第四十一話 触れない部分
「きゃっ」
「ごめんね、大丈夫? 痛くない? 暗くてよく見えないんだ」
薄暗い部屋の中、今居るのは俺とジーナさんの二人だけだ。
「大丈夫です、クロウ様。あの、私初めてで……」
「大丈夫だよ、俺も初めてだから」
ここまで密着したのは初めてだ。
ジーナさんの息づかいまでハッキリと聞こえる距離。
触れあう肌と肌。
手がどんどん湿っていく……。
身体を動かすが、緊張しているのか思うように動かない。我ながら情けないな。
「ダメだ。これ以上動きそうに無い」
上下左右に動かすが、びくともしない。
「――っ。クロウ様、あまり激しく動かれると……」
「ごめん、痛かったよね」
動いたせいでジーナさんから微かなうめき声と抗議の声がくる。下手に動かない方が良さそうだ。
「いえ……。クロウ様、何があっても私絶対にお護りしますから」
「ありがとう。でも、無理はしないでね。二人でここから出よう」
ジーナさんがとても頼もしく見える。しかし、護れれるより護りたい。
一刻も早くここから脱出しなければ……。
そう、俺達は閉じ込められていた。何者かの手によって――。
「おおっ、クロウ様。元気そうで何よりです」
「スラークさんも元気そうで。――大人気ですね」
「ええ、これもクロウ様のお陰ですよ! 大人気です。ホットケーキ」
スラークさんのスペースは、沢山の人で賑わっていた。
一口サイズに切り分けられたホットケーキがドーナッツ状に皿に盛られ、その中央には色鮮やかなジャムが視線を釘付けにする。
それと、どうやら言い間違えていたのはジーナさんだけだったようだ。そのことに胸をなで下ろす。
「いや、スラークさんの力ですよ。この皿の盛り付け方とか目を引きますよね」
「実はこの案、妻の考えなんですよ。見た目は大事ですからね。複数の種類のジャムを用意して一緒に食べてもらっています」
試食する人々はやはり女性が多い。何処の世界も女性は甘い物好きらしい。
「ジーナさんから貰いましたよ。私の作ったのより美味しくて――」
短期間でここまで出来るとは予想外だった。別れる際に簡単な作り方は説明していたが、それでもだ。
「いやいや、まだまだですよ。それに、元々実家がパン屋でして……。作り方も聞いていましたからなんとかですかね」
スラークさんに話を聞くと、展示会に出展する物に悩んでいたときにあのホットケーキに出会ったそうだ。
「クロウ様のチョコと酒のお陰です。しかし、あの酒が教皇の聖誕祭用の試作品だったとは……。クロウ様は演技も得意なのですね」
「いやぁ、申し訳ない」
俺は苦笑いをする。あの時はそういうつもりでは無かったのだが、こればかりは申し訳ない。
「いえいえ、珍しい体験が出来ました。それに、その様にしろと言われていたのでしょう? 酒を売るのには許可がいりますからね」
どうやら、穏便に話がついている様子だ。その部分が確認できて一安心する。しかし、そうなるとスラークさんはどうやって売ったのだろうか? リトールさんの話だと売ったと聞いている。
「スラークさんは許可を持っていたんですか?」
「いえ、私は譲っただけですよ。チョコは半分ほど売りましたが。……チョコはまだありますか?」
ニコニコと笑って言うが、売れないなら譲るのが一番だろう。その分の見返りが気になるところだが、これ以上は踏み込まないのがお互いのためだ。
触れてはいけないことは誰にだってある。その見極めも重要だ。
「いやぁ、その……」
チョコについて聞かれたが、俺は返答に悩む。
やはり、これ以上売らない方が良い。物を売れないのは歯がゆいが、身の安全と周りに掛ける迷惑と比べるなら売らないを選ぶ。
少なくとも、脅してきた犯人を特定できるまでは……。
「色々ありまして、売らないことになりました。在庫はまだ少しあるのですが……」
「そうですか……。それは残念です」
残念そうな顔をするスラークさんに、ここぞとばかりに話を切り出す。受け入れられれば良いのだが。
「代わりと言ってはなんですが、スラークさんに試して頂きたい物がありまして――」
俺はスラークさんに事情を説明し、ホットケーキを分けてもらう。そして、予め冷やしておいたずんだ餡を挟む。お手軽ずんだどら焼きの完成だ。
「……これは?」
ただホットケーキを挟んだだけの物を見て、スラークさんはやや反応に困り気味の様子。
「ホットケーキに具を挟んだお菓子で、どら焼きといいます。中の緑色のがずんだ餡といって、試して頂きたい物です。お一つどうぞ」
本場のどら焼きとは異なるものかもしれないが、オリジナルの名前を考えるつもりも無いのでどら焼きの名前を使う。
名前の元となったとされる銅鑼は無いかもしれないが、似たような楽器くらいはあるだろう。
「かなり甘いですね。中の緑色が目を引きます。これがずんだ餡とやらですか」
「ええ。何だか分かりますか?」
更に一口かじって餡の正体を探っているが、段々顔がなんとも言えない表情へ変わる。やはり、甘い豆は受け入れられないか……。
「……もしかして、豆ですか」
「はい。この辺では甘くした豆を使った物は無いと聞きましたので。女性は甘い物が好きな方が多い。ですから、売る相手を女性に絞って調整すれば売れるのではと。このホットケーキとの相性も良いですし」
俺は、ホットケーキとの相性の良さをアピールする。ジャムと一緒なのも美味しいが、餡と一緒ならまた違う味が楽しめる。
こういった食べ方が広まれば、新たな食が生まれるはずだ。その内どこかでつぶ餡の様な物に出会えるかもしれない。
パン屋なら、あんパンの作り方を教えるのも良いかもな。カレーパンや焼きそばパンもいつか試してみたい。
「微かに豆の味はしますが……」
しかし、スラークさんの反応は今ひとつだ。
「妻の意見も聞きたいので、暫く待って頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。その際はこちらのソニャさんにお願いします。彼女が作り方を知っていますから」
「よろしくお願いします!」
ソニャのことを軽く説明して離れることにした。どうやら、問い合わせが多くなり売り子だけでは裁ききれないらしい。
「それじゃ、私達はこの辺で。連れも探さないといけないので……」
「く、クロウ様」
「はい?」
スラークさんが少し思い悩んだ様子で引き留める。
「いや、その……。お身体にお気を付けて……」
「はい、スラークさんこそ」
スラークさんは何か言いたそうな様子だったが、問い合わせのお客さんに捕まり対応していた。
「何か言いたそうでしたね」
「そうだね。何だったんだろう? まぁ、次会った時に聞けば良いよ。それより二人を探さないとね」
スラークさんの様子は気にはなるが、今は二人を探すのが先だ。別れてから数時間は経っている。二人が探し回っているとしたら一刻も早く合流して謝罪しなくてはならない。
エネルドは間違いなく怒っているよな……。甘い物で許してくれると良いけど。
「人が多くて歩くのも一苦労だ」
お菓子ブースを歩いているが、二人の姿は見当たらない。こう人が多いと、歩き回って探すのは難しい。
離れたときの場所を予め決めておくべきだったかな。
スマホで連絡取れば良いと頭の片隅で思っていたため、決めるのを忘れていた。俺だけしか持っていないのにな。
「取りあえず、人が多すぎて目立たないから少し離れて壁際付近に行こう。あの辺なら人も少ないから分かりやすいかもしれない」
俺は人気の少ない壁際を指さし、そこへ向かった。
「色々な種族が居るね」
「そうですね。ここベチアールには色々な方が居ますから。良いところです」
二人を探すため、行き交う人々を見ていたが様々で中々面白い。
俺と同じ人族が一番多いが、エルフや獣人と呼ばれる種族も居る。中には二メートル以上の大柄な人も居た。
「やっぱり違うんだなー。ジーナさんは当たり前なのかもしれないけどさ」
前を見ながらジーナさんに話を振るが、返事がない。
「ジーナさんどうかした? ――っ!?」
ジーナさんの方を見ると、怪しげな男と目が合った。ジーナさんは鼻と口を布で覆われて気を失っているのか、反応が無い。
「ん――っ」
声を上げようとするが、何者かに身体を押さえられ口元に何かが覆われる。
これは、臭いを嗅いだらマズいやつではないかっ!?
ドラマやアニメ等で、襲われたときによく目にするアレだ。薬品……嗅がされて……眠くなるや、つ……。
微かに甘い香りが強烈な眠気を誘う。俺はあらがうことが出来ず、そのまま意識を手放してしまった。
「魔術は使えないんだよね?」
手足は縛られているが、口には何もされていない。大声を出せば誰か助けにくる可能性も高いが、そんな間抜けなことはしないだろう。襲った連中に目を覚ましたのを知らせるだけだ。
「はい。元々、この建物自体にも強力な結界が掛かっています。それと、入り口で貰ったネックレスは魔術を発動できないようにする力が込められていますから。この建物限定ですけど……」
どうやら、入り口で貰ったネックレスはただの身分証では無かったらしい。
武器の持ち込みを厳しく取り締まっているのに、魔術の対策をしていないわけないか。
「クロウ様、複数の足音が聞こえますっ。注意してください」
「わかった。ジーナさんも無理しないで。俺が何とかするから」
徐々に大きくなる足音に、俺は気を引き締める。
こうなった原因は、間違いなく俺だろう。俺がジーナさんを護ってみせる。
犯人の顔バッチリ拝んでやる、覚悟しとけよ。
……手足縛られてるけどな。
触れあってますが何もありません。触れないこともときには大事です。




