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神話への挑戦

 “無垢神”クラヴィ……少年神とも称される幼子の姿をした神。遊戯と成長を司っているとされているが、この神を信奉する者は今となっては殆どいない。


 ヒトは神に明確な正邪を求めるものだ。輝く存在ならば世界を遍く照らして欲しいものであり。邪なる存在ならば堕落の蜜を授けて欲しい。つまるところ方向性を備えた恩恵を与えて欲しいと願っている。

 海に生きる者なら海洋神に航海の安寧を願うだろう。世界の裏側に暮らすものならば他者を害する力を邪神達に希う。真っ当に生きる者ならば平穏を、瀬戸際に立つ者はどうか暴れないでくれと近しい神に頼む。


 とはいえ神には神の世界があるのだ。世界に溢れんばかりに存在する遠い子孫達なぞの細かい祈りにせっせと応えたりはしない。精々が多少目立った願い…信仰心を用いた魔術などに僅かばかりの恵みの雫を垂らす程度だ。それも自身の在り方と相反しない場合に限られている。


 しかし“無垢神”は違う。彼の信者が少ないのも、少ないが絶えないのもこの神がこれまでの歴史において、神にしては相当な頻度で世界に干渉してきたからだ。しかもその行いはクラヴィを正邪のどちらに分類していいか人々を迷わせる。

 ある時は犬の死に涙してあらん限りの祝福を与えて冥界に送り出した。ある時は自身の祠が少し欠けたというだけで近隣の生命を根絶やしにした。ある時は、ある時は、ある時は――。その行動には秩序が見当たらないことだけは疑いなく、恩恵を願うならばこれほど不適当な神もいないだろう。

 他の神々と異なり、現れたことがあるのは確かなため信者も細々とではあるが根強く存在したのだが、こんな傍迷惑な神に願う存在などいてはならないと古今多くの国が徹底的に弾圧した。神を倒すことができずともその手下ならばというわけだ。結果としてかの神の教団は現存していない。そのはずだった。



『やぁ。バルド、イダーテ、イリジス、マグネス、ミョルン、ロンゴミア。こんなに集まって一体どうしたんだい? 今日は何かの催し物があるのかな?』



 ただ話しかけて来ている。敵意無く。それだけで歴戦の猛者達が圧迫感で息苦しさを味わう。鍛錬を経て“先祖返り”になった者には久方ぶりの、生まれつきの者にとっては初の感覚だろう。強者として生きてきた一行が今度は屈服される側に回っていた。


 しかも語りけているのはソウザブ達そのものではない。恐らくはソウザブ達の祖先たる神々の面影をクラヴィは見ていた。

 自分達など視界にも入っていないという恥辱が辛うじて戦意をつなぎとめてくれた。所属も生まれも異なる一行の気持ちが初めて1つになりつつあった。



『……君たち、何か違うね。そうか、眷属か。それはなんて悲しいことだ! 彼らの愛児を殺めなくてはいけないなんて! でも仕方がないよね。この子(・・・)が君たちの名誉を欲しがっている』



 笑い話にもならない。どうやら無垢神は信徒達ではなく、生贄の少年の願いを叶えに降臨したらしい。命まで捧げて願いのための魔力を充填した信者たちはいい面の皮だろう。

 決断まで時間をかけてしまったが、ここまでだ。無垢神は名誉を少年に与えようとしている。名だたる英雄を血祭りにあげたという栄光を。力量差を考えれば逃げることすら不可能。ならばやることは1つ。心は1つ。即ち――怖いから先に殺す。


 味わい慣れない屈辱を怒りに変えて一同は戦闘を開始した。


 一番槍を取ったのはゼワ。未熟であるがゆえに彼は恐怖の度合いが低い。最も早く立ち直り、最も早く攻めかけた!



「神だと!? 最っ高じゃねぇか! お前ならば俺を更なる高みに導いてくれるっ! さぁいざや神話の時代! 踊ろうじゃねぇの――!」



 不死身の新米英雄が気合と共に鉤爪を振りかぶる。この時だけはソウザブは素直にゼワを賞賛したい気持ちに駆られた。対峙しているだけで呼吸すら困難になる難敵を前に未だに彼は願いを維持していた。

 閃光六連。ゼワが先に仕掛けたにも関わらず、後から繰り出された筈の無垢神が剣を幾度も閃かせたのだ。それは“先祖返り”と神の憑代の圧倒的な実力差を示している。地上の肉体に宿ったことで世界に縛られ無垢神は弱体化している。だというのに単純に六倍近い身体能力の差があることを意味していた。

 ゼワの四肢が飛び散る。だがゼワの攻撃は未だ継続している。そう、彼は再生力に特化した“先祖返り”。首を刎ねられても死ぬかすら怪しい存在。逆再生じみた光景を展開しながら鉄爪で神を頂きから引きずり降ろさんと振り抜く。



『それで? まさか死なない程度(・・・・・・)で僕に勝てるとでも?』

「かはっ!?」



 振り抜こうとした筈だった。剣の平で横殴りに弾き飛ばされたゼワは壁に埋め込まれてしまう。死なないのならば動けないようにしてしまえばいいだけのこと。それはソウザブもかつて考えていた戦法であったが、技量ではなく単純なる力押しで行われるともはや呆れるしかない。

 高みにたどり着くこと無く、ゼワはあえなく轟沈した。

 だが、この戦闘はゼワだけのものではない。ならば不死者は既に役目を果たしたと言えるだろう。



「――潰れろ」



 敏捷さに欠けるホレスが近づくまでの目眩ましとなってくれたのだから。

 竜斧が唸りを上げる。大地すら覆す竜殺しの剛力によって振るわれたそれを受けて無事でいられる存在など地上には存在しない。かつて神々と激しく争ったという古竜すらホレスの前には死骸を晒したのだ……!



『――よくも、その悍ましい竜の鱗を僕に向けてくれたな』



 甲高い音が響き渡った。

 あろうことか無垢神はその一撃を片手で受け止めていた。神の手に握られたことによって人の手による大剣すら変質しているのか罅一つ入らない。

 巨漢が両手で懸命に押さえ込もうとするのを片手で捧げ持つ少年。それは正に幻想が現実化した光景であった。

 竜に何か恨みでもあるのか少年神は“竜殺し”に注意を向けている。それは隙だ。



「銀の。合わせな」

「――承知」



 鍔迫り合いの最中を横から攻めるべくサイーネが踏み込んでいる。声に応えたソウザブは既に反対側から同時に横薙ぎの構え。神速の二名による挟み撃ち。剣はホレスが抑えてくれている(・・・・・・・・)

 如何に神といえど憑代はただの人間だ。ならば勝機はまだ消えていない。

 振るわれる双剣と一刀。双剣は胴を。粗末な一刀は首を狙って放たれ――小気味良い音を立ててへし折れた。



「「――!?」」



 無垢神の周囲に黒紫色の霧のような物が展開されていた。それが物質的な障害となって神を守ったのだ。卓越した剣士である二人は鉄すら剣で断つ自信がある。それをこともなく防いだ。無垢神にとってそれは当然のことであるのか、未だに視線はホレスを向いていた。

 ホレスが鍔迫り合いを解き、怒涛の勢いで攻めかかる。ソウザブとサイーネが折れた剣で続く。

 次いでジュリオスも攻めに加わるが、この中で彼は最も神に抗するのに向いていない戦士だった。剣術など所詮は生物を相手にするためのもの。神を相手にするようには出来ていない。

 四人の怒涛の連撃は軍勢すら壊滅させる勢いで回転していたが全て剣と謎の霧に防がれ届かない。



「轟け雷霆! 〈双雷龍〉!」

 


 それを待っていたと武人達は一斉に飛び退く。物理攻撃が通らないならば希望は神秘の力に託す他はない。考えなしに比武に興じていたわけではない。

 ラクサスが高位の術式を完成させる。戦闘が始まってからここまで彼はそれに専念していた。太い紫電が曲線を描き左右から神を包む。その速さは言わずもがな雷速。避けることなど敵わず、城すら崩す天の鉄槌が地上に現出した。



『雷霆? 天頂神の足元にも及ばないね。賢しい魔術師はこれだから困るんだよね……自分達が本当に自然を御しきれていると勘違いをしてばかりで進歩がない』



 衝撃と熱すら黒紫色の壁を通さないのか。クラヴィには何の痛痒も与えてはいなかった。

 これにて現代の英雄たちは万策尽きたのか? 否。



「おい全員。もう四の五の言ってらんねぇ。隠してる技を出せ」



 全員が戦闘の達者だ。ホレスが言わんとしている意味を理解していた。戦闘者であるならば親族、師弟にすら明かしていない切り札を持っている。それを使えというのだ。



「ふん。貴様に従うのは癪だが……こいつを野放しにはできんな」

「あたしの技が多分一番意味がない。先にやらせてもらうよ」

「やれやれ、大赤字じゃわい。最初からそうして居れば詠唱で済んだものを。なぁお若いの、お主もじゃろう?」

「全くにて」



 意見は一致した陣形じみた列を組みながら敵手たる超常の存在を睨みつける。無垢神はその名通りの純粋さで人間達の隠し芸を待っていた(・・・・・)



『相談は終ったかい? さぁ見せてくれ』



 それは子供が玩具を見る目だ。



 目まぐるしくサイーネが神の周囲を駆け回る。鎖帷子を脱ぎ捨てて現れるは無数の短剣。いかなる鍛錬を積めばそれが可能となるのか。全方位から短剣が驚くべきことに同時に着弾していた。

 とはいえ、相手が尋常の生命であるならば全身を串刺しにされるだろう絶技もこの相手にとっては目眩まし程度。瘴気に遮られる。だが、これは続く仲間達のための布石に過ぎない。


 ソウザブが持ちうる全ての符を既にばら撒き終わっている。都合64枚。それが炎を意味する四角に配置される。



「八卦八命――〈炎繭〉!」



 高速回転する炎が相手を包み、かき混ぜる。威力自体に対抗できても窒息を狙う殺人符術。全てが絶妙に干渉し合うよう異なる素材で描かれた符にかかる費用を考えれば正しく大判振るまいだ。ここまでソウザブは全ての攻撃を剣で行ってきた。ならばこそ予測の外の筈で意表を突いたことにも疑いはない。

 だが敵は神。この程度で倒れるような存在か? いいや違うと感じるが故に連携は途切れない。


 ラクサスが巻物から一筋の水流を放った。一見地味だが超圧縮された水による光線。術の難易度は最上級でありいかなる物も貫く。


 最後を飾るは人界最強の戦士二人による必殺の一撃だ。

 ホレスは飛び上がり、全膂力を片腕に集中させて斧自体の重みを加えて振り抜いた。これこそ力技の極み。山をも崩す“先祖返り”の頂点。単純な技ほど強力であると満天下に示すがごとき一撃が炎の上から叩きつけられた。


 だが真に瞠目すべきはジュリオスの技であった。ソウザブは頭上高く掲げた剣から光が迸るのを見た。それは上古の戦士たちが使い、そして失伝したはずの技術。生命力を剣に宿らせ刃と成す〈霊剣(オーラブレード)〉。文字通りの剣術。

 これならば彼が他者を見下すのも当然と言える。白騎士は技量までもが正に“先祖返り”だったのだ。切れ味のみならず射程までもが大幅に増大しており、室内の端まで届く。

 剣に在らざる剣の一撃によって炎の繭が両断された。



『……面白い見世物だった』



 繭から悪夢が再び顔を出した。確かに幾ばくかの傷は与えたようだが致命傷には程遠い。英雄たちによる奮戦虚しく“無垢神”クラヴィは健在だった。


 

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