序章
世の中には究極の二択をよそおったこんな愚問がある。
「カレー味のウンコと、ウンコ味のカレー、どっち食べる?」
考えるまでもない。もちろん後者だ。
ウンコ味だろうがアンコ味だろうが、カレーはあくまで食べものだが、カレー味でもチョコ味でも、ウンコはあくまで排泄物だ。食べものではない。
そもそも、ウンコ味と云われれば外聞はよくないが、オレは寡聞にしてウンコ味を知らない。あるいは極上の美味である可能性だってないとはかぎらないではないか。
で、実際のところ、どうなんだろ? と『Yohoo! 知恵袋』で質問してみたら「なんかニガイらしいっすよ」とのこと。
うわあ、なにコイツ。伝聞推定風に語ってるけど、実はウンコ食べたことあるんじゃね? ウッソ、気もち悪りぃ、チョーひくわー。
……てな感じで、愚劣な質問を発した側が恩を仇でかえすような嫌悪感を抱いたりしたわけだが、百歩ゆずってその回答が正鵠を射ているとしても、健康によい薬膳カレーだと思えば食べられなくもあるまい。
しかし、カレー味のウンコってどうよ?
あらためて云うが、ウンコはあくまで排泄物だ。
マズいカレーを食べたところで人間としての尊厳をうしなうことはないが、排泄物を食べると云う背徳的行為は人間としての尊厳をうしない、心に深いウシトラもといトラウマをかかえることにもなりかねまい。食糞するのはウサギくらいで充分だ。
そして、ちょっと考えればわかりそうなものだが、ウンコはクサイと相場が決まっている。
それがどれほど妙なるカレー味だったとしても、ウンコの悪臭に耐えながらそれを食べることができるだろうか?
否。断じて否である。
よってこの場合、当然の帰結として、食べるならウンコ味のカレーを推奨する。
……とまあ、キリキリと刺すような腹の痛みから気をそらすべく身体をくの字に折り、額に脂汗をにじませながら、脳裏をかけまわる思考のバカバカしさにわれ知らず自嘲した。
ただ今、このオレ、香坂香(15)は、自宅のトイレで数時間におよぶ激しい籠城戦をくりひろげていた。
はやい話が絶賛激爆腹下し中である。
その原因が昨夜のカレーだった。4日前に作ったまま冷蔵庫で保存せず、鍋のままコンロへ放置しておいたのが致命的だった。
初日の夜はおいしくいただいたのだが、それから3日ほど所用で地球を留守にしていた。
昨晩、ようやく帰宅して鍋のフタを開けた時、ほのかに刺激臭をおぼえないわけではなかったが、オレは「ギリいける!」と判断し、華麗に読み誤った。いやはやカレーだけに。
「大量のスパイスが投入されているカレーは腐らない」と云う俗説が「ダイヤモンドは傷つかない」なみの虚妄であったことを文字通り〈痛感〉している最中である。
下痢はもとより腹痛がしんどい。
……カレー食ってする下痢って、やっぱりカレー味なのかな?
いよいよもって朦朧とする意識下で、小4レベルの品性下劣な冗談しか思いうかばないわが身を哀れんでいると、頭上から場ちがいにあかるい声がひびいた。
『召喚ッ!』
ウッソ、もう時間かよ、こんな時に……!? 右尻の呪印が反応して赤くうかび上がると、オレは自分の身体が透明化していくのを感じながら、異世界へと召喚された。
惑星アルマーレ。ジギリスタン皇国・皇都ヴァーデルンの闘技場は、2万人を超える大観衆の熱気につつまれていた。
ジギリスタン皇国主催の召喚獣戦闘『ヴァーデルン杯』個人戦決勝。
ジギリスタン皇国第2皇女・マルドゥガナ姫対アルマイリス皇国第3皇女・アレストリーナ姫。宿命のライバル対決である。
我が飼主・アレストリーナ姫に召喚されたオレは小さな四足獣となって闘技場のステージへ舞い下りた。
召喚獣戦闘には5体まで召喚獣の召喚が可能で、オレは4体目の召喚だった。遊撃隊としてステージを撹乱する作戦だったらしいのだが……。
「トンカプー、マズルカフラッシュ!」
アレストリーナ姫が右手をふって、召喚獣化したオレへ颯爽と命じた。
そのリクエストにお応えしたいのは山々だったが、こちとら抱腹痛絶倒激爆腹下し中である。四肢が痙攣して立っているのもやっとだ。
「どうしたっちゃ、トンカプー!? さっさとなぎはらうっちゃ!」
せめて一太刀……! と、力んだところで肛門括約筋がゆるんだ。
オレがひりだしたのは威勢のよい炎攻撃ではなく、ブッ! と云うオナラと滝のような下痢だった。
とどのつまり、オレは神聖な闘技場のステージでド派手に脱糞すると云う召喚獣戦闘史上最低の失態を犯した。
2万人を超える観衆の爆笑が闘技場をゆらし、オレはマルドゥガナ姫の召喚獣ライラチュウの一撃であっけなく戦闘不能となった。
これがのちに〈ヴァーデルンの屈辱〉と謳われるアレストリーナ姫伝説の敗戦である。
最大の敗因がオレだったことは云うまでもない。