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始まりは何気ない会話から

 寒風吹きすさぶ断崖の上に男が立っている。無造作に後ろに束ねた黒い髪は男がここより遥か東の血を引くことを示している。少しばかり肌が浅黒いのは民族によるものなのか、野に生きるがための日焼けなのか判然としない。

 その右手には中位の冒険者であることを示す銀の腕輪が嵌められている。



「兄上様方……ソウザブめは随分と遠くに来てしまいました」



 男…ソウザブが遥か彼方の故国に向かって頭を下げる。敬愛する長兄、優しき次兄がソウザブを“追放”してくれたのだ。そのことについてソウザブには感謝の念しかない。

 ソウザブの父親は優秀だが冷酷な人物だった。その父の下で形は違えど共に生き抜いてきたのだ。役目が違うため会話らしい会話が無くとも、兄弟の想いは通じ合っていた。

 父が死に、長兄が後を継ぎ、次兄がその補佐を努めることになったためソウザブには自由が与えられた。ソウザブが大陸へと渡って来たのもそうした経緯からだった。



「おいソウ! なにしてんだオメェ……こんなクソ寒いところにボーっと突っ立ちやがって。さっさと町に行って酒だ酒!」



 筋骨隆々とした禿頭の男が声をかけてくる。ソウザブの相棒であるホレスだった。その腕には上位の冒険者である証、金の腕輪。見る者が見ればそこにさらに細かい装飾が施されていることに気づくだろう。それこそが上位の中の上位であることの証であり、彼の栄光に満ちた半生の象徴でもあった。

 彼はソウザブが冒険者になったキッカケでもある。



「故郷の方を見ていただけです。今行きますよホレス殿……それと寒いのはそんな格好をしているからです。外套ぐらい羽織ったらどうですか」



 ホレスはどんな地域でも軽装を崩さない。かつて砂漠においてさえシャツ姿だったときは何かの呪いを受けてるのかとさえソウザブは思ったものだった。



「何度言わせんだ。コレが俺の一張羅なんだよ!」

「同じ服を何着も持っているのは一張羅と言うんですかね?そのうち斧よりも格好のほうが有名になりかねませぬな」



 軽口を叩き合いながら次なる町の門へと足を運ぶ。ホレスと出会えたのはソウザブの旅における最大の成果だろう。強さのみならず、人柄においても英雄の称号に相応しい人物だった。

 門の前の衛兵はソウザブ達を誰何しようとしたようだったが、年かさの男が若い兵を止めた。ホレスの腕の金の鈍い輝きに気付いたのだ。高位の冒険者の社会的信用は厚い。冒険者組合自体が国の垣根を越えた組織であるため平時であれば一国の都にさえあっさりと入れる。

 もっとも低位の冒険者であればこうすんなりとは行かないものだ。ソウザブも一人では呼び止められたかも知れない。中位の冒険者は低位以上に玉石混交なのだから。

 

 クタレの町……雪がチラつく気候に合わせてか、建物もまた灰色の石材で造られている。規模もそれほど大きくない人間種のよくある町である。この町に限らず北方の町はおしなべて閉鎖的で、道行く住人達にも愛想はない。海が近いため海産物、多少寒いため強めの地酒が名物だ。

 ソウザブとホレスは迷わず酒場へと足を向けた。こうした小さめの町では依頼を斡旋する受付と酒場と宿屋が大体一緒くたなのが普通で、大抵は判を押したように似たような立地に構えている。別に見るべき名所がある町でもないため、余所者がそこを目指すのは必然とも言える。

 


「……らっしゃい」

「なんだ看板娘ぐらいいねぇのかよ。気の利かねぇ店だな! あー、取り敢えずエールと肉な。鶏肉の煮込み」

「それがしにはこの町の地酒を一杯。あとは魚の塩漬けを」



 扉を開けると愛想のない店員が出迎えてくれる。無遠慮に開いている席に腰掛け注文を飛ばす。依頼を漁るより先に酒を煽るのがホレスの流儀だった。ソウザブも合わせて1杯ぐらいは付き合う。


 店員の態度とは裏腹にむさ苦しい店内はざわめきに満ちている。流れ者は残らずここに集うのだから、ソウザブ達にわざわざ目を向けるものもいない。

 初めてこの大陸に流れてきた時はこの騒がしい無関心に面を食らったソウザブも既に慣れてしまっていた。このやかましさは流れ者なりの不安解消であり、団欒であり、また他者の事情に口出ししないという優しさの現れでもあるとソウザブが気付いたのはホレスのおかげだ。



「何だこりゃ。何日前に開けた樽だこのエール……肉も煮すぎだろ……クタクタになってやがる。サクを見習えってんだ」

「ホレス殿が注文で当たりを引いたのを見たことがありませんなぁ。こういう地では地酒の方が無難でしょうに毎度麦酒を頼んでは失敗しておられる」

「ああ? 古都ですげぇ上物引いたじゃねぇか! お前だって絶賛だったぞ! いいか? エールってのは出会いなんだよ! たまに出会う輝きこそ最高ってのが分からねぇならまだお前がガキな証拠だ。証拠。澄ました濃い色に出くわせば一年は安泰ってもんだ」

「おみくじのようなものにござるな。それで何故毎回同じ文句を口にするのです」



 おみくじって何だよ、と呟くホレスを見てソウザブはあるかなしかの笑みを浮かべた。ソウザブ自身も酒場に連れ立って行く度に似たような事を言っているのだ。場所は変われど変わらぬやりとりがソウザブも今では嫌いでは無い。


 三十路がらみに見える依頼受付の女があくびをしている。それを見ればこの町にも大した依頼は無いのだろう。魔物や賊が近隣に住み着けば話は別だが、獣程度が相手なら兵士や住人が何とかしてしまうものだ。このままホレスに付き合って強か酔って寝入ってしまうのも悪くない、そうソウザブは思う。かつての自分ならば考えられないことだ。

 この世界はそう悪くないことに満ち溢れているようにソウザブには感じられていた。故郷では世界に血と嘆きしか無いのかと思っていたが、自由を手にしてみればそれが誤りだったと分かる。世の人々は強かで悲嘆を乗り越える術を知っているのだ。

 だが兄達に報いるなら“悪くない”人生でなく、幸福を手に入れなければならない。だからこそソウザブはいつもの台詞を口にした。



「幸せになるには、どうしたら良いのでしょうかなぁホレス殿」

「またそれか。飽きねぇなお前は。……そんなものはお前、良い家持って、良い女侍らして、金たんまり持ってりゃ付いてくるもんさ。お前の兄貴達だってそう思ってる筈だ」

「ほほう?」



 いつもと違う答えが帰ってきた。常ならばホレスは酒と戦い、あるいは旅や冒険などと言うものだったが、この日は何か思うところがあるらしい。

 ホレスはソウザブの事情をあらかた知っている。他者の事情に口出ししないのが流れ者の暗黙の了解とは言え、3年越しの付き合いなのだ。その間に話題の種などにしていれば自然と伝わったのだ。同様にソウザブもまたホレスのことを知っている。ホレスの妻、サクにも一方ならぬ世話を焼かれたこともある。



「ですが、ホレス殿はどれも当てはまらないではありませんか。家はあっても旅を続け、伴侶はおさく殿一人。金は稼いでも事あるごとにばら撒いてしまわれる」

「旅好きは性分だ。仕方ねぇだろ。あと、金は使うから価値があるんだよ。そんでもってサクは俺にとってそこらの女百人以上束にしても敵わねぇ女だ。どうだ? 完璧だろうがよ?」

「なるほど……確かに。思えばそれがしの父にも多くの奥方がいたものです」



 父親の話が出たことでホレスは顔をしかめる。ホレスとしてはソウザブの父親には生きていれば唾でも吐きかけてやりたいという思いがあるのだ。

 対面の相棒は全てにおいて優れている。そういった戦士がいないではないが、大抵は年季によって得たものだ。ならばなぜまだ青年の範疇に入るソウザブがそれを身に着けているか?

 濁世に生き、平民でありながら功成り名遂げたホレスにはおおよそ想像は付く。鍛錬と修羅場しか与えて来なかったのだ。


 今は随分と人間らしくなってくれたが、出会った当初はまるで絡繰のようでありながら目にしたこと全てに子供のような好奇心を示していた。ホレスの妻も東洋の血を引いていたこともあり、放って置けずに一匹狼の矜持を投げ捨ててコンビを組んだのだ。

 子供ができなかったホレスとその妻にとってソウザブは子供のようなものだ。たまにホレスの家に連れて帰れば、美しくは無いが気風の良い妻は大喜びでソウザブの面倒を見る。その光景がホレスは好きだ。

 その相棒にして息子代わりを実の父親が人斬り包丁にしたてあげたと知れば好感を持つほうがおかしい。たとえ世にはそんな悲劇など溢れていると知っていても、嫌なものは嫌だ。

 だからこそホレスはソウザブに人並み……いや人に数倍する幸福を手に入れて欲しい。ソウザブの兄達とてそれを願ってソウザブを異国に送り出したのだろう。



「だからよ。お前も良い女な別嬪さんをこう、なんだ。何人も抱えてよぅこの世の春ってやつを迎えれば良いんだ。っていうか銀の手枷嵌めてるやつなら一人か二人はいるもんだぞ普通」



 優れた冒険者の実入りは良い。危険度が高い依頼であればあるほど報酬は天井知らずに上がっていく。そのため志す者は増える一方だが、大抵は木の腕輪か鉄の腕輪の段階で消えてしまう。金に次ぐ銀ともなれば貴族ほどとは行かずともちょっとした小金持ちだった。そんな懐事情の中位、上位の冒険者に近づきたい異性もまた多い。

 最上位であるホレスに至っては時折散財しなければ城の1つも軽く買えていただろう額を今までに手にしていた。



「納得はし申したが……“良い女”の基準が良く分かりませぬな」

「そこは自分で探せ。好みってやつがあるからな…なぁに出会ってみれば分かるもんさ。俺もサクと出会った時はビビっと来たもんだ」


 考え込むソウザブを見てホレスは微笑んだ。奇妙に幼いところのある相棒が人との出会いに興味を示したのだ。マズかったはずのエールさえ旨く感じる程に気分がいい。

 ソウザブは好奇心旺盛ではあったが、今までに興味を示したのは風景や文化などに限定されていた。一歩前に進んだ相棒との話は段々と熱を帯びていく。

 ホレスは親代わりの気分に浸るあまり、ソウザブにある極端な熱心さを失念していた。この日のこの会話を馬鹿正直に受け取ったソウザブが後々どういう結果を生むかは流石のホレスも想像していなかった。

 


「あん?」



 酒と話が進み、心地よい倦怠感がソウザブとホレスを包み始めた頃酒場の扉に付けられた鈴が来客を告げた。だが入ってきたのはおよそ場には似つかわしくない上等な服に身を包んだ男。黒を基調とした服と歩き方から高い身分の下で働く者だと察せられた。

 ホレスはもう馴染みとなった嫌な予感を覚えた。一方のソウザブは仮面のような無表情になる。高名な冒険者であるホレスに名指しで依頼したがる人間は多い。指名してくるのは大抵は貴族で、その多くが厄介事だ。

 二人の予想通りに男は迷わずソウザブ達の席に辿り着く。



「……席なら他にも空いてるぞ?他所に座んな」

「“竜殺し”ホレス殿。我が主たっての希望です。どうか当家にお越しいただきたい」



 金の腕輪を嵌めている以上、人違いを装うこともできない。後から現れた冒険者組合の支部長に拝まれ、結局は折れるしかないホレスだった。


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