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神話覚醒

 壁面に叩きつけられてソウザブは地に倒れ伏した。

 強烈な横殴りの一撃、持てる術理を総動員して衝撃を殺し……尚石造りの頑丈な壁が砕けるほどの勢いで弾き飛ばされたのだ。ソウザブは3人目の脱落者であった。


 食い込んだ瓦礫を引き剥がしたゼワが再び敗れたのが一人目。

 活路を見出さんと囮となっていたサイーネが二人目の犠牲者だった。

 そしてソウザブの番が回ってきたのだ。


 このような敗北はホレスと本組手をした時以来。攻めかかっているのが5人がかりでとなると初の経験だろう。強者に蹂躙される弱者という者はこうした景色を見るものかと、霞んだ光景を眺めている。

 四肢に力が入らない。内臓が潰れたのか口からは血が僅かだが流れ出してきている。血の気を失っていく自身の肉体の感覚はどこまでも寒く、悍ましい程に静謐だった。過去の経験が溢れ出して止まらない。思えば重傷を負ったことなど初の経験だった。


 かつてただの汚れ役であった時は即殺するか即殺させられるかだった。そして“先祖返り”となってからは圧倒的な力を振り回して鏖殺した。先日、過去から蘇った英雄を相手取った際に足を負傷した程度しか記憶にない。

 痛みすら感じなくなっていく。これを自分は他人に味あわせて来たのだから、今度は自分の番だと受け入れそうになる。


 …ラクサスが倒れた。距離を取って支援に徹した存在が目障りであったのだろう“無垢神”は初めて歩を進めたのだ。自分(ソウザブ)のような技巧も何もないただの歩みで一瞬にして間合いを詰められたラクサスはあっさりと沈んだ。剣ではなく素手による一撃であったため、生きているかもは知れないが結果は同じことになるだろう。


 残っているのは二人。帝国の威信を背負う白騎士と人界の至宝たる竜殺し。彼らは呆れるほどの実力差を前にしても折れず、食い下がっている。確執も嫌悪も投げ捨てた連携で自分達と仲間の……そして世界中の生命達の明日を繋ぎ止めてくれていた。



「まだだ! 貴様の存在は許されん!我が栄光のために我が剣を受けよ…!」

『ああ、悲しい! 立身出世というやつかい? ロンゴミアの係累のくせに随分と俗っぽい。殺すのが惜しくなるけれど、この子が先約なんだ』



 白騎士の剣は完璧だ。竜殺しすら超える膂力で振るわれる大剣をいなし、躱す。しかし、そこまでだ。時折隙きを突いて刃を返そうとも流れる黒紫色の壁が立ちはだかる。勝負というのは残酷で、攻撃が届かぬ戦士はいずれ敗亡の淵に落とされるのは自然の流れだ。



「クソガキが! そんなに悲しいのなら大人しくお留守番しとけってんだよ!」



 ジュリオスが大剣に切り裂かれんとしたその時に、豪斧が割り込み救った。好き嫌いを抜きにして考えなければならない戦況がそうさせたのだ。最低でも数が相手を上回っていなければ玩具にすらなれない。

 神を相手取り、未だに戦闘が成立しているのはホレスの力によるところが大きい。渾身の一撃を片手で受け止められはするが、逆に言えばホレスの怪力は神の片腕に匹敵しているのだ。攻守ともにか細くとも望みが繋がっているのはホレスが懸命に一行の命綱を支えているからに他ならない。


 体に僅かに熱が戻る。白騎士と竜殺しの共演は確かに戦士として眼福ではあったが、見惚れてどうするのだ。本来、竜殺しの横に並び立つべきなのは相棒たる自分の役目。ソウザブは竜殺しの英雄譚を彩る端役かもしれないが、それこそが自分の誇り。


 近くのサイーネの遺骸が目に入る。帰りを待つ者も多かったであろう、戦士ギルドの女傑。巨人のごとき長身も両断されて半減していて見る影もない。鎖帷子を脱ぎ捨てた鎧下に残っていた短剣を手に握りしめ……それでどうするというのだ?


 恐怖も矜持も何もかもが初の体験だ。やるべきことは分かっていても体は容易く期待を裏切る。勝てる見込みが一切ない戦いに勝算が無いまま突撃して……敬愛する英雄の足手纏になりはすまいか? 期待を裏切り失望させるのではないか?


 怖い、怖い――帰りたい。華のような姫は自身の帰りを待っているだろう。できの悪い弟子はちゃんと鍛錬を欠かしていないだろうか? 短い期間だというのに彼女たちとの関係は複雑で、心地良い。

 怖い、怖い――生きたい。兄達にも礼の一つも言っていない。遥か遠い故郷は今見れば、違う国に見えるだろう。ホレスとサフィラとエルミーヌを招いて、兄達に引き合わせたい。


 ゼワの姿が目に入る。不死者である彼は哀れにも壁に叩きつけられたのみならず、瓦礫で打ち付けられている。それでも死なずに痙攣を繰り返す。

 ……嫌いな男。邂逅の景色が思い起こされる。



『“先祖返り”が頂点だって誰が決めたんだよ。いや頂点ではあるのかもしれねぇが、その中でも優越はあるはずだ。聞けば生き物を産んだ神々は俺達とは比較にならんぐらいつえぇって話だ。ならよ“先祖返り”は入り口に過ぎねぇんじゃねぇのか? そんでもって上に行くにはもう一回覚醒しなけりゃならんのじゃないか?』

 


 うるさい。お前の言うことなど大嘘だ。


 巡る記憶。



『〈神降ろし〉じゃよ。そういえば……おい銀のお若いの。お前さんの故郷では“先祖返り”のことを“祖霊降ろし”というそうだな?』

 


 “祖霊降ろし”……今、敵として見えている神もまた憑代に宿っている。


 そうだ、あと一つ。故郷には自分達のような存在の呼び名があった。

 圧倒的な敵を前にして諦めなかった男がいた。他ならぬ自身に只人の身で勝負を挑んだ男。愛する姫との出会いの日。唸る鞭の音が再生される。



『その動き! 貴様もやはり“先祖返り”か!』

『それがしの故郷では“神成り”とか“祖霊降ろし”とか呼ばれていたものですが』



 現在の生物は古代より弱体化を続けている。遥か古代においては人間もまた、それなりに強大な力を持っていた。神の血が薄まる前に帰るが故の“先祖返り”。

 そう古代の英雄は強かった。“霜柱のルクレス”。あの木乃伊はホレスと力を合わせ、全力を尽くしてようやく倒せた。自分達を苦しめたのはあの……魔力も何も感じない(・・・・・・・・・)冷気。

 

 ジュリオスの鉄壁の防御が破られた。膂力に比して速度に劣るホレスは間に合わない。



『さようならロンゴミアの子』



 それがジュリオスの先祖である神の名なのだろう。“無垢神”が開戦前に親しげに呼んだ名の一つ。その中には……当然……自分の祖先の名も…。



「っあああぁああああ――――!」



 全てが繋がり、彷徨と共にソウザブは駆けた。恐るべき無秩序の神の横を通り過ぎる。生まれて初めてあげる絶叫。それこそがソウザブの産声。



『へぇ――』



 “無垢神”の頬に一筋の傷が走る。既に死体となって久しい憑代から流れる血はほとんどない。無敵の障壁を抜けられたことで、クラヴィの注意がソウザブ一点に絞られた。



『やるじゃないか。流石はイダーテの子。素晴らしい足だね』



 ……辿り着いた答え。“先祖返り”に上など無い。成った時点で既にして完成しているのだ。故に奇跡をソウザブは起こした。眼前の神に劣っていたのは、自身にどのような能力が備わっているかを自覚しなければ話にならないというだけのこと。肉体の強化などは単なる個性に過ぎなかった。

 神代から遥かな時を経た現在に、愛する人々のためにあらゆる戦場を疾駆する敏捷神が顕現した。


/


 ホレスは瞠目した。相棒に訪れた突然の夢物語めいた覚醒。息子分が速いことは知っていたが、今展開されている光景はもはや同じ“先祖返り”であるはずのホレスの目にも負えない。颶風などと生ぬるい閃光の姿がそこにはあった。



「ああっ! アアアアァア――!」



 初めて聞く痛ましい絶叫。そして。



『ははっ! 速い速い! 良いよ、これでようやく遊べる!』



 本物の神の笑い声。幼い少年の声は今までとは違い喜悦に濡れている。今までは弄ばれていただけのはずが、思いもかけず勝負となったのだ。もはや神は竜殺しになど目もくれない。

 先程までのソウザブと同じ感情をホレスは味わっていた。


 ある日突然、尻尾が生えたとしよう。そしてある日、男はその存在に気付いた。

 だが……尻尾を振り回してみることは出来るだろう。しかし尻尾を使って物を掴んだり出来るようになるわけではない。才があればその日に出来るかもしれないが、その瞬間にとは行かない。だからこそ、世界には鍛錬という言葉があるのだ。


 地上に降りたことで弱体化した“無垢神”。神としての“権能”を自覚したソウザブ。二者は既に同じ土俵に立っていると言える。

 地上の如何なる存在にも不可能な速度で室内を跳ね回るソウザブ。繰り出される攻撃に“無垢神”の肉体に傷が増えていく。



『アっハハハ! どうしたんだい? それじゃあ首には届かないよ!?』



 “無垢神”もまた瘴気を攻撃にも用いるようになっていた。剣が折られたことからも分かるように黒紫色の霧は物質的な力も持ち合わせる。霧が叩きつけられて石床が爆ぜるという常識外の事象。それをソウザブは懸命に躱し、無理矢理攻勢を続ける。

 扱い切れない。たった今、権能を行使しだしたソウザブは神としては初心者。同じ土俵に上がったが故にこれまでの性能差ではなく、素人と玄人の差が現れていた。

 

 剣理を一撃に載せるなど不可能。横構えを維持したまま横を通過する、通り魔めいた技とも言えない技が現在の精一杯。かつて身体能力が強化された際にすら武技をすり合わせるのに数年かかっている。ならば短剣を取り落とさないだけ上出来かもしれないが……。

 一跳ねごとに自壊しそうになるのを瀬戸際で防ぐ。いかな神速も緩急が付けられなくては、同じ神に通用するはずもない。覚醒により均衡に戻っていたはずの勝敗の天秤が再び敗北の側へと傾き出す。



 くそっ! くそっ!

 内心で毒づきつつも、ホレスは必死に思考を回転させていた。


 剛は柔を断つ。ヒト相手ならばそれでよかった。しかし神域の争いに飛び込むにはどうすればいいのか?技量を現状維持するだけで上を目指さなかったツケか?いいや違う、もっと根本的なモノが必要なのだ。

 次元が違うのだ。そこに立った息子分を誇らしく思うが、見惚れてどうするというのだ? 師として、相棒として、父親代わりとして、ソウの前に立つのは自分で無くてはならない!


 決意はしても虚しくから回る。相棒に出来たことが自分に出来ないはずはないのだが、相方程竜殺しは器用では無かった。

 おとぎの世界への壁をぶち破る都合のいい手段が必要だ。そんなものなど……。

 あった。目には目を。お伽噺の住人には同じ幻想の存在をぶつけてやればいいのだ。



「おい起きろクソトカゲ! 理由は知らんが、神々(アレ)はお前らの敵なんだろうが――!」



 ホレスは力を込めた。かつてソウザブから借りた符を暴発させたときのことを思い出せ。

 竜殺しは初めてかつての戦利品に膂力ではなく魔力を込めた。


/


 横合いから飛び込んできた灼熱に二神は驚愕した。幸運はクラヴィが足を止めていたこと。竜殺しの奇襲を苦もなく先程までと同様に、片手で制するべく剣を振るう神の顔が歪んだ。

 竜斧は今や鱗に瑞々しい朱を取り戻し、炎熱の力を帯びて無垢なる神を蝕まんと気炎を上げていた。

 

 崩れそうだったソウザブの動きがたちまちのうちに持ち直す。“竜殺し”こそが世界の英雄。ならば傍観者で終わるはずなどあるわけもなく、その片翼を担う自分が自壊などで落ちるわけにもいかない。



『……見事だね。認めよう、イダーテの子。ミョルンの子。君たちこそが我が誇るべき遊び相手だ。故にこちらも全力を出そう』



 余人からは傍迷惑な存在でしか無くとも“無垢神”クラヴィは遊戯を司る神でありそこには一定の信念がある。この時、神は地上を離れて初めて自身の同胞達の子孫を目に写した。

 気まぐれに活かすのも滅ぼすのも相手が玩具であったからに過ぎない。だが、既にこの()は弄ばれるだけの存在ではなく、対等の遊び相手。

 少年神は尊敬すべき相手に出し惜しみは決してしない。遊戯とは真剣にやるから面白いのだ。


 生きとし生けるものの欲望の残滓を固めた災厄を棘と成し、放つ。垂れ流されていただけであった“無垢神”の権能が指向性を帯びる。黒紫雨が古代都市を蹂躙する。

 

 

 自然災害の如き純血の神の暴威を前にして、ホレスとソウザブが蹂躙されたかといえばそれは否だ。

 敏捷神は雨すら速度で振り切り、竜殺しは灼炎で雫を消し去る。

 ソウザブは権能を、ホレスは火を、絶やした時が最後だ。事態は完全な消耗戦となった。しかし、それも終わりが近い。



「くぁっ! ……肉が食いたくなってきやがった!」



 竜の遺骸は別にホレスの味方ではない。それどころか竜に破滅を齎した人間が柄を掴んでいるのだ。仮初の命を与えられた竜は宿敵だけでなく、竜殺しを纏めて焦がさんとしている。

 止めれば殺戮の雨によって磔刑に処されるだろう。かといってこのままでは自分の得物に食い殺される。


 もう一方のソウザブは既に叫ぶ余裕もない。もつれる足を震わせて攻勢を維持する。止まれば攻め手を失う。続ければ自身の権能によって崩れ落ちるだろう。

 消耗戦となったからには敵もそうであると信じたいところだが、横に放たれる棘雨は衰える兆候もない。神の力は無尽蔵なのか無限なのかと思わせた。

 ホレスの影で息を整え、棘を飛び越え、突貫する。――瘴気の壁によって阻まれる。

 神域の闘争は単調であくびが出そうな繰り返しとなった。劇場であれば文句の一つも出たであろうが、異常な執拗さでクラヴィは攻撃を繰り出す。攻守ともに完全。神とはかくあるべし。


 

 状況は突然、急転を迎えた。



『――――!?』



 驚愕は正統な神の物。

 憑代の足に剣が突き刺さっている。地面の下から(・・・・・・)。その華麗な拵えの剣は既に敗北したはずの白騎士の物。



「やれやれ、モグラのように穴を掘る能など学者には似合わんわい」



 これまで“先祖返り”としての能力を見せていなかった魔術師が黒紫色の要塞の内側まで、白騎士を導いたのだ。



「バカは高いところが好きというが、神もまた足下は見ないようだな。……この私が地に塗れたのだ、機会を逃せば承知せん」



 極限状態にある冒険者二人はその隙を見逃さない。裂帛の気合と共にいざ――



「「オオオオォオオォオ!」」



 首が胴から分たれる。胴は火炎によって溶かされる。敗亡の光景を神は呆然と眺める。勝利はヒトの手に。対等では無い存在を飽きた玩具と断じていた神は敗北を手にした。



『遊び相手を見つけたと思ったら、玩具が逆襲に出るとはなんともこれは! ……魂にまで響いた、これは……蘇るのに数世紀はかかるか……その時はまた、遊ぼうよ……』



 生命達の輝きに屈した天上の存在が満足気に還っていく。明日の約束をした少年のように。

 首と胴を破壊されたことで憑代が死を認識してしまった。叶えてあげたいと思った幼い冒険者の願いも魂も冥神の領域へと誘われた。完膚無きまでの敗北だ。最後に残せるのは、彼の剣ぐらいか。

 あらん限りの祝福を勇者達に贈り“無垢神”クラヴィは地上から去った。



「何百年後に生きてる訳ねーだろ。馬鹿か」



 その様子をホレスがにべもなく切り捨てた。

 憑代とされた年若い同業は哀れだと思うが、宿った存在は厄介この上なく、二度と来ないで欲しいと地上に生きる命の願いを代弁していた。

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