第一章 召喚獣のささやかな日常。〈5〉
オレがTシャツ短パンに着替えて部屋からでてくると、瑞希が玄関から菓子鉢に入ったクッキーを手にもどってきた。
うちにそんな気のきいたものは置いてない。あるのは塩気のきいたスナック菓子がほとんどだ。ひらたく云うとポテチ。
「お茶が入っている」
「ああ、ありがと」
瑞希のあとへつづくかたちでリビングへ入ると、ダイニングに面した対面式キッチンのカウンターであえかな湯気をたてるティーポットとティーカップを七竈さんが見守っていた。
「ナナナカマドさん席につきなさい。お茶は私がもっていく」
瑞希がキッチンごしに菓子鉢ととり皿を七竈さんへ手わたしながら指示した。
「あ、はい」
七竈さんは瑞希のつっけんどんなもの云いにいささか戸惑いながらも、すなおにしたがった。瑞希はその間にティーカップをあたためていた白湯を捨て、最適化した動作でお茶をそそぐ。
「ごめん七竈さん。瑞希はあれがふつうだから」
オレは瑞希の不作法を小声でわびながら、ローテーブルへとり皿をならべる手伝いをした。
ローテーブルをL字に囲うソファーの一辺に七竈さんと瑞希が座り、もう一辺の端にオレが座した。いきなり七竈さんのとなりへ座るほどの厚かましさはもちあわせていない。
瑞希がみんなの席へティーカップを置いた。白い湯気にほのかなミントが香る。その日の気分で30種類以上のハーブをブレンドする瑞希オリジナルのハーブティーだ。
「召しあがれ」
「いただきます」
瑞希にうながされてハーブティーを一口飲んだ七竈さんが感嘆した。
「これ、すっごくおいしい!」
オレも一口飲んで同感した。味の機微こそわからないがブレンドが絶妙なのだろう。
以前、オレも見よう見まねでハーブティーを煎れてみたが、ミントが強すぎてトイレの芳香剤を飲んでいるかのような不快を味わったことがある。いや、もちろんトイレの芳香剤なんて飲んだことないけど。
瑞希は七竈さんの率直な賛辞にまったく応えず、瞑目して一口お茶をすすった。おいおい瑞希さん、こう云う時は「ありがとう」とか「どういたしまして」とか一言あってもよいんでないかい?
「……うちでお茶でも飲んでいかないか? と、さそったのは私だ。かついだわけではない」
瑞希が先刻オレの云ったセリフを時間差で否定した。無表情なので感情が読みづらいが、七竈さんにハーブティーをほめられて照れたのかもしれない。
「ふつう、うちでお茶しない? ってなったら、人んちじゃなくて自分ちだろ?」
オレのツッコミに七竈さんが微苦笑した。
「わが家にこれだけのハーブはない」
「だからと云って、オレんちで勝手に茶をしばく理由になるか!」
瑞希にとってオレの家は「健全な男子高校生がひとり暮らししているおうち」ではなく、オレの両親から「管理をまかされているうち(喫茶室?)」にすぎない。オレのいぬ間にうちへあがりこんで、リビングでお気に入りの音楽などかけながらハーブティーに舌鼓を打っていることも少なくない。……そんな状況にいちいちおどろかなくなっているオレもオレだが。
「……ほんと、すっごい種類のハーブとかスパイスですね」
キッチン棚へところせましとならべられたそれらの小ビンをながめながら七竈さんがつぶやいた。オレが云うのもなんだが、さながら魔女の薬草庫である。
「ハーブティーの基本はカツミに習った」
「……香津美ってオレの母さんのこと。ウチの両親って植物とか薬学関係の人で、ハーブとかスパイスとか漢方薬みたいのが専門なんだ。それであんなんなってる」
圧倒的に言葉の足りない瑞希の説明をオレが補足した。
おそらく都内のハーブやスパイス専門店より種類は豊富なはずだが、無論オレにはちんぷらかんぷらである。ウチにあるスパイスだけで本格的なカレーもつくれるはずだが、オレは市販のルウにたよっている。その結果が今回の惨事だ(て云うか、カレーのルウに罪はないけど)。
「カオルの両親はアマゾンのジャングルで眠っている」
「え? まさかそれって……」
動揺する七竈さんに瑞希が云い足した。
「……ちがうな。眠ったり起きたりしている」
「そこはすなおに暮らしていると云わんか! ……ウチの両親、今、アマゾンのジャングルでフィールドワークしてるんだ。健在だから。生きてるから」
前半は瑞希へのツッコミ、後半は七竈さんへの補足説明である。
「じゃあ香坂くん、今ひとり暮らしなんだ。……それでおとなりの水啼鳥さんにお世話になっているとか?」
七竈さんの言葉に瑞希が小さく頭をふった。
「それはない。ただ、私がカオルの性ドレイとして日々調教されているだけだ」
「人聞きの悪いウソをつくなっ!」
清楚可憐な七竈さんにいきなりどえらい下ネタぶっこむんじゃないっ! リアクションに困っているじゃないか。
「……まあ、瑞希のお母さんにはちょいちょいお世話になってるけど」
「性的な意味で」
「日常生活的な意味でだっっ!」
オレは瑞希の誤った注釈をソッコー否定した。七竈さんにふだんからこんな会話をしていると思われてはたまらない。……いったいどこでこんな下世話なジョークをおぼえたんだか?
オレと瑞希は生まれた頃からおとなりさんである。親同士仲がよいこともあって家族と云うか親戚のようにつきあってきた。
昔はオレの両親が家を空けると瑞希の家で一緒にごはんを食べたり、瑞希の母・美奈代さんがウチの掃除や洗濯をしてくれることもあったが、高校生にもなってそこまでしてもらうのは申しわけないし、ちょっと気恥ずかしい。
最低限の家事は自分でこなしているが、今回のように病気ともなるとお世話にならざるを得ない。感謝感謝である。
おとなりさんで幼なじみで美人のクラスメイトがいるなんて設定のマンガやラノベだと、
「もうカオルったら、さっさと起きないと遅刻しちゃうよ!」
とか云って、毎朝起こしにきてくれたりするものだが、瑞希にかぎってそれはない。微塵もない。
おなじクラスでありながら、昨日オレが病欠していたことにさえ気づかなかったと云うのだから、推して知るべし。