第二章 召喚獣のざわわな夏休み。〈19〉
「システムはミナトが設計し、学習プログラムは私が組んだ。理論は完璧だ」
いぶかしむオレの内心を察した瑞希が先まわりしてこたえた。ちなみに、ミナトとは瑞希の父で天才プログラマーの水啼鳥湊斗さんのことだ。湊斗さんが開発にたずさわっていると云うことは、それなりにマトモなものにちがいない。おそるべし超絶天才父娘。
「商品化とかすすんでるわけ?」
オレの質問に瑞希が頭をふった。
「睡眠学習枕(SLP)での学習内容は大人の場合、長期記憶として定着しないことがわかった」
「……その心は?」
「おぼえてもすぐに忘れると云うことだ」
「子どもの場合はちがうのきゅん?」
そうたずねたのは朱音さんである。
「子どもの場合は長期記憶として定着しそうなのだが、子どもにとっては学習の過程そのものが学習だ。膨大な知識をつめこむことで思考力や創造性の欠如する可能性があるため、お蔵入りとなった」
ようするに、倫理的な問題でボツったらしい。
「それで? その枕をつかえば、まりるの記憶を思いださせることができるのか?」
オレの質問に瑞希がふたたび頭をふった。
「いいや。とりあえず言葉や日常生活に必要な知識だけでもインプットできればと思ってな」
瑞希がリビングのローテーブルに睡眠学習枕(SLP)を置き、自分のバックパックからノートPCをとりだすとUSBコードで直結した。
「今からまりる用の学習プログラムを組む。2時間ほどで組み上がるはずだ」
ソファーの定位置へ腰を下ろした瑞希は目にもとまらぬタイピングを開始した。こうなるともう青き衣を身にまとい金色の野へ下り立つ風の谷族長の娘でも瑞希のプログラミング作業はとめられない。
必然的にまりるの相手をするのはオレと朱音さんになるわけだが、ふと見ると、まりるはソファーに腰かけたまま、ゆらゆらと舟をこいでいた。どうやら相当眠たいらしい。
「ありゃ? マリルンおねむだね。……私、布団しくから、カオルちゃんマリルン運んでくれる?」
まりるのようすに気づいた朱音さんが席を立つと、和室の布団をひろげた。オレも手伝ってシーツなどかけ、まりるを運んで寝かせた。タオルケットをかけてやると、まりるはすぐに寝息をたてた。童女と云うより幼女のようだ。
まりるのお昼寝でとりあえずやることのなくなった朱音さんが大きくのびをしながら云った。
「う~ん。ほんじゃ、私も受験勉強すっかね~?」
スポーツバッグの中から勉強道具をとりだすと、瑞希のはす向かいへ座した。
「あの、オレちょっと疲れたんで、自分の部屋で休んでていいですか?」
「うん。よいよ。晩ごはんの前に声かけたげるから、それまでゆっくりしてて」
「すいません。それじゃ、まりるのことよろしくおねがいします」
オレは朱音さんへ頭を下げると、玄関わきに位置する自分の部屋へもどった。ベッドへ倒れこむと無自覚だった疲労が一気に身体へのしかかってきた。オレはなにか忘れている気がしたのだが、それを思いだすことなく眠りに落ちていた。
10
夏期講習の授業がおわり、帰り支度をしていると、菜々美ちゃんが教室へやってきた。
「あ、カオルくん! よかった、まだいてくれて」
「菜々美ちゃん。昨日はどうも」
教室をあとにする生徒たちをかわしながら近づいてきた菜々美ちゃんが小声でオレヘ訊ねた。
「まりるちゃんのようすはどう?」
「食欲も旺盛だし、ふつうに元気だけど、記憶の方はまだ……」
オレが頭をふると、菜々美ちゃんが小さく肩をすくめた。
「そっか。まあ、でも昨日の今日だもんね。気長にようすをみるしかないか」
オレとしてはあんまり気長にかまえたくもないのだが、こればっかりは神の味噌汁、もとい神のみぞ知るで、まりるの記憶がもどるのを静観するしかない。
「菜々美、午后4時まで部活なの。そのあとカオルくんとこよってよいかな?」
くっは~~っ! なにそのセリフ? チョ~萌え~っ!
菜々美ちゃんの目的があくまでまりるとわかってはいても、そこはシビれるあこがれる甘美なひびきである。わが青春に悔いなしっ! ……てな気分をおくびにもださず、オレは平静をよそおってこう応えた。
「ああ、全然。まりるも喜ぶと思う。……て云うか、菜々美ちゃん、まりるを見たらおどろくと思うよ」
「え? なにそれ?」
「まあ、ウチへきてからのお楽しみってことで」
「え~? なに、なんなの?」
「教えたげません」
「もう、カオルくんのいぢわる!」
菜々美ちゃんが堀江由衣にも似た節度ある甘えた口調で拗ねた。そう云うところもすっごくカワイイ。
「あ、菜々美、友だちとお昼ごはんの約束あるんでいくね。それじゃ、また!」
「うん。また」
オレが小さく手をふると、菜々美ちゃんは教室をあとにした。




