死を弄ぶ・前編
「なに? 依頼を受けて来た訳ではないのか?」
広々とした歓待の間で長机を囲みながらソウザブ一行は歓待を受けていた。歓待とは言っても狼王の妻が手ずから焼いた素朴な焼き菓子と茶が出されているだけだ。しかしそれは紛れもなく歓迎の品々だ。人間不信の気がある狼王の妻直々にともなれば、ソウザブとホレスがどれだけこの国から特別視されているかが窺える。
狼王国の興りは旅の空から故郷へと舞い戻った狼王……その時は王は付いていなかったが……が、暴漢に襲われる少女を助けたことから始まったという。その少女こそが現在の狼王の妻という訳であった。「人間より狼のほうが信用できます」というのが彼女の持論である。
なぜ、そんな女性からも敬意が払われるかといえば。
「ああ? んじゃ入れ違いにでもなったのか?さっきソウが言っていた通り、お前の顔を見に来ただけだ。嫁が出来ると、狼も鼻の下が伸びるのか気になってな」
「気色の悪い事を言うな。オスの顔を見に来たなどと。貴様などサクの尻にしかれて喜んでいる癖に……うむ、まぁ何だ頑張れよ」
「だからそれ止めろって!」
狼王とホレスがかつての冒険者仲間だからに他ならない。“竜殺し”といえば、ホレスの事を指すがソウザブと組む前のホレスは狼王、後の妻であるサクとあと一人で行動していたのだ。最後の一人のことはソウザブですら知らない人物であった。英雄たちの小集団にありながら他の3名と違い名を残してすらいない。
親しい仲にも礼儀あり。ソウザブはいずれホレスの口から語られるであろう名前を楽しみに待つことにしていた。
「ええっとぉ。オレ達めっちゃ置いてけぼりなんだけど……」
内輪話でばかり盛り上がられては堪らないとサフィラが声を出した。狼王は「これは失礼」と言い先を促した。
「あー、えーと陛下は狼なんだ……ですよね?なぜしゃべ、じゃなかった人間の言葉を?」
「見りゃ分かるだろ。コイツも“先祖返り”だよ。身体能力と一緒に知力も上がる型とかいう反則野郎だ。きっと先祖は見世物小屋にいたぜ」
「噛むぞ貴様。まぁホレスが言うように我もまた“先祖返り”だ。狼の姿を取る神は多いゆえに先祖の神の名は知らぬがな」
そう言うと狼王は湯気の立つカップに舌を伸ばした。がすぐに引っ込めてしまった。狼にも猫舌というものはあるらしい。
いつもよりもさらに淑女然とした振る舞いを見せるエルミーヌが質問をしようと口を開いた。彼女が知りたがるのはソウザブのことに決まりきっていた。
「ホレス様とのご縁は分かりましたが……ソウ様はこの国にどう関わってくるのでしょう?」
質問を聞いてホレスが何かを思い出したのか茶を吹き出した。狼王は苦虫を噛み潰したような目をしている。表情は分からない。
聞いてはならないことだっただろうか?とエルミーヌが謝ろうとした時、それを制して答えが返ってきた。
「この街、というか国にはある祭りがあってな。そこで狼と人間が一緒になって足の速さを競うんだよ……ぶふっ!」
「まぁ何だ。例年は狼が勝利する決まりきった展開の単なる劇じみた催しだったのだが、昨年は疾風のが出場してしまってな」
ああ……、とサフィラが頷いた。走る人々を狼達が引き離し、それをさらにソウザブが引き離す。目に浮かぶような光景だ。エルミーヌは流石、ソウ様! と相変わらずの状態だがもはや誰も気にしていない。
当のソウザブもまたその時のことは覚えている。その祭りにおける初の人間出身チャンピオンとなったことで“疾風”の称号を与えられたのだから。祭りも予想外の展開に大盛り上がり。受けを狙って人間の勝利に賭けていたある男はそれで遊んで暮らしていける金を手にしたとかの顛末も聞いた。
「ホレス殿が笑っているのはその大会の後のことでしょうがね」
「ぶふっ! だってよぅ、狼の名誉を取り戻すとか言って満を持して登場した挙句に負けたやつがいるんだぜ! あー、笑いすぎて腹が痛い!」
「貴様ァ!」
とうとう腹に据えかねたのか狼王とホレスが取っ組み合いを始める。悪友同士がじゃれついてるような気安さがそこにはあったが双方ともに“先祖返り”である。衝撃波を伴っており洒落にならない迫力が同時に展開される。
そこに小気味良い金属音が響いた。狼王の奥方が盆で夫と友人を叩いたのだ。盆の中心はへこんでおり余程の強打だったようだ。
「あなた、ホレス様。お二人に暴れられては部屋が持ちません。外に行くか、さっさと話を進めてくださいまし」
「「あ、すみません……」」
尻に敷かれているのはホレスだけでは無いようだった。
茶が入れ直されたのを機に気分を切り替えたのか、ホレスは表情を引き締めて狼王と会話を始めた。
「で?依頼ってなんだよウルフ。俺が来ると思っていたってことは金級への仕事だろ。そんな差し迫った事態が進行中には見えねぇぞ」
狼王のことをただの狼と呼べるのは王となる前の姿を知るホレス達だけの特権と言える。自分の前任者達の話を聞く度にソウザブには羨望の感情が小さく浮かんだ。
「ふむ……実は東から不穏な気配が目覚めようとしているのを感知している。加えて言えば鼻が曲がりそうな臭いもな。それと同時にそのあたりの小さな町から連絡が途絶えた。捨て置けぬ」
「……お前が行くってのは考えなかったのか?」
「ここからでも鼻が曲がりそうでな、我も我の臣下達も恐らくは全力が出せまい。やるのなら一撃で終わらせたい。最近はガザル帝国の動きも不穏だ。我はどの道ここを動けぬ」
狼王国は他国にない兵種が存在する。狼とパートナーを組む狼士。さらに狼を恐れない馬が手に入った際に誕生する狼騎士。いずれも恐るべき存在として近隣に名を轟かせている。異種族による連携攻撃は類を見ないものだが狼、人間のどちらの体調も万全でなければ真価を発揮できないのだ。
「といった次第でな。経験豊富で異形を相手にも怯まない勇が必要なのだ」
「異形?」
「既に冥神の使徒が向かったとの情報がはいってきている」
「数は?」
「一名だそうだ」
冥神…生者が死を迎えた時、その者が全力で生き抜いた者であるならば冥神が統べる世界で安らぎの眠りを得られるとされている。その使徒が出向くということはつまり。
「正真の魔物か……いや、一人なら死体相手か。町の連中には気の毒なこった……。大体、分かった。ソウ、急いで行くぞ」
「承知」
「報酬の話はしなくて良いのか?」
「舐めんな。全部規定料金だ」
「……変わらぬな、貴様は。時折羨ましくなるぞ」
狼王が口角を釣り上げる。過度の報酬は要らぬというホレスの態度は今も昔も同じであるようだった。狼王の妻に礼を言ってからソウザブ達は王城を後にした。
「どうだ? 人間も捨てたものではなかろう」
「あの方たちは例外中の例外でしょう」
狼の方が人を信じている、というのも奇妙な話である。狼王は大きく伸びをしてから仕事に戻ることにした。
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狼王が手配してくれた快速馬車に揺られながら、一行は件の町を目指す。公務に用いられるものなのか馬車の中はそれなりに広く、クッションも地味ながら質の良いものだ。少なくとも尻が痛くて動けないということにはなりそうも無かった。
移動中は手持ち無沙汰なこともあり、サフィラは退屈しているらしく質問を飛ばしてくる。
「なぁなぁ師匠。冥神の使徒ってなんだよ?」
「その名の通り冥神を奉じる一団……その中で街や村に居を構えて墓守などの仕事に従事するのが冥神の神官。各地を周り、死霊術師や魔物を撃退して回るのが冥神の使徒と呼ばれている。簡単な説明になり申すが、こんなところかと」
さらに言えば冥神の信徒達は数ある宗教組織の中でも特異な地位にある集団だ。死を感じさせるが故に人々から距離を置かれる一方で、多くの慈善も行っているため敬意も払われている。未亡人や戦災孤児などを広く受け入れているために、勢力はかなりのものである。
冥神の懐に抱かれるのが至上の目的である故に、死者を使役する死霊術師や生者の運命を捻じ曲げるとされる魔物などとも激しく敵対しており、特に軍による対応が遅れがちな辺境においては救い主とさえ成り得る。もっとも、その勢力と戦力が故に体勢の側からは好かれてはいない。
「へー、名前は悪者っぽいのに良い連中なんだな」
「古今東西、冥府を統べるものが司るのは理性などであって悪ではござらんからな」
「というか何で知らねぇんだよ。お前の故郷にだって墓守ぐらいいただろう」
「え、いなかったよ? オレの故郷は人が死んだら海に沈めるし」
そちらの方が今となっては珍しい話だ。サフィラの故郷では古い習慣を守っていたのかもしれない。冥神に仕えるものが弔う場合、基本的には土葬になる。地下にこそ冥府があると信じられているからだ。辺境においては先祖である神の元に帰すため様々な葬儀方が今なお残っていた。どちらが良いのかはソウザブには分からない。
「これから赴く先にいる敵はどういったモノなのでしょうかソウ様」
「先に向かっている使徒が一人、ということからホレス殿は動死体を想定されておりますな。死霊術師とそれが率いるあんでっど・・…という具合でしょうかな」
「ウルフのやつ……狼王が鼻が曲がる、とか言ってたから多分間違いないだろうよ。どういう死体なのかは戦ってみなけりゃ分からんがな。今後のために連れてきはしたが今回は嬢ちゃん達は見学してもらうぜ。いきなり死霊術師相手はちと荷が勝ちすぎる。自分の身を守ることだけ考えときな」
最近、成長しがちな女二人は少し不服げであるがソウザブもそれに賛成だ。町の住人全てが変貌している可能性すらある。本音を言えば狼王の下に残してきても良かった程だ。
「今のわたくしたちでは足手まとい。情けない限りではありますが致し方ありませんわ…」
「いやほら最近、剣の腕も上がってきた気がするし案外いけ…」
「緑色の吐瀉物吐きかけてくるやつとか見たことあるぞ」
「する! 見学します!」
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たどり着いた時刻は夜。漆黒に抱かれた町並みは不気味な程静かだ。古い石材で造られた町並みが目立つ…狼王が国を建てる前からあった町なのだろう。
門衛も見当たらない。門も開いたままである。小さな町とは言え歓楽区ぐらいあるであろうに、耳に響いてくる音も無い。最悪の予感が的中しているようだった。
ソウザブとホレスは無言で頷き合い、足を踏み入れることにした。アンデッドの中には夜に活発になるものもいるが、同時に昼であろうと動き回る個体も存在する。どういった類のアンデッドなのかも分からぬのなら解決を早めよう、という考えだ。
とはいえ、かがり火や街灯は既に輝きを失っている。多少値は張るがやむを得まいと考えたソウザブは懐から灯火の符を取り出した。すると、ホレスがジェスチャーを送ってきた。“俺にもやらせろ”だ。肩を竦めたソウザブは符を手渡した。
ホレスが気合を入れて符を掲げた次の瞬間に符が軽く爆発した。ホレスも先祖返りの肉体を持つため魔力もそれなりにはある。あるのだが、〈灯火〉のような繊細な術を扱う場合はそれに応じたコントロールが必要となる。ホレスは魔力を込めすぎたのだ。
後方の女性二人が小さく吹き出す。ソウザブは頭を振る。流石に熱かったのかホレスは腕を振り回していた。
緊張が緩んだ。肩に力を入れすぎるのも危険だ。これはこれで良かったのかもしれない。そうソウザブが考えた時、何かが動く音が耳に届いた。
何かが這うような音。改めて〈灯火〉の符を起動させたソウザブ。先程の小さな音がその何かを誘ったのか。音は近付いてくる。とうとう光の範囲まで寄ってきた何かの姿が目に入った。
それは正しく異形。頭は背中に付けられており、本来腕があるべき場所には足が取り付けられている。人間を材料に造られた蜘蛛。ソウザブにはそのように思えた。
「ひっ」
サフィラが堪えきれずに漏らした声に異形はくりっと顔を向けた。
「お菓子がお肉?」
幾ばくかの知性を残しているのか。それは口を利いた。少年の声であることがさらにおぞましさを加速させる。あまりにもおぞましい姿に憐れを感じたソウザブは一瞬にして間合いをつめ、一刀の下に首を切断した。
しかし、そこで動きを止めてはならない。死霊術師の“作品”を相手にするならば。改めて向き直り腰だめに粗末な剣を構える。
そう、それはまだ動いていた。元々頭部など飾りだったのであろう、特に衰えた様子は見せない。何を頼りに感知を行っているのか、ソレは“敵”であるソウザブにかつて頭があった場所を向けた。
再びソウザブが剣を振るおうとした次の瞬間に、異形は黒い光に包まれた。毒を盛られたかのごとく足掻いた挙句に段々と動きを止めていく。足の指が何度か痙攣した後に動きは完全に止まった。
「〈冥葬〉の術は生者には何らの影響を及ぼしません。とはいえ手助けは不要だったようですわね…」
声とともに鈴の音が近付いてくる。現れたのは喪服を思わせる黒のドレス。顔を覆うベールからは長い耳が突き出している。
先に向かっていたという冥神の使徒であった。




