幼馴染はじゃがいも警察
「岡部、ついにやっちゃったわね。中世ヨーロッパの世界ではじゃがいもはご法度なのよ」
加納玲子は僕に人差し指を突きつけ、鬼の首でも取ったような表情で言った。ついに幼馴染までじゃがいも警察になってしまったか、と僕は心の中で溜息をついた。
僕は投稿サイト「小説家でいこう」で小説を連載している。書いているのはこのサイトでよく見かける中世風異世界ファンタジーだが、小説の中でじゃがいもを育てる場面を描いたことが玲子の癇に触ったようだ。
「あんたは小説の中で当然みたいにじゃがいもを出してるけど、現実の中世にじゃがいもなんて存在しなかったし、アイルランドにじゃがいも栽培が普及するのは17世紀だからね。成績優秀なあんたにも、こういう弱点があったとはねえ」
玲子のように現実の中世ヨーロッパにじゃがいもが存在しなかったことを持ち出して、中世風ファンタジーの考証に文句を言う人を俗に「じゃがいも警察」と呼ぶ。このことに関してはいろいろな意見があるが、僕自身はあまり細かいことを気にする必要はない、という立場だった。
「でもまあ、僕が書いてるのはあくまで中世風ファンタジーだからね。現実の中世ではないわけだから、少しくらい史実と違う部分があってもいいと思うけど」
「おや、その世界にはその世界なりの整合性がなくてはならない、ってのがあんたの口癖じゃなかったっけ?本来存在しないはずの作物を出してきて、このあとどう整合性をつけてくれるのかしらね」
「この世界には最初からじゃがいもが存在する、ってことじゃいけないのかな」
「それじゃ納得できない。本当は該当箇所をまるごと削除して欲しいところだけど、どうしてもじゃがいもが登場する必然性のある物語を書ければ認めてあげないこともない。そうね、次回で私の納得できる話を書いたら特別に許してあげる」
別に玲子に認めてもらう必要はない、という言葉を僕は飲み込んだ。これ以上話を長引かせると昼食の時間もなくなってしまう。
「いい作品になることを期待してるわよ」
玲子は皮肉な笑みを浮かべると、ようやく教室を出ていった。じゃがいも警察から解放された僕はほっと一息つくと、弁当の包みを開いた。
(じゃがいもは、出さなきゃいけない理由があるんだけどな)
その特別な理由を、玲子はまだ知らないのだ。
小説を書く時間を確保するため部活動には所属していない僕は、下校時間になるとまっすぐに帰宅する。校門を出ると、後ろから追いついてきた玲子が僕に声をかけてきた。
「ねえ岡部、今週の日曜、うちに来ない?豪勢な晩餐会に招待してあげる」
玲子が晩餐会と称しているのは、実際には彼女の料理の試食会だ。僕はいつも玲子の作った料理の味見役をさせられているのだが、料理の出来から言うとむしろ毒見役と言ったほうが正確かもしれない。
「悪いんだけど、日曜は色々とやらないといけないことが多くてね」
「ふうん、学年一の秀才様は庶民の食事なんて合わないってことか」
「そうじゃないよ。来年は受験だから今から準備しないといけないし、小説も続きを待ってる人がいるから」
「勉強よりも可愛い女の子との楽しいお食事会の方が優先順位が低いんだ」
「いや、そういうことじゃなくて」
玲子は頬を膨らませた。僕と彼女の間に、微妙な沈黙が流れた。
「……ねえ、私達って、いつからこんな感じなんだっけ」
「べつに、何も変わってないと思うよ」
「知らないうちに、あんたがどんどん遠くに行ってしまう気がする。いこうの小説、いまランキング3位だったよね」
僕が「小説家でいこう」で連載している小説「異世界で楽しく開墾ライフ」は、幸いなことに今は人気作になっている。玲子もいこうで小説を書いているが、ランキングに姿を見せたことはない。
「そうだよね、完璧超人なあんたと私とじゃ、もともと何もかも違ってるんだよね」
玲子は顔を曇らせた。小説を書く事はできても、こういう時幼馴染にかけるべき言葉ひとつ見つけられない自分がもどかしい。
「じゃがいもの件は、もう忘れてくれていいから」
そう言うと玲子は早足で僕を抜き去り、そのまま先に帰ってしまった。
帰宅したあと、僕はずっと玲子のことを考え続けていた。確かに最近、玲子の料理を食べる機会は作っていなかった。勉強と小説にばかりかまけて、いつのまにか彼女と距離が開いてしまっていた気がする。
(このままでは、いけない)
僕はPCを立ち上げ、小説の続きを書き始めた。多少プロットは崩れるが、以前から書きたかったシーンを早めに登場させることにした。
土の中から掘り起こした馬鈴薯は、大地の精霊の祝福を受けて見事に育っていた。
「それにしても、あんたは本当に馬鈴薯が好きなんだねえ」
村長は満面の笑みを浮かべている。私がこの村で馬鈴薯の栽培を始めて2年が経ち、今ではこの村を苦しめた飢餓も過去のものとなっていた。
「私の生まれた村も、こいつのおかげで救われたんです」
馬鈴薯に顔を近づけると、故郷の土と同じ匂いがした。
「帰りたい、って思うことはないのかい?」
「故郷のことを忘れたことはありません。こいつを見るたびに、いつも馬鈴薯料理を作ってくれた幼馴染を思い出すんです」
「へえ、どんな料理なんだい?」
「火炎魔法を応用した料理です。中でも馬鈴薯を細長く刻んで焼き色を付け、胡椒を振りかけて食べるガレットは最高でしたね」
彼女の手料理を思い出すと、急に唾が湧いてきた。時に魔力の調整に失敗して馬鈴薯が黒焦げになることもあったが、故郷に戻ったらあれを真っ先に食べたい。
「学者さん、あんたがこの村のために働いてくれるのはありがたい。でも時にはその子に顔を見せてやったほうがいいんじゃないか」
ひとつのことに集中すると、周りが見えなくなるのが私の悪い癖だ。飢饉対策に夢中になりすぎて、故郷と疎遠になっていたことは否めない。
今年の冬は、久しぶりに彼女に逢いに行こう。私はそう心に決めた。
――これで玲子は許してくれるだろうか。
確信は持てないが、今の僕にできることが他にあるとも思えなかった。
翌週の月曜、昼食の弁当の蓋を開けようとしていると、玲子が僕の前に立ちはだかった。
「ちょっと岡部、何なのあの57話?あれで私を納得させられるとでも思ってるの?」
やっぱり、許してはくれなかったか。小説の執筆で玲子へのメッセージに代えようなどと甘いことを考えず、ちゃんと彼女の手料理を食べに行くべきだったのかもしれない。
「中世ヨーロッパではスパイスは贅沢品でしょ?胡椒なんてただの村人がどうやって手に入れたの?まだまだ詰め甘いわね」
「……え?」
「それに、あれじゃ私のガレットの魅力が全然書けてない。ガレットってのはね、もちもちとした食感を楽しむ料理なのになんでそこに力を入れないの?大体、私いつもガレットにはパルメザンチーズを入れてたはずだけど」
玲子の剣幕に押されて、僕は何も言い返すことができない。
「今後小説でじゃがいも料理の描写をするときは、必ず私の料理を味わって参考にすること。いいわね」
玲子は厳かに命令すると、僕の前に弁当箱を差し出した。蓋を開けてみると、中には特大のガレットが入っていた。狐色に焼き上げられたガレットは香ばしい匂いを放ち、いかにも美味しそうに見える。玲子はいつのまにか料理の腕を上げていたらしい。
「あんたには、まだまだ私が必要みたいね」
玲子は軽く片目をつぶった。じゃがいも警察は当分、僕を解放してくれそうにない。