第十一話 嵐の予感
「おい、ここに居るんだろ? 分かってんだよ、とっとと出てこいっ」
朝食のカップラーメンを食べていると、怒鳴り声が聞こえてきた。
ディル神がここまで入ってはこれないと、言っていた。入ることが出来るなら、それはディル神と同等の力を持つ存在だ。シャッターの向こう側から怒声が聞こえてくる。
いくらクレーム対応で怒鳴り散らす人々を何人も見てきたといえ、威圧感に気圧されそうだ。このまま黙っているとシャッターが壊されそうだと思い、返事をする。
「申し訳ありませんが、どちら様でしょうか?」
相手を刺激しないよう細心の注意を払いつつ、電気の無い今すっかり手動になった自動ドアの前に立つ。
「あん? 誰だお前。ディルの力を感じたと思ったが、中に居るのか?」
先程までの威圧感は無くなったが、不機嫌そうな男の返事がきた。どうやらディル神のことを知っている人物らしい。簡単に説明した方が良いと思い返事をする。
「私は、クロウと言います。ディル神はここに居ません。ですが、少し前にここでお会いしています」
「そうか、何処に行ったとか分かるか? それと、目の前にあるこれは何だ」
「何処に行ったかは分かりかねますが、話すことなら出来ると思います。目の前にあるのはシャッターといいます。扉みたいな物です」
そう言って、手動でドアを開けシャッターを上げる。相手を中に入れたくは無いが、このまま相手を見ずに立ち話は印象が悪い。腰位までシャッターを開けると男が中に入ってきた。
「あー、なるほど。最近あいつがやってる異世界交流ってやつだな」
やはり多少の事情は分かっていそうだ。風除室を物珍しそうに見ている。
どうぞ、と言ってスリッパを用意する。こちらに履き替える文化があるか分からないが、住居スペースに土足で入られては困る。郷に入れば郷に従えだ。
「うん?ああ、履き替えるのか。建物内は土足厳禁な国もあったな」
男は素直に従ってくれた。履き替えている間に、先程の異世界交流を知っている様子を見て、ディル神に近しい存在なのかと推測を立てる。一般市民まで異世界交流が盛んな訳が無いと思いたい。それにここに入れるということは、そういうことなのだろう。
男の様子を、椅子とお茶を用意しながら観察する。肩まで掛かるセミロングの黒髪に、色白な肌。整った顔立ちは何処かディル神と似ている気がした。
「どうぞこちらに。まずはお茶でも如何でしょうか」
テーブルに促し、椅子に座る。男は席に着くと、お茶をグイッと飲み干した。
「へぇ、これがお前の世界の飲み物か。悪くないな」
用意したのは、ミネラル成分がたっぷり入った麦茶だ。値段も手頃な為、夏場はよく飲んでいた。在庫もまだ沢山あるので消費の優先順位も高い。
「どのようなご用件でしょうか?」
単刀直入に用件を聞く。こういったタイプは回りくどい挨拶を嫌うことが多いからだ。
「あいつを見つけ次第、ぶん殴りたい」
「えっ」
思わず驚きの声を漏らす。
「あいつは、俺に面倒くさいことを押しつけたんだよ。あんただって、異世界交流とか訳分からないことに巻き込まれたんだろ?」
「え、えぇ。確かに異世界交流とやらで転移しましたが……」
あまり同意しすぎるとやっかい事に巻き込まれそうなので、軽い同意にとどめておく。
「だから俺は、あいつの居場所が知りたいんだ。さっき、あんたは話すことなら出来るかもしれないって言っただろ。さっさとやって欲しいんだが」
上から目線の話し方は少しムッとするが、そんなことをいちいち気にしていたら接客業ましてや店長など務まらない。真摯な態度を取りつつ、流石に物騒なことを言っている人物を易々と会わすわけにはいかないので、もう少し話を聞くことにする。
「そうしたいのは山々ですが、流石に見ず知らずの方をディル神に会わすわけには行きません。まずは、自己紹介をして頂きたいのですが」
「あんた、この世界のことは何か知っているのか?」
「いえ、数日前に来たばかりで。何も」
「そうか。……俺の名前はラスト、番人だ。とある場所の守護をしている。最近の処遇の悪さを改善して欲しいからあいつに会いたい」
「処遇の悪さの改善ですか」
「あの野郎、儀式をねじ曲げたんだ。もう少しで叶うと思ったのに」
「はぁ……」
肝心な部分をぼかされているので、何が何だか分からない。思い出すだけでイライラするのか、握り拳が震えていた。儀式というものがなんなのか分からないが、かなり重要な儀式らしい。願いを叶える為の儀式をディル神に邪魔されたといったところだろうか。
「つまり、大事な儀式をディル神に邪魔されたんですね」
「そうなんだっ。だからあいつを殴らないと気が済まない」
ラストと名乗った男と目が合う。血のように赤い瞳は見ているだけで、引き込まれそうになる。ピリピリとした気配が身体をこわばらせる。このまま見続けたら危険だと、何かが頭の中で警告する。俺は慌てて目を逸らした。逸らした先には、すっかり伸びたカップラーメンがあった。伸びると美味しくないんだよなと、現状から逃避する。
「なんだそれ」
「私の朝食のカップラーメンです」
「もしかして、お前の世界の食べ物か」
「ええ、そうですよ。食べてみますか?新しいの用意しますよ」
目の前にあるのは伸びきったカップ麺。白に赤と金色のパッケージで、世界中でも食べられているカップ麺だ。どうやらそれに興味を示してくれたお陰か、ピリピリとした気配が無くなった。
「いいねぇ。そういった目新しいものが大好きなんだ。どんな味か楽しみだ」
ラストの口元がニィとつり上がる。背筋をざわつかせるその笑みは、獲物を見つけた獣の様だ。
俺は、急いでやかんに火をかける。二段台車に載せたまでラッキーだった。
「同じものを持ってきますので、少し待っててください」
「ああ。分かった」
この場を離れたくなかったが、離れないと取りに行けないので急いで向かう。売り場を走るのは禁止しているが、誰も居ないのでお構いなしだ。通路のカゴを走りながらつかみ、売り場に着くと目に付いたカップ麺を入れていく。もちろん、目的のカップ麺も忘れない。
「うひゃー。なんだこれっ。変わったものがいっぱいあるじゃねぇか」
声に驚き振り返ると、目の前にラストが居た。キョロキョロと周りを物珍しそうに見ている。どうやら待っててくれなかったらしい。
「なぁ、これなんだ?」
「それはカップ焼きそばです」
「こっちはなんだ?」
「ワンタンスープですね」
「じゃぁこれは?」
「それは春雨スープです」
近くにある商品を手にしては、これは何だと聞いてきた。日本に来たばかりの外国人かなんかだろうか……。しかも、確認した商品は全部俺のカゴに入れてくるし……。はしゃぐ姿は、子供でも見ているような気分だ。先程までの怖い印象が、この一瞬で吹き飛んでしまった。
しかし、この反応を見るとこちらでは同じような商品はないことが分かる。
「おい、これもしかして酒か?」
「それはラム酒ですね」
「へぇ。これがラム酒ねぇ……」
ラム酒なんてうちの店じゃ一種類しか無いのに、ピンポイントで手にするとは。しかも、ラム酒と聞いてニヤニヤと笑い出したぞ。やっぱりこの人は、危ない人だ。さっさと用件を済まして帰ってもらおう。ラム酒はそのままプレゼントだ。在庫もまだあるし、問題ないだろう。
「差し上げますよ」
「良いのか? もう手に入らないんだろ」
「ええ。この場にあるだけですが、私は飲みませんから」
「そうか。――遠慮せずに頂こう。感謝する」
「……いえ。そろそろ戻ってラーメン食べましょうか」
真面目な表情でお礼を言われて、一瞬言葉が詰まってしまった。コロコロと表情が変わるので疲れる相手だが、根は悪い人ではないのかもしれない。
「ああ、そうだったな。楽しみだ」
風除室に戻り、カップラーメンを食べることにした。




