、途中穴が開いている壁があり、その先には何かの死骸が転がっている。


「何だ、この動物は?」

「おや旦那は見たことがない? ……ちょいとばっかしデカいですが、こりゃモールマンですな。地下から夜になると現れて、ヒトや家畜を襲うことがある連中です」

「光を嫌う? それで地下遺跡に住み着いた……ということなのでしょうか?」



 さぁ……と返答するエツィオ。

 モールマンとやらの死骸は鼻っ面と頭部が切り裂かれていた。切り口から結構な使い手がこれを成したのだと告げている。少なくともこうした相手に慣れている連中なのは疑いない。



「冒険者が通ったと考えるのが自然でしょうな。兵士やら傭兵なんかだともっと違った感じになるもんでさ。切り口が過剰に綺麗とでもいいますかね? 俺っち達ならもっとキタねぇやり口になるんです」



 それはソウザブにも理解できる感覚だ。過去を雑兵に紛れて過ごしてきたのだから。



「それでは先へ進みましょうか。下位とはいえ〈灯火〉もずっと続けられるわけではありませんから。ですわよねソウ様?」

「ええ、エル殿のおっしゃる通り。先を越されないためにも急ぐと致しましょう」



 死骸の後をたどる。中々に規模の大きい遺跡であるのか、地下に広がるはずの大空間にはまだ至らない。

 ここに来るまでに自分達を襲ってくるモールマンはいない。残らず死を迎えた後だ。

 しかし、その数が異常だ。先へ行けば行くほどに増えていく。モールマンに付けられた傷も洗練されたものから、余裕のない印象に変わっていっている。


 少しばかりマズいか? 先に遺跡に潜っている一団は追い詰められ出しているようだった。

 そして、幾度目かの階段を降りた先の踊り場にそれがあった。


 これまでに見たモールマンの遺骸とは異なる背丈の低い死体。捕食されたと見えて、胴の内部の臓物が食い散らかされ、苦悶の顔は貼り付けられたままだ。

 これは先日、ロウタカの街でソウザブ達の話に疑念を投げつけてきたドワーフの成れの果てであった。



「いけ好かねえ奴だったが、こうなるとな……」



 呟き、少しの間目を閉じるエツィオ。

 習って自分も僅かな黙祷を捧げて、傍らの鉄棍を手に取る。



「仇は貴殿の得物に取らせましょうぞ」

「ソウ様が言われるなら大丈夫。穏やかにお眠り、祖神の下に召されますよう」



 エルミーヌが死体の目を閉じる。叫ぶように開かれた口はそのままに、先へと急ぐことにした。


/


 敵の数が多い。余りにも多すぎた。

 連携こそが自分達の武器だった。だからこそ、1人倒れた途端にその弱さを露呈した。

 ダラダイン。鼻持ちならない、口が悪くて……ここまで旅を共にした大切な仲間。後背からいつの間にか現れたモールマンの奇襲を受けて、彼が倒れ伏した。

 余程飢えていたのか、その場で貪り食われる彼を見ながら自分とサポールは前に進むしか無かった。数に追い立てられて……


 そして、今……



「クラソリエル! 君だけでも……」



 モールマンの雲海に赤の巻き毛が消えていく。銀級に昇格したとき無理をして買った銘剣をみっともなく振り回しているのを見守るしかなかった。

 彼が何を言おうとしていたかは分かる。だから、さらに先へと走って……逃げた。



「このっ……なんで……!」



 追ってくる何体かに投剣を放つ。動揺があろうとも、それは確かに命中したが……それだけでは致命傷にもならない。大勢に変化は当然のようにないが、それでもほんの僅かな時間を稼いだ。

 たどり着いたのは大広間。古代王朝の遺跡に共通した建造物が立ち並ぶ区画……本当は皆でここに辿り着く予定だったのに……



「なんで、こうなっちゃうのよぅ…」



 銀の威厳はもはや無く、手近な家屋に入り込み俯いた。

 自分もあと少しすればサポールとダラダインの後を追うことになるだろう。死ぬのは嫌だ。不老長寿を謳われるエルフ種にとってもそれは変わらない。

 故郷の木々から離れてしまった自分に待っているのは祖先とは異なる神の御下……冥神か天神に召し上げられることを意味している。それが自由を求めた代償、神々から与えられた加護を裏切った妖精の末路。


 息が乱れる。汗が布服に染み込んで気色が悪い。

 白い肌は血の気の無さを加えて蒼白に。尖った耳は意気を失い、地へと向かい垂れる。


 ……残った短剣は残り1本。もうサポールがかつて驚き、賞賛した投剣の技は使えない。


 エルフ種には恐るべき木々を操る独自の魔術体系が存在するものの、それはクラソリエルにとっては意味を成さない。自分と縁深い木から離れて旅に出たのだ。

 強力な魔力も生誕地から離れたエルフにとっては無用の長物。仮に使えたとしても、石造りの古代王朝の地にあっては操る木々など存在しなかった。……そもそも、この時既にエルフ種の国は滅んでいるのだが……という事実は知りようが無い。

 故にもはや末路は決定していた。彼女は彼女の仲間達と同じように地下の獣人達の糧となるのが定め。


 足音が聞こえる。二足歩行ではあっても重量感のある音。それに加えて尻尾を引きずる音も。



「なら、せめて……!」



 駆け抜けて。友が夢見た財宝を拝んでから死のう。近くにあるかは知らないけれども。

 顔を上げた森妖精の目には力が宿っていた。

 それは自暴自棄と呼ばれる類の暗い情熱ではあるが、力があることに変わりはない。

 クラソリエルの震えが止まり、足に立ち上がる力が戻る。


 足音が近付いてくる。さぁ……



「行くぞぉぉおぉぉ!」



 人間種のように雄叫びを上げつつ、エルフは飛び出した。


/


 ……彼女が予想していたように、モールマンは既にこの広間へと到達していた。

 


「ふっ――!」



 呼気とともに繰り出される短剣の一撃が赤い花を咲かせる。

 勢いのままに身軽さを活かして敵を踏み台にして、クラソリエルは跳んだ。

 先程までの打ちひしがれる哀れな女の姿は既にどこにもない。まさに銀級冒険者の面目躍如だ。


 槍衾のように足下から突き出される爪を飛び越え、前を目指す。

 元よりクラソリエルとてモールマン達を全滅させられるなど思い上がってはいないのだ。



「まだまだ、先へ――!」



 あるのはその一念。

 穏やかな故郷を捨て去って出立したその日から変わらぬ思いは、正しく動きに力を与えていた。


 それにしても……なんという広さだ。

 地下に広がる建造物の立ち並ぶ空間。幾度も見たはずのその光景。

 一体どのような者達がこれを作ったのか?これほどの物を作る力を持ちながら、なぜ滅びた?

 知りたい、知りたかった!

 仲間と共に。友と一緒に。財宝など本当はどうでも良かった! ただ、長い生を輝きで満たしたがった!


 煌めく短剣が雲霞の如く押し寄せるモールマンの手を、顔を切り刻んでいく。

 しかし、悲しいかな。投げるために作られたその短剣では命を奪うには足らず…



「遠い……!」



 最奥に座す建造物。恐らくは仲間達の求めた財宝が眠る施設、そこに辿り着くにも至らない。

 クラソリエル自身が知りたがっていた古代種の偉大さが、距離という最悪の敵を生み出していた。



「ああ……」



 技術など欠片もない、闇雲に上へと突き出された爪。

 それが、運良く…クラソリエルにとっては運悪く命中したことにより道は呆気なく閉ざされた。

 鮮血が布靴を濡らした。


 最早、痛みさえクラソリエルにとってはどうでもいいことだった。

 命を燃やして行った全霊の突撃行も届かなかった。それだけが無念でならない。

 しかし、これが現実というものだった。

 冒険者であるクラソリエルの足下にも、同じように死と敗残者が積み上がっているのだから。



「しょうがないか。今行くよサポール、ダラダイン……」



 ごめんなさいね。

 続けた言葉と共に背を石壁にもたれ掛けて、迫り来る死を見つめる。

 飢えた犬のような顔を持った人型。それがじりじりと近付いてきて…


 突然、爆ぜた。

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