第一章 召喚獣のささやかな日常。〈9〉
「はよーす」
オレと瑞希が教室へ入ると、壁際の席に鳩首する女子たちがこちらをふりかえった。
「おはよう、瑞希ちゃん。カオルくんも」
「おはよう」
「おはよう、菜々美ちゃん」
女子たちにまざっていた菜々美ちゃんの挨拶に瑞希とオレも応えた。至福の一刻である。
先の一件以来、オレと菜々美ちゃんは毎日挨拶をかわすようになった。どう云うわけか1対1だと上手に会話をつづけられないが、瑞希がそばにいるとちょっとだけ会話がはずむ。
オレはさりげなく訊ねた。
「なにしてんの?」
「夏休み中の部活のスケジュールとか見てたの」
菜々美ちゃんは吹奏楽部のクラリネット奏者だ。文系だと夏休み中の部活なんてあってなきがごとしものだが、吹奏楽部は弱小運動部の応援とか吹奏楽のコンクールなんかがあってタイトなスケジュールであるらしい。
「1年はまだレギュラーじゃないからアレだけど、まるまる休みってなるとお盆くらいしかないんだよね。……瑞希ちゃんは夏休みなにしてんの?」
「特にない。……あれ? アメリカいきはいつだ?」
「おまえの予定をオレに訊くな。8月上旬だろ」
瑞希から聞いたわけではない。美奈代さんから「一緒にいかない?」とさそわれたので知っていただけだ。親戚同然のつきあいとは云っても、親子水いらずの海外旅行へついていくほど野暮ではない。無粋ではない。
「え~、瑞希ちゃんアメリカいくの? いいな~」
「しかたなく」
うらやましげな嬌声をあげる菜々美ちゃんたちとは対照的に、瑞希がいつもながらの冷めた口調で応じた。
瑞希のアメリカ旅行は『観光』ではなく『講演』がメインだ。
NASAおよびさまざまな権威ある大学でムツカシイ宇宙論の講演をおこない、学会へ出席するのが目的である。ただでさえ英語の苦手なこのオレが、そんな旅行に同伴してもヒマをもてあますだけだ。
「……カオルくんはご両親のとことかいかないの?」
「いやいや。この時期、熱帯のジャングルはキツイって」
オレは頭をふって否定した。避暑地ならまだしも、遠路はるばる日本より蒸し暑くて虫とか多くてウザいところへいくなんて狂気の沙汰だ。ごめんこうむる。
「前期の夏期講習もあるし」
オレは教室掲示板に貼りだされた夏期講習の日程表へ顔を向けた。
ウチの高校では希望者と成績のかんばしくない者向けに夏期講習がおこなわれる。オレは後者で英語の夏期講習をうけねばならない。
「カオルくん、夏期講習うけるの? それじゃ夏休み、学校で会えるかもしれないね」
く~っ! 菜々美ちゃん、なんと云う罪深い一言! その無邪気な言葉と屈託のない笑顔にどれだけの男子がありもしない期待に胸おどらせ、心ときめかすことか!?
うぬぼれるなオレ! 真にうけるなオレ! 菜々美ちゃんは夏休みもオレに逢いたいとか「夏休み一緒にどこかへいきたいな」とか「夏休み一緒にどこかでお泊まりしたいな」と言外にほのめかしているのではない!
純然たる可能性を示唆しているだけであって、決して他意など恋慕の情など……期待しちゃおっかな。
「なにをひとりで百面相している?」
瑞希の言葉でわれにかえった。内心の葛藤が表情にでていたらしい。
気がつけば、菜々美ちゃんは机にひろげられた吹奏楽部のスケジュール表へ向きなおり、ほかの女子たちときゃいきゃい云いあっていた。……フッ、みじけえ夢だった。
「あ、ねえねえ! 30日って弁天川で花火大会あんじゃん! あれみんなでいこうよ!」
スマートフォンで7月のイベント情報を検索していた吹奏楽部員・園丘の言葉に女子たちがわきたった。
一瞬、蚊帳の外へ置かれた瑞希に気づいた菜々美ちゃんが声をかけた。
「瑞希ちゃん、アメリカは8月だよね? もし予定なかったら、瑞希ちゃんも一緒にいかない?」
そして、その視界の隅へ映りこんだオレにも気づくと、菜々美ちゃんはおずおずと云った。
「あ、……よかったら、カオルくんもどう?」
……やってきました、大どんでんがえしっ!
瑞希の金魚の糞にして圧倒的社交辞令ではあれど、菜々美ちゃん(その他大勢)と花火大会へいけるプラチナチケット入手と云う幸運に、オレのテンションは舞い上がった。
「え? オレも? う~ん、それじゃ……」
あんましがっついてる感がでるのもどうかと思い、オレが菜々美ちゃんへの返事をちょっともったいつけた刹那、頭上から場ちがいにあかるい声がひびいた。
『召喚ッ!』
なにそれ!? ちょっと待て!? このタイミングで召喚ってウソだろ!? 聞いてねえし!?
教室の天井へオレにしか見えない緑色の呪法陣があらわれると、右尻の呪印が反応して赤くうかび上がるのがわかった。
オレは自分の身体が透明化していくのを感じながら呪法陣へと吸いこまれ、目一杯うしろ髪ひかれる想いで異世界へと召喚された。




