第一話 マルセンマート多鳴店は移転しました
俺は、激しい揺れで飛び起きる。慌てて建物の入り口を出ると、外は洞窟だった。
訳も分からないまま先に進む。少し歩くと、明るい光が前方から見えた。どうやら外に出られるようだ。
不安な気持ちを抑えつつ外へ出ると、見知らぬ場所だった。
「……ここは、森?」
俺は、思わず頬をつねる。痛いので、夢ではないらしい。振り向くと洞窟だ。俺はそこから出てきた。
「どうするんだこれ……」
スマホを取り出し確認するが、圏外だ。もちろんネットも繋がらない。
辺りを見回し、周囲の確認をする。正面は奥まで木々が生い茂り、左右を見ても草木と土で出来た壁が続いている。
数歩下がり、土壁を見上げる。高さは十メートル以上はあるかもしれない。ちょっとした崖である。先はどうなっているのだろうか。
「まさか、店がすっぽりと覆われているのか?」
登れそうな気がしないので、とりあえず周りを歩いて確認をする。何か分かるかもしれないからな。
俺は、警戒しつつ歩き出す。見慣れたアスファルトは何処にもなく、地面には見慣れない植物が花を咲かせていた。そして、森は不気味なほど静かだ。生き物はいるのだろうか?
気温は、日本の冬位の温度といったところか。雪が降り積もらない位の寒さだろう。
「冷蔵庫の中よりは寒くないな」
今の格好で、少し寒いと感じるくらいだ。今の格好は、長袖の肌着に長袖のYシャツと長ズボン。制服のブルゾンを羽織っている。
「俺に、神様がクリスマスプレゼントでもくれたのだろうか? いやいや、年末年始のドッキリ企画かもしれないぞ……」
少し前まで居た場所は、師走の日本。年末の一大イベントが始まるそんな日だ。
しかし、こんな大がかりなドッキリを出来る予算があるとは思えない。馬鹿げた考えを、頭の片隅に押し込む。
「考えながら歩くのは危険だ。注意しながら進もう」
俺は、慎重に壁伝いを歩いた。
ぐるっと半周過ぎた所で、何処からか低い鳴き声が聞こえてきた。
「ヌァーオ、ヌァーオ」
周りを見回し声の正体を探す。土壁に耳を当てると中から聞こえてきた。注意深く周りを観察すると、地面に僅かな隙間が空いている箇所があった。スマホのライト機能を使い、覗いてみると見覚えがある生き物が見える。
ライトに照らされて光る目。それは猫だった。
「猫じゃないか! 待ってろよ今出してやるからな」
備品置き場にスコップが有ったのを思い出し、俺は急いで取りに向かう。
「よーし、もう怖くないぞ」
スコップで周りを慎重に掘り進め、やっとの事で助け出す。怖かったのだろう。助け出し、抱きかかえると爪を立ててしがみついてきた。厚着をしているため、痛みは無いが離れそうに無い。
「あーよしよし、土まみれだな。後で拭いてやるからな」
そう言って、土まみれになった猫の頭をそっと撫でる。
「ヌァーン」
「ヌアーン? ニャーンじゃないのか」
猫はニャーンと可愛らしい声で鳴くものと思ってたが、そうでもなかったようだ。猫なんて飼ったことすら無かったので、思わず声に出してしまう。
「ヌァーン」
「そうか。首輪もしてるし、肉付きもしっかりしてるから飼い猫だったのかい」
猫の言葉なんて分かるわけも無いが、話しかけてしまう。例え言葉が通じなくても、話しかけるだけで安心感が湧いてくる。ハチワレ模様の猫はこちらを見て鳴いた。
「ヌァーオ」
まるで、そうだと言ってるような気がした。
「よし、これから一緒に生活するか。俺も一人であの広い店に住むのは気が引けるし。あっ……」
あることを思い出す。ペットは入店禁止と言うことを。それはスーパーにとって当たり前のことだ。しかし、それを取り締まる者はいない――かもしれない。やはり、状況がよく分からないので情報が欲しいところだ。
「風除室位なら、何とかなるか」
風除室とは、建物へ入る人と共に風が入ることを防ぐために、玄関部に設けられる前室のことだ。外気の熱気や冷気による温度変化を緩和するためのもので、スーパーには必須とも言えるだろう。コンビニとかでも見かける、ガラス張りのやつだ。
うちの店は広めのスペースを取っているので、ショッピングカートやその日の特売品を置いたりしている。今は、ショッピングカートが中にしまわれているだけのはずだ。それをどかしてそこを生活のスペースにするのもありだろう。
売り場は寒いのだ。今は閉店後の冷気が残っているので、余計に寒い。事務所や店長室もありだが、外で何かあったときに気がつきにくいだろう。
「取りあえず一周したら、風除室のカートを移動させるか」
俺は、両手で猫を抱えながら歩き出す。少し歩くと小さな横穴があった。人一人がやっと通れるほどの狭さだ。もう少し先に行けば店の入り口に続く場所に出る。あそこが店の入り口なら、この場所は通用口だろうか。ライトで奥を照らすと、通用口が見えた。
「やはり、通用口か。俺の考えは間違いないかもしれない」
ぐるりと一周して分かったことは、店の敷地内全てが転移したということだ。駐車場の部分は、全部石や土で覆われていてなんとも言えないが、間違いないだろう。実際外に出る部分の洞窟の床は、アスファルトだ。駐車場の一部で間違いない。
しかし、謎も残る。いくら建物が築二年とはいえ、土砂の重さに耐えられるのだろうか? かなりの高さがある様子だ。流石に建物と一緒にぺしゃんこにはなりたくない。だが、何があるか分からない外で過ごすのはもっとゴメンだ。
店に帰り、ハチワレ猫の汚れを拭くことにする。シャッターを開けて中に入り、きちんと閉める。自動ドアのガラス部分にはっきりと『マルセンマート多鳴たなり店』と書いてあった。それは、間違いなく俺が勤めていたスーパーマーケットの名前だ。
風除室の端に猫を置く。
「拭くもの取ってくるから、大人しく待ってるんだぞ」
「ヌァーオ」
人の言葉が分かるのか、返事をすると猫はその場に座った。
風除室から店内に入るときに、俺はあることに気がついた。靴が土で汚れているのだ。それは当たり前のことだろう。森の中を歩けば汚れるに決まっている。店内を汚したくないので靴を脱ぐ。
「売り場にスリッパがあるから、それでも使うか」
これからは、ここが家となる。
スーパーだった頃なら靴のまま歩いていたが、家となるなら靴は脱ぎたい。それに、店内を掃除するのも一苦労だ。幸い閉店後で床清掃をした後なので綺麗になっている。これなら裸足は抵抗があるが、スリッパなら平気だろう。
よく小さな子供が床と戯れているが、あの後きちんと洗ってあげているのだろうか? 見る度にそう思ってしまうが、今はそのことは関係ない。日用品が置いてあるコーナーでスリッパを履き、目的の拭くものを取りに向かう。
備品室に着くと、ある物を探した。衛生ふきんと呼ばれている物だ。ピンクや緑の不織布で丈夫で使いやすいふきんだ。ふきんを数枚と、バケツとぞうきん。モップを掃除用ロッカーから持ち出す。その他に、バックヤードから二リットルの水を一本。
風除室に戻りつつ、スコップを取りに来たときに付いた汚れをモップで拭いていく。気がつくのが早かったお陰で、掃除する箇所が少なくて済んだ。水も貴重品だ。バックヤードにはお茶やジュースに炭酸飲料と飲み物は揃っているが、何にでも使える水は大事に使わねばならない。
「後で、在庫も確認しないといけないな」
やることは沢山だ。取りあえず、新しい住人を歓迎しなくては。
風除室まで戻ると、猫は大人しく座ったままだった。
「よーし、今から身体拭くからな。大人しくしててくれよ」
水でふきんを湿らし、猫の身体を拭いていく。嫌がるかと思ったが大人しかった。前脚の肉球を拭くとグワッと広がった。
「ヌァー」
どことなく不満げな鳴き声だ。あまり触られたくないのだろうか? 一通り拭き終わると、猫は毛繕いを始めた。
「そういや、名前どうするか」
茶色と白の毛並みで、額の部分がハチワレ模様だ。タマにトラやミケといった名前が浮かぶが、トラ模様でもミケでも無い。某アニメの影響でタマは白い猫のイメージだ。ハチワレか。はち……はちと言えばアレしか無い。頭に浮かんだ名前を告げる。
「八兵衛、ハチベェにしよう。ハチワレ模様にぴったりだ」
早速ハチベェを抱き上げる。そこであることに気がついた。無い、オスなら付いている大事な物が無い。
そもそもハチベェはオスなのか? なんか低い鳴き声だからオスだと勝手に思っていたが、まさかメスなのか……。いや、去勢している可能性もある。
「そういえば、首輪にしてたよな。名前が書いてあるかもしれない」
首輪を確認するが、名前は書いていなかった。しかも首輪は黄緑色で、色でオスメスの判別がつけられないときた。赤とか青なら分かりやすいのにと思いつつ、ハチベェを見る。駄目元で聞いてみるしかない。
「なぁハチ、お前オスか? それともメスなのか……」
ハチベェを抱き寄せてじっと目を見ると、ふいっとそらされてしまった。しかも、不機嫌な気がする。目を細めてハチは、何処か遠くを見ているようだ。
まずい、メスだったかもしれない……。よ、よし、別の名前をじっくり考えよう。頭が回らないのはお腹が減っているからに違いない。そう思い、俺は食事を取ることにした。




