第一章 召喚獣のささやかな日常。〈7〉
「瑞希。おまえ、なんか用があってきたんじゃねえの?」
冷静になって考えてみれば、瑞希が病欠したオレの見舞いへくるなんてありえない。
昨晩、瑞希は病臥するオレのところへおかゆをもってきてくれたが、それとて瑞希の母・美奈代さんにたのまれてのことだ(その時はじめてオレが病欠していたことを知ったと云う)。
目がさめたら、徹夜で看病してくれた瑞希がオレのベッドへよりかかるように眠っていた、なんて甘酸っぱいラブコメ的展開なぞ夢のまた夢。
ただ単に、オレが病欠していることを忘れたまま、菜々美ちゃんをお茶にさそった可能性すら充分にある。
「そうだ。思いだしたくもなかったが忘れていた」
瑞希はそう云って席を立つと、ソファー脇にたてかけてあったカバンの中からうすい紙束をとりだした。
「担任からカオルへ答案用紙をわたしておくようあずかっていた。……現国72点、英語34点、数学56点……」
「わあああっ! いちいち点数を読みあげながらテストをひろげるなっ!」
勉強で瑞希に見下されるのは当然のこととあきらめているが、菜々美ちゃんの前で大してよくない点数を発表されるのは恥ずかしい。
オレはあわててローテーブルに置かれた答案用紙と、瑞希の手の中にある答案用紙をひったくった。
「たわけ。今さらさわいだところで点数がかわるわけでもあるまい。海外アニメ映画の主題歌でも歌われていただろう?「ありのままの自分うけ入れるのよ」とかなんとか」
「そーゆー問題じゃないっ!」
「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」ではなく「鴻鵠安くんぞ燕雀の志を知らんや」である。超絶天才に一般中流高校生の気もちなぞわかってたまるか。
「ちなみに、あの曲の訳だが「Let it go」は「ありのままに」ではなく「ほっといて」の方が原義に近い」
「だったら、オレのテストの点数もレリゴーしてくれっ!」
「最初っから興味はない」
「……ま、そうだろうけど」
不毛なかけあいに脱力したオレがソファーへ腰を下ろすと、ハーブティーを飲み干した瑞希がカップを手にキッチンへ移動した。
「用も済んだし私は帰る。ナナミはゆっくりしていくとよい」
「ええええっ!? 瑞希ちゃんが帰るなら菜々美も帰るよ!?」
あわてた菜々美ちゃんもハーブティーを飲みおえたカップを手に席を立ちかけると、
「カオルくんのも」
そう云って、オレのティーカップも一緒にキッチンへもっていってくれた。
菜々美ちゃんの「帰る」と云う言葉に内心がっかりしたが、しごく当然の反応だ。さほど親しくもないひとり暮らしの男子高校生の部屋へとりのこされてはたまったもんではあるまい。オレとていきなり菜々美ちゃんとふたりきりにされても困る。うれしいけど困る。
瑞希がキッチンで洗いものを済ませるとカバンをとりにもどってきた。手には昨晩ごちそうになったおかゆの入っていた小さな土鍋があった。
「あ、ごめん。洗いものありがと」
オレは瑞希に礼を云った。土鍋は洗い桶につけておいたが、ついさっき起きたばかりなので、まだ洗っていなかったのだ。
「今夜はシチューにするとミナヨが云っていた。食べにこられるか?」
「うん。ありがと。美奈代さんにも、おかゆおいしかったってお礼云っといて」
「断る」
「瑞希ちゃん、やっぱりおもしろい」
瑞希の本気とも冗談ともつかぬ言葉に菜々美ちゃんがほほ笑んだ。
帰りしな、玄関で瑞希が菜々美ちゃんへ云った。
「気が向いたらいつでも遊びにきてくれ」
「ええっ? ど、どっちに?」
困惑するのもムリはない。ここはオレのうちであって瑞希のうちではない。
「大丈夫。カオルのことは気にしなくてよい」
「オレんちかよっ!」
やっぱり本気とも冗談ともつかぬ瑞希の言葉に菜々美ちゃんは微苦笑をうかべたまま、そそくさと立ち去った。
……オレ、明日から菜々美ちゃんに口きいてもらえるんだろうか?
5
1学期・終業式の朝である。
家をでて玄関の鍵をかけていると、となりの家のドアが開いて水啼鳥家の長女があらわれた。ひらたく云うと、瑞希である。
「おう。おはよう」
オレが瑞希へ挨拶すると、瑞希は無言でポケットからスマートフォンをとりだして、いきなりどこかへ電話をかけた。
右手首にはめられた小さな腕時計へ視線を落としたので、海外の研究者に連絡する用事でも思いだし、時差など確認しているのかと思ったら、スピーカーからもれ聞こえたのは無機質な日本語と電子音だった。
『……午前7時42分40秒をおつたえします。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン』
瑞希は通話を切ると、安堵の吐息をついた。
「時間はあってる。……カオルがそんなところにいるから世界中の時間が狂っているのかと思った」
「ちょっと待て! おまえ今、オレのこと遅刻常習者あつかいしただろ!? て云うか、どこの世界の遅刻常習者に時間を狂わせるほどの異能があると云うのだ!?」
毎日、遅刻ギリギリの登校ではあるが、遅刻したことはほとんどない。徒歩通学15分と云う地の利を活かし、睡眠時間を極限まで確保した結果だ。
以前はあけ方までPCオンラインゲームに興じていたためだが、いまや〈現実〉の召喚獣戦闘や調教による疲労回復と云った意味あいが強い。
ここ数日は病み上がりで惑星アルマーレへ召喚されていないため、若干、肉体的精神的に余裕があった。それゆえの早起きである。
オレだって1学期の最後くらいはのんびりとかまえたい。
しかし、マジメと冗談の境界線が判然としない超絶天才ザンネン美少女はメガネを鼻梁へ押し上げながら滔々(とうとう)と述べた。
「物質周囲の時空間は常にゆがみを生じている。近年、物質の存在が重力を生起していると云う学説すらある。そもそも一般相対論における時空の定義とは……」
「わかった。わからんことはわかったから、はやく学校いこうぜ。ちんたらしてっとホントに遅刻するぞ」
瑞希の言葉を強制シャットダウンさせたオレに、瑞希が小さく肩をすくめて云った。
「……カオル。ひょっとして朝から私をバカにしていないか?」
「それはこっちのセリフだっ!」