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魔人ウクイヌ

 侮っていた。

 その事実をソウザブは認めざるを得なかった。

 かつて同じように冷気に属する権能を用いるルクレスを倒したこともその要因の一つだったが……コレは違う。何事も単純な方が強固であるのだ。



「オロロロロ!」



 今も間断なく氷の矢を口から生み出し続ける人外の者。それを前に敏捷神は決定打を打てずにいるのだ。口を文字通りの発射口とする機構から来ている強みを前に苦戦しているのだった。単なる悪趣味かと思っていたが、それは誤りであると短い時間に思い知らされた。


 なにせ敵手は顔を向けるだけで攻撃が成立するのだ。


 いくら敵が速かろうとも関係はない。周囲を駆け回ってみても……首がグルンと回る(・・)。この敵に人間の体の常識など求めることが間違いであったのだ。いかなる仕組みになっているのか、ネジ切れることもないようであり、いくらか試した動きも全て無駄に終わった。


 過日の首を斬られても死なぬ存在を思い出す。ならばこの男もまた魔人と呼ばれる存在なのか? しかし、いくら観察してみても人間種とさほどの差は見られない。……見て分かるような弱点をこの男は抱えていない。

 

 それは完成度の違いから来るものだ。敏捷神も、この地に生きる人々も知らぬことだが……彼ら“魔人”と呼ばれる存在。その中でも上位とされる存在は神が手ずから作った作品にして兵器。


 すなわち、対神用の生体兵器に他ならない。


 製作者たる神々は地に満ちる生命達から、今なお悪神や邪神と呼ばれる存在であるが……そんな印象が蔓延したのもこうした所業から来ているのだ。時が経ってもその恐怖は各種族に刻み込まれている。魔人の威力が自分達に向けられたものでないとしてもだ。


 それは奇しくも各国家が血道を上げる“先祖返り”の意図的な発生を形にしたものであり、一種の完成形であるといえる物。


 現代の先祖返りに匹敵する身体能力。魔法という権能を模した技術を転用して付与された異能。製造者の性能が高いが故に可能という技術のへったくれもない代物ではあるが、確かな脅威として成立していた。


 その中でも製造番号003、ウクイヌは多分に製作者の趣味が混ざった作品といえる。それなりの美男子という造形にもそれが現れている。あえて善神などと称される存在へと向けたデザインなのだ。敵対勢力の美意識に沿った顔立ちが崩れる様を見せつけるのが最大目的だとさえ言えた。



「なんともはや……! いくら世の中が広いと言っても限度があろうに! 大体にして貴殿……何か気に入らない!」

「オロローーー!」



 都合三十回目に及ぶ突撃が失敗に終わり、毒づく。苛立ちの原因はそれだけでも無いようだったが、ソウザブ自身にも分からない。


 放たれる氷が驚異的な硬度を持つことも厄介。切り払いなどすれば人の手による剣など折れておしまいなのである。剣聖などと称される人物ならばそれも可能やもしれぬが……生憎とそんなものは持っていない。一流と超一流の差は近いがゆえに大きい。


 魔力を使って氷を生成しているのは感じられる。しかし終わりがない。人間種が持てる……いやエルフ種が持てる魔力貯蔵量を水袋とするならば、魔人のそれは泉であるかのようだ。こんこんと湧き出して尽きることが無い。

 状況は手詰まりだ。圧倒的な速度と圧倒的な対応速度の勝負は後者に軍配が上がろとしていた。


/


 実はこの状況下で最も困惑しているのは魔人の側だった。


 ダメだ……これは趣味じゃないんだ! 違うんだよぅ!


 内心で悲鳴を上げる魔人の胸中は後悔と恐怖に塗れている。

 ウクイヌは人間種や精霊種を嬲るのが好きなのだ。だからこそ茶番劇を演じてまで近づこうとした。親しくなってから後ろから刺してやればどんな顔をするだろうか?

 あらぬ噂を流して精神的に追い詰めるのも良い。いや、いっそのこと本当に仲間になりきって旅をともにしてから彼らの末路に全てをぶち撒けてやるのはどうだ。


 そんな心躍る事前算段も今戦っている敵を目にした瞬間に吹き飛んでしまっていた。

 今も魔人の自意識を脇に叩きやって止まらない至上命令。


 この感覚を味わったのは一体、どれほど昔のことだったのか。あまりに遠すぎて風化してしまってはいても確かに覚えのある感覚。それは己……魔人が果たすべき宿命であり、それを違えることは一切許されていないのだ。



「オロ、貴様! オロロ! 神かぁっ! オロロ!」



 ありったけの呪詛がほんの一瞬だけ、結晶と化した吐瀉物を撒き散らす最中に言葉を紡いだ。


 呪わしいぞ! 消えたとばかり思っていたのになぜまだ、いるのだ!


 胸中で叫んでみても口は今やまさに言うことを聞かない。

 自分は所詮作り物であり、形作った存在が消えてもこころを縛って奪っていく。それがとても我慢ならないのに……何一つままならない己の体。


 そして、それはソウザブもまた同じだ。敵手がおぞましくて仕方がない。

 人を冒涜しているかのような在り方から? 単純に自身の敵だからか? それとも実は……自分はこの敵のことを良く知っているのか?

 かつて先祖が憎んだ存在に対する感情に、現代に新しく生まれた神もまた囚われているのだ。人がかつての時代に煮え湯を飲まされた毒蛇に恐怖が先立つように。魂に刻まれた偏見が進路を誘導していく。独り立ちの日は遥か遠く、紡がれる言葉も己の真心から発するものではない。



「潰してやる……! 愛を得ようとする覚者を害する人形風情が! ああ、疎ましいぞ……今もまた(・・・・)そうやって邪魔だてするか。使い捨てのゴミめが、それがしの刃にて父親の御下へと送り込んでやろうぞ!」



 それは低位を相手取った時には発揮されない神としての在り方。似て非なるものに対する憎悪。敏捷神は後に続くもの達のために露払いをする神であり、だからこそ氷の使徒が許せない。

 過去最大の精度で権能が振るわれる。未だ使いこなせていない筈の力が勝手に正しい形をとって地上に染み出していく。



「顕神発揮――、一気呵っ!?」



 心と体の不一致。

 許せない、殺してやるという神の精神が身に付けた人として身に付けた感覚を奪った。

 

 地面に突き刺さった氷を起点に広がりを見せる氷蜘蛛の巣に足を絡め取られたのだった。

 上位魔人が放つ氷がただ硬いだけだとでも? 彼らこそは神と相打つ(・・・)べく作られたもの。仕込みの一つや二つは備えていて当然なのだ。



「抜けない……っ!」



 足を固定された状態で繰り出される氷を迎え撃つ。裂けた口が走れなくなった敏捷神をあざ笑っているかのようだ。

 一発目……阿呆なことに敵は胴体目掛けて攻撃をしてきた、体を逸して躱す。

 二発目……流石に間違いに気付いたのか今度は足を永遠に奪おうとしてきた。護身用の短刀で無理矢理防ぐ。

 三発目……今度は剣で切り払った。自分でも奇跡のようなすりあげの一撃は氷を両断した。二度出来るとは思えない。

 四発目……剣が乾いた音を立てて折れたが軌道は逸れた。

 五発目……打つ手なし。符は無垢神との戦いで全て使ったために尽きたまま。いずれくる時のために今のための準備をわざと怠るからこういうことになる。


 全く情けないことで足を失う羽目になった。そして次は命を奪われるだろう。

 覚悟したその時……



「ソウ様! ……〈火球〉!」



 後ろから付いてくるだけ、その筈の者達が駆けつけたのだ。

 先を行くのが敏捷神ならば後に続く者が出るのは当然のことなのだ。

 成り立てであるソウザブには自覚が足りなかった。


/


 自身ごと燃やすかのような勢いで放たれる〈火球〉。攻撃に使用可能な魔術として最も名高いモノの一つで、その効果は確かだ。消費も激しいが。

 それはソウザブの近くの地面に着弾して拘束を緩めた。全力で折れた剣を叩きつけ、離脱に成功する。


「エル殿……!?」

「オレもいるよっと!」



 青の宝石がウクイヌに小剣による攻撃を仕掛ける。当然のように氷が口に現れるのが見えるが……顔に太い矢が当たり、ほんの僅かに狙いを歪ませた。サライネの剛弓に他ならない。

 


「いよっしゃぁ見えてきたー!出来高払い!」



 同時に突き出される槍。持ち主の気性を反映した気まぐれな槍が魔人を襲う。

 しかし、相手は上位魔人。氷撃を差し引いてもその身体能力は先祖返りと互角以上なのだ。小剣と槍は素手で掴み取られ、へし折られる。

 奇襲が成功したのは敏捷神と上位魔人が二人だけの世界に入っていたからに過ぎない。だからこれが精一杯。五人併せて助けとなれるのが一瞬。しかし……それが出来る者が一体どれほどいるだろうか?



「ソウザブ様……!」



 ポリカが投げて寄越すは自分の槍。素人なればこそ、しがみつきたくなるはずの得物を青年は主に捧げた。

 棒にナイフが付け足されただけの槍がいかなる名剣名槍よりも頼もしい。

 ああ、全くそれがしに似合いの得物だ。


 自分の見る目の無さと自意識過剰に羞恥を覚える。彼らに何かを任せようという考えが自分の頭の中に存在しなかったのだから。かつて英雄とともにあったことで成長したはずの心は再び戻りつつあったのだ。

 それを止めた仲間達に報いるならば!



「飛翔するしかあるまい!」



 神としての本能に自己の意識を上乗せする。下にあっては駄目だから。

 目指すは氷の魔人。それを疎んじることはそのままに、しかし人としての技術もまたそのままに。成長するならばいいとこ取りが一番いい。



「顕神発揮――《縦横無尽》!」



 槍を横に突き出したまま、閃光と化した速度で魔人の横をすり抜ける。すり抜ける。すり抜ける。反復横跳びのように定められた軌道でも、速度の桁が違う。

 権能を発揮する前の速度に慣れていた上位魔人の反応は遅れた。機械的な反応に終始していた故の不具合が原因で切り刻まれていく。

 

 ウクイヌは低位のような不細工な本体は持っていない。人に似た姿こそが偽らざる本体だ。だから待っているのは終焉。だから――ソレが作動した。



「オロゲグゥガッ――!?」



 口ではなく喉が裂ける。生まれた傷口から生えるはやはり氷柱。しかし全方位に向けられたそれが喉から生まれるということは……自滅を意味する。


 自分の力であるはずの氷弾が脳をかき混ぜる。首を断ち割って胴から切り離した。


 上位魔人は作品にして兵器であっても、愛児ではないのだ。

 敵の神に痛手を与えることこそが本来の目的。だからこそ能力の過剰行使による自爆(・・)すら備え付けられた命令(プログラム)


 それは正しく実行されて、周囲に自らごとの破壊をもたらした。


 だが見るが良い。

 空から落ちてくる人影の塊を。



「いや、やっぱ旦那の強さはやべぇわ……、人を五人抱えて飛べるか普通」



 着地する。流石に無理がたたったのか、敏捷神は膝をつく。

 全方向に向けられた攻撃はその分、密度に欠ける。放たれる一瞬の間に仲間をかき集めて、迎撃を果たしたのだ。



「今回は助けられた……感謝する」

「へへ……」


 ねぎらいの言葉を受けてエツィオとポリカが笑う。サライネは当然のことのように鼻息を鳴らす。



「それはそれとして、サフィラとエル殿以外はさっさと降りるように」



 どしゃりとエツィオとポリカを落とす。サライネは幾分優しく下ろす。

 扱いの差に男衆は当然、憤慨する。

 そんな上下が取り払われたような光景に敏捷神の宝石達も笑うのだ。



「何気に師匠って依怙贔屓の塊だよね……」

「よろしいではありませんかサフィラさん。ええ、これは約得というのです」



 思わぬ戦闘は終わった。結果だけ見れば魔犬の素材に加えて魔牛の素材も加わって依頼も無事箔付けまで完了だ。

 しかし……魔人との縁がこれで切れるということは…まぁあるまい。

 恐らくは後、一度か二度は関わることになるのだろうなとソウザブは頬をかいた。どうにも先祖返りには生まれつきの因縁がつきまとうものらしい。

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