帰還―悲しみのアルラスカ―
「ところでアベルさんはさっきなんであんなに怒り心頭だったんですか?」
「ああ、そのことか。それはな……」
馬車に揺られながら、帰路の途中僕は気になって聞いてみた。
怒るとしても怒られるような心当たりは特にないと思ったからだ。
「まあ、俺も感情的になりやすいのは反省しているがな、いきなり妹が知らん奴を自分の騎士だって言い始めたら身内でなくとも怒るぞ。大体妹はまだ一六歳だぞいくらなんでも速すぎるだろ!」
「兄様、それは言いすぎです。私だってむ子供じゃないんです!」
アイシアが顔を真っ赤にして反論する、なんで二人ともこんなに熱くなってるんだ……
誰が誰の護衛をしようが本人の問題じゃないのか……
「そんなに怒るなアイシア……俺だって認めただろ」
「当り前ですよ!なんたって沈黙の森からメディクトまで私を守ってくれたんですから!」
「ああ、もう分かった分かった……」
このやりとりを何度見たんだろう……
「しかし、ダイチはいいのか?アイシアで」
「う。そ、それは……」
「どうしたアイシア」
アイシアがバツの悪そうな顔をしている、なんだ、なんなんださっきから僕の知らないところでなにかが勝手に決まっている。
するとアイシアが慌ててこっちに来て耳打ちしてきた。
「ダ、ダイチさんすみませんが今は兄様の話に適当に合わせていてください……あとで事情は必ず話しますから」
彼女の必死な訴えに僕は頷くことしかできなかった、僕が承諾するとアイシアは満足そうにアベルとの会話に戻って行った。
夜が来た、まだ馬車は沈黙の森の中だろうか……正直な話、僕がアイシアと出会ってからの分はもう過ぎてしまったのだろうか。
アイシアは話し疲れて寝てしまった、アベルさんも彼女が眠ってからは静かになってしまった。
僕もぼーっと外を眺めているがそろそろ眠気がきた。
「なあ……」
不意にアベルが話しかけてきた。
「どうしました?」
お互い視線は会わせず外を眺めたまま話を続ける。
「事情はわかんねーがお前、この世界の人間じゃないんだろ?」
僕の心拍数がいきなり高くなった、まるで心臓を鷲掴みにされたような感じだ……息が苦しい。だがここで慌てるわけにはいかない、まだ誤魔化せる。
「な、何を言ってるんですかアベル。そんなおとぎ話のようなこと……」
アベルがこちらを見据えながら隣へと席を移した。
「まあ、落ち着け。ダイチがどんな人間だろうと俺は気にしない。実際、妹を……アイシアは無事に守ってくれた」
アベルはアイシアを優しく見つめる、そして再度僕を見据えた。
「すまん、忘れてくれ……お前はアイシアを守ってくれたそれだけで十分だ。そしてアイシアの騎士を誓ってくれた……複雑な家庭だ……いや家庭を理由にして正当化していた俺にも問題はある。だから……妹を。アイシアを頼んだ」
「はい」
僕は静かに頷いた、もうここまで来たら関わり続けるしかない。
例え……もとの世界に戻れたとしても。
「おはようございます」
「おはよう、アイシア」
すっかり辺りは明るくなった。昨日の夜はあの話のあとすっかりと寝てしまった。アベルはまだ寝ている……
改めて昨日のことを考えてみる、僕はそこまでこの二人に信用たる人間なのか不安になってきた。
確かに、こっちの世界じゃ多少身体能力は高いが、所詮はその程度だ。まだ二十一だし、人間としても出来てない。
魔導にも通じてないし、剣術もかと言って知識があるわけでもない。
本当に……
「ダイチさん、顔色悪いですよ大丈夫ですか?」
「あ、いや大丈夫だよ」
いかんな、少なくともアイシアを不安にさせるわけにはいかないな……悩むのはあとでもできる、とりあえず今は騎士見習いになることだ。実力が足りないならそれに追いつく努力をすればいい。
少なくとも今は現状に満足するわけにはいかない。
「あー久々によく寝たわ」
しばらくして、アベルが目覚めた。
まだ、森は抜けていないのかさっきから景色は木々一色だ。
「ああ、ほんと遠いなあ。よくこの距離歩いたな二人とも」
「ふふーん、余裕でしたよねダイチさん」
「そうだね」
あれからどれくらいがったのか、すっかり長い馬車にみんな疲れたのか今ではほとんどなにもしゃべらなくなった。
いくらなんでも長すぎないか……
「いくらなんでも、長すぎませんか?」
僕の言葉に二人は顔を見合わせた。
「言われてみれば」
「長いですね」
「よーし、アイシア頼んだ」
「はい!まかせてください」
アベルが適当に手拍子するとアイシアがリズムよく呪文を唱える。
「響きあう鼓動、大地と木霊し、偽りを正せ……古代の幻想霧」
アイシアの指先が光り輝き不思議な光が辺りへと伝わる、すると一面木々だった景色がいつの間にか原っぱへと変化していた。
「やっぱ、幻術魔法でしたね」
「そうだな、この様子だとかかったのは朝方か……ま、なかなか狙いはよかったな。相手が悪かったが」
アルラスカ、一の魔導師と一の剣術師を敵に回す敵がかわいそうに思えてきた。
すっかり幻術もとけて少しするとあっという間にアルラスカの関所まで着いた。メディクトで見たのとは違いこちらを確認すると通行証もなしに素通りできた。
「そういえば、アベルさん。最近アルラスカの関所の管理が厳しいという噂をメディクトで耳にしたんですがどういうことなんですか?」
僕の問いにアベルは眉間にしわを寄せたがなにかを決めたように頷いた。
「まあ、話しちまっていいか。最近魔族の動きが活発なんだ、それこそ人族の町に潜入するぐらい。一応、住人の身分を証明するものはあるんだが偽物が出回っていてな……それこそ本物と間違えるくらい巧妙な奴が、おそらく裏切ったやつらが何人かいるはずなんだがそれを探すのも難しくてな……結果的に入出を制限するしかなくて……」
アベルは悲しそうな表情をしながら続けた。
「アルラスカだけじゃない、メディクトもケンメス、ライード、サファド全部がそうだ……免罪で切られた人間も大勢いる。人間なんて大衆が敵だと言えばそいつが敵になっちまうこともある……免罪で追い詰められた奴がすることなんて反逆か逃亡しかないのにな…ろくに話も聞かずに殺しちまう……魔族は嘘が得意だから仕方ないんだがよ」
アベルの表情は次第に暗くなり、顔はどんどん沈んでいく。
よく見るとその拳は小さく小刻みに震えていた。
「そこで、いい加減に各国家が重い腰を上げたって訳さ、メディクトだけじゃない他の国にも文書を送ってな……さあ着いたぞ。ここが自由国家アルラスカだ」
白い城壁に囲まれた、王国アルラスカ。
他の国とは違い、王宮が高くそびえ、町が規則正しく階段上に立っている。
町には水流が流れ下からみた町並みは太陽の光が反射して輝いて見える。
アルラスカが自由の国と言われるのには理由がある。
普通、生まれ持った環境が人間の価値を決めてしまうことが多いこの世界でアルラスカは唯一、身分に関係なくどんな職業にも着くことができる。そのため毎回多くの騎士志望者が他国から押し寄せることが恒例行事となっていた。それも入出が制限された今では見ることができないが……
アルラスカに着くと僕たちは真っ先に王宮へと通された。
王の間にはまだ若々しいくみえる国王が立っていた……
「お帰り、アベル。急に姿を見せなくなるから心配したぞ」
現アルラスカ王国、国王……「キング・セフィル・アルラスカ」は威厳のこもった声でそう告げた。
「ご心配かけてすみません、アルラスカ王。橋が落ち、すぐにでも帰れないという妹を心配して、つい体が。お許しを」
頭を下げたまま淡々と言葉を紡ぐアベル、その表情は見えないが先ほどまでとは打って変わって別人のようだ。
「別によい、お前が無事で何よりだ。それとメディクトの返事は如何ほどだった」
しまった……他のことがおこりすぎて返事もらうの忘れていた。
僕は思わず頭を下げたままアイシアと視線を合わせる、アイシアも忘れていたことを思い出してワナワナと震えている。
「それでしたらここに」
アベルは懐からメディクトの国印が入った、文書を王へと差し出した。
王はそれを受け取り中身を流し読みすると「御苦労」とだけ言ってそれを自分の懐にしまいこんだ。
「ケルターとそこの青年よ、あとで褒美を使わす心して待つとよいもう下がってよいぞ。アベルはこの後、ルルから話があるそうだもう少し待たれよ」
「御意、アルラスカ王」
僕らは結局なにも話さずに王の間を後にした。
「アイシア、これからどうする?」
僕は王宮内の広い廊下を歩きながらアイシアに問いかける、どうもアイシアの様子がさっきからおかしい。
「どうしたのアイシア?元気ないけど」
「いや、なんでもないんですなんでも……」
「いやいや、なんかあるでしょ。正直にいってごらん、僕はなにを聞いても驚かないから」
たぶん……
アイシアはしばらく考え込むとおもむろに僕の手を掴み、強く引っ張った。
黙ってされるがままになると、とある一室に僕は連れ込まれた。
すごい数の本がならべられ、あとは簡素な寝具と机があるだけの部屋だった。
「どうしたのアイシア?」
僕の問いかけにも応えず、アイシアは黙ったままだ。
「だ、だいちさん……そのまま。う、うしろむいててください……」
やっと発したアイシアの声は震えていた、まるで何かを我慢するように。
僕は言われるままに後ろを向く、アイシアの頭が僕の背中にあたる。
そして、なにか温かいものが背中を湿らした。
小さく嗚咽が聞こえる。困ったことに僕はこんな時女の子にかける言葉を知らない。知っていても行動する勇気もなかっただろう。
でもなんでかこうしなきゃいけないと思った。
僕は振り返って彼女を……アイシアを軽く抱きしめた。
なにがあって泣いているのかも僕は分からないほど馬鹿だけど。
でもアイシアが泣いてるとなぜか僕も悲しくなった。
なぜかは分からないけど、でも僕に出来ることなんてこんなことしかない。
ただ、彼女の気が済むまで泣かしてあげることしかできない。
アイシアは僕を強く抱き返すと大きな声で泣いた。