第三十三話 理想です
「この机も素晴らしいですね。上質なトレント材を使っていて、気品を感じますな」
「ありがとうございます。この机は私も気に入っているのですよ」
俺は、鉄壁の営業スマイルをしながら話を合わせる。罵声を浴びせられるのは慣れていたが、褒めちぎられるのは慣れていないのでボロが出ないかとヒヤヒヤする。
このやり取りは、もう何度も行われていた。
ラックをログハウスに招きお茶を振る舞うと、お茶を持ってきたジーナさんをひたすら褒めた。次にグラスを褒めちぎり、お茶を飲むと今までに飲んだどのお茶よりも美味しいと褒める。
俺の服を見ると、今までに見たことのないデザインだと褒め称え、今に至るというわけだ。
「ジーナさん、アレを持ってきてくれるかな」
「はい、かしこまりました」
俺は側で待機しているジーナさんに、事前に準備していた物を持ってきてもらうことにする。このままだと、何時まで経っても話が進まないと思ったからだ。
「彼女は美しいですな。あの服はディル神教の神官服のようですが、どのような関係でしょうか」
ジーナさんが部屋から居なくなると、すかさずラックが小声で聞いてくる。ちなみに、ハチとエネルドはこの場に居ない。別の事をしているからだ。
かなり好意的だったもんな。開口一番「この地に舞い降りた女神のようだ」とか言っていたし……。
「ジーナさんは、ディル神教から派遣された私の世話役ですよ。不慣れな私を、色々と世話して頂いています」
「色々とですか……。く……羨ましいですな。はっはっは」
「ええ。料理の手解きや魔術の訓練等ですね。教えについても指導してもらってますよ」
ニコニコとお互い笑い会話をする。そんな中、ジーナさんが用意していた物を持って戻ってきた。
「こちらです」
「……これは」
用意したのはチョコだ。前回と同じ三種類を一粒ずつ。それを小皿に移し替えた物を、ジーナさんがラックの前に置く。
「先日、ある商人に売ったのと同じ品です。試しに召し上がってみてください」
「これが噂のチョコという品ですか……。宜しいのですか? かなりの品だと聞き及んでいますが」
先程まで笑っていたのが嘘のように、顔つきが変わる。こちらの意図を見抜こうと、鋭い視線が送られてきた。
「どうぞ。商品の良さは、実際に味わって真価が分かるという物ですから」
俺は微笑み、食べるように促す。
ラックは恐る恐るキューブ型のチョコを手に取ると、鼻を近づけ臭いを嗅ぐ。そして、口の中に入れると目を閉じ、無言で味わった。その様子は、料理番組の審査員のようだ。
一つ食べ終わるとお茶を飲み、トリュフチョコに手を延ばす。その真剣な様子は、こちらまで緊張しそうになる。
全て食べ終わると、何かを考えるように目を閉じた。
「いかがでしたか」
「全て違う味でしたが、どれも今まで食べたことが無い品でした。あの金額も納得がいきますね。この品は、何処で手に入れたのですか?」
「私の故郷で作られている品です。遠い場所なので、再び仕入れるのは無理ですね」
ディル神に頼めば、もしかしたら手に入るかもしれないが。私利私欲で頼むのは恐れ多い。
「それほど遠い場所なのですか? この品が定期的に手に入れば、かなりの大金が手に入りますよ」
「ええ。ここだけの話ですが、私はディル神の導きによってこの地に招かれました。その時に故郷の品を一緒に持ってきたので、その分が無くなれば終わりです」
俺は声のトーンをやや下げる。神に導かれる存在は過去にも居たので、開示しても良い情報だ。広まりすぎたら困るので、余り広めたくはないのだが……。作戦会議で決めていたことなので問題無い。
異世界から来ましたなんて、口が裂けても言えないけどな。
「それはかなり貴重ですな。このチョコとやらは一粒だけでも身体が癒やされ、活力が湧いててくると聞きました。実際、私も身体の底から力が湧いてくるのを感じます。これを手放すのは勿体ない気もしますが……」
「私は故郷の品が好きですが、いつかは無くなってしまいます。ですからこの味を広め、知ってもらいたいのです。そして、この地で再び似たような物に出会えたら良いなと」
これは、俺の心からの本音だ。ディル神は建前と言っていたが「様々な世界の文化を取り入れ、新たな発展を目指す」というのは、こういったことも含むと思っている。
持ち込みたくない事も沢山あるが、食文化なら広めても問題無いに違いない。それに、上手くいけば代替え品にありつけるかもしれない。
コーヒーが無くて代用コーヒーを開発したように。ビーフシチューが肉じゃがになったように……。
「なるほど。それは、同じ品を開発したいということですか」
俺は、その一言に苦笑する。この世界の食事情は、まだ詳しく理解してはいない。しかし、同じ物を再現出来る気はしなかった。
ディル神のように元の物から増幅して同じ物を作るのは、ジーナさん達に確認したがやはり無理だという。
似たような術はあっても、元となる素材が無いと出来ないらしい。「一から一は作り出せても、一から十は作り出せません。それが出来るから神と呼ばれるのです」と、ジーナさんに聞いたときに力説されたのを思い出す。
「同じ物が出来るとは思っていませんよ。これは『ただの理想』です。ですが、美味しい物を食べる幸せは何処でも同じだと、私は考えています。好みの違いはあるでしょうが」
俺は、一拍置いて言葉に力をこめる。
「ですから、私は広めたい。一度手にした者達が、また欲しいと思えるようなものを」
商売で、固定客というのは非常に重要だ。いかにまた来たい、買いたいと思わせるかが鍵となる。
しかし、手元にあるものは有限で再び手にすることは出来ない物ばかり。商売をしてもすぐに在庫が尽きてしまうだろう。そうなってしまうと先がない。ならば作るしかない。
魔改造は日本人の十八番だ。きっと何とかなる。支援してくれる人達は居る。
「素晴らしい考えですね。ですが、私のような初めて会った商人にその様なことを言っても良いのですか?」
「貴方だからこそ言いました。手広く商売をしている貴方達なら、私の考えが理解出来ると信じて」
俺は、ラックの目をじっと見つめて微笑む。全てお見通しですよと言わんばかりに……。
「いやはや、恐れ入りました。我々は、まんまと餌に誘き寄せられたと言うことですな。分かりました。この件は、サニーゴ様に伝えさせて頂きます」
ラックは肩をすくめ、降参のポーズを取った。その様子を見て、心の中で安堵する。
鎌をかけて正解だったな。後は相手に敵対する意思がないことを伝えて、穏便に商売が出来るようになればよしと。
「出来れば、一度挨拶に伺いたいですね。しばらくの間は、ここから動くことが出来ないと思いますが……」
「落ち着いてからでも構いません。それと、チョコはどれ位売って頂けますか?」
この後ラックにキューブ型のチョコ、トリュフチョコ、カカオがたっぷりのハイビターチョコを各三十個ずつを売って取引は終了した。
その金額、金貨十四枚。少しだけ価格が高くなっていた。
酒の話題が無かったので、帰り際に何気なく確認したら「ディル神教を敵に回すと恐ろしいですからね」と笑っていた。
いったい何があったのか聞きたかったが、この件は何も言うことはないといった様子で打ち切られてしまったので、追及せずに別れる。
後でリトールさんにでも聞いてみるか。
「あー、疲れた」
俺は椅子に座り、缶コーヒーを飲んで一息つく。
仕事の後のコーヒーは格別だな。これを飲むと落ち着くよ。地元の友人以外は、コーヒーと認めてくれないけれど。
「クロウ様はチョコが好きなのですね。再現出来ると良いですね」
コーヒーを飲み干したタイミングで、ジーナさんが話しかけてきた。どうやら落ち着くのを待っていてくれたらしい。
「無理かな」
首を回し軽いストレッチをする。商談は何度も経験しているが、相手の情報が少ないのはやはりキツかった。
「えっ。熱弁していたじゃないですかっ。この世界にチョコを広めると……」
「俺は、チョコを広めたいとは言っていないよ。仮にカカオ豆に似たような物があったとしても、同じ味は不可能だ。一朝一夕で出来るなら苦労しないさ」
ジーナさんは、俺の否定的な意見に言葉を失う。当然の話だ、先までとは正反対のようなことを言っているのだから。
「まずは、原料の調査に確保が大変だ。今まで食べたことがないというのなら、食用として広まっていないのは間違いないだろうね。仮にあったとしても、作る工程が分からない。大雑把な知識じゃ再現は難しいよ」
こんなことになるなら、もっと色々な知識を得ておくべきだったと少し後悔する。元の世界の知識で再現するなら、もっと簡単な物が良いだろう。
いきなりチョコは、ハードルが高すぎるからな。飴なら簡単そうだけど、流石にこの世界にもあるだろうな。
「手始めは――」
「何か、手がかりは無いのですか? このチョコの元となる物の味や特徴が分かれば……」
ジーナさんが悲しげな顔をして、俺の両手に手を添える。どうやら諦めてしまったと、勘違いさせてしまったらしい。
近い、近いって。そんなにチョコが食べたいのか? それとも俺のことを心配してくれているのだろうか……。いやいや、まさかね。
「チョコの原料に近いものならあるから取ってくるよ」
俺は逃げるようにその場を離れ、あるものを取りに向かった。
夜だったら危なかったかもしれない。何とは言わないが……。
「一つ食べてみて。もの凄く苦いから、少しだけ食べて。辛かったらティッシュに出して良いから」
俺はテーブルに黒と金色のパッケージに入ったチョコと、かなり甘いコーヒー。それとティッシュを置く。
チョコで『95』の数字を見たら、知っている人なら顔をしかめるだろう。発売当時に面白半分で『99』を買って食べたが、食べきるのにかなりの時間が掛かったものだ。
今は『99』は廃番となり『95』が店に並んでいる。
「……っ!?」
ジーナさんが、角を少しだけかじると顔つきが一瞬で歪む。そして、もの凄い勢いでコーヒーを飲み干した。
これは見てはいけない顔だったかもしれないな……。
「もの凄く苦いし、ちょっと酸っぱいです。本当に、これが原料なのですか……」
今にも泣き出しそうな顔で、食べかけのチョコをじっと見つめている。食べようと口に運び、手が止まる。その姿がちょっと可愛らしかった。
「無理しないで良いから。昔は薬として扱われていたらしいよ。これに、たっぷりと砂糖やミルクを入れた物がこっちになるね」
ジーナさんにミルクチョコを渡す。赤いパッケージの定番のチョコだ。
「……甘くて美味しいです」
とろけるような笑顔が、俺の心に突き刺さる。……いつかこの気持ちを伝えられる日は来るのだろうか。
じっくりとチョコを味わって食べ終わる頃、エネルドとハチが戻ってきた。
「おっ、チョコじゃねぇか。丁度、甘い物が食べたかったんだよな」
エネルドは、チョコを手に取り口に運ぶ。そう『95』のチョコを……。
「そっちは――」
苦いチョコと言おうとしたが、言い切る前にチョコは口の中に消えていった。
「なんだこれ。これもチョコなのか? これも美味しいな」
その一言で、俺とジーナさんの顔が歪む。その表情はあり得ないといった様子だ。
なんかジーナさんの表情、人を見る目じゃないぞ。あんな顔で俺のこと見られたら、ショックで寝込みそうだ……。しかし、エネルドの味覚はどうなってるんだか。
「食べないのか? 全部食べちまうぞ」
「いいよ」
美味しそうに食べるエネルドをしばらくの間、呆然と見ていた。
これなら納豆に、くさや。世界一臭いと言われている、あの食べ物も喜んで食べるのだろうと思いながら……。




