死神は暦を使わない ~Death keeps no calendar~
頑張って書きました。
超常現象、心霊現象、怪奇現象。いつの世も、こういう類の噂や都市伝説は、人々の心をつかんで離さない。テレビで特集を組んだり、話の真偽を論じあったりと、みんな摩訶不思議な話に夢中になっている。一昔前には口裂け女や人面犬、トイレの花子さんなどが一世を風靡したし。最近では、「如月駅」とかが有名になった。
まあ、聞くだけなら良い。それなりに楽しくもある。しかし、この時ばかりは――
「幽霊探しぃ?」
俺は耳を疑った。
「そう、幽霊探し」
俺の幼馴染、伊東朱音は目をキラキラさせながら言った。
「あのね、一昨日委員会の集まりがあって、一部の人が帰るの遅かったでしょ? B組の佐藤さんも委員会があって遅くまで学校に居たんだって」
「ふーん」こう言った話は珍しくもない。俺は欠伸をしながら聞いていた。
「もう、ちゃんと聞いてよ。ここからがいいとこなんだから。それでね、友達と一緒に帰ろうと昇降口まで来たとき、ふと忘れ物をしたことに気がついたんだって。佐藤さんは友達に門で待っててって言って、教室まで暗い廊下を歩いて行ったんだって」
朱音はわざとらしく声を低くして、手の甲をこちらに見せながら迫ってくる。
「なんだ、理科室の人体模型でも動いてたのか? それとも誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえるとか」
「ううん。佐藤さんが見たのはそんなお約束みたいなものじゃなくて、彼女のお姉さんだったんだよ」
「はあ? そのお姉さんも忘れ物を取りに来てただけなんじゃないのか?」
「それがね、佐藤さんのお姉さんは三年前に交通事故で亡くなってるんだって。ね? 頭がちがちの理系男子の荒井聡太朗も、興味わいてきたでしょ?」
「……考えられる理由は二つ」
「なに?」
「見間違えか、そいつの狂言か、だ」
それしか考えられない。と、俺が言うと、唐突に教室のドアが勢いよく開いた。
「嘘なんかじゃありません! 私、本当に見たんです!」
「……え、と」
「あ、聡ちゃん。こちらがB組の佐藤玲菜さんよ」
「おいおい、どういうことだ? まさか、また面倒事を引き受けたわけじゃないだろうな」
「えへへ」
俺と朱音、二人はこの高校のなんでも屋をやっている。いや、実際には朱音の遊びに俺が付き合わされているだけだ。ともかく、朱音の人を放っておけない性格が災いし、俺の元へは次々と面倒事が舞い込むことになっていた。
しかし、そのほとんどが下らない内容ばかりだ。机の落書きを永久保存する方法を考えてほしいだの、シャーペンの芯を探してほしいだの、持ち物検査のときだけエロ本を隠し持っていてほしいだの。あきれてものも言えないものばかり、だから今日も、そう言った下らない依頼だろうと思っていた。
「まあいいや、暇つぶしにはなるし、付き合ってやる」
「うふふ、やっぱり聡ちゃんは役に立つなぁ」
「うるさい。……じゃあ、佐藤さんとか言ったけ? 昨日のこと話してくれるかな、このポンコツの説明だけじゃあ分らないこともあるから」
横で何やら騒いでいるポンコツを無視し、佐藤さんは話し始めた。
「はい、一昨日は、委員会があって、遅くまで学校に居たんです。
七時くらいにやっと委員会が終わって、友達と帰ろうとしたんですけど、昇降口のところで、筆箱を忘れたことを思い出したんです。
私、放送委員なんですけど、放送委員会の集会場所って四階の隅にあって、昇降口からは一番遠いんです。だからちょっと怖かったんですけど、筆箱には家の鍵が入ってるし、親も多分八時くらいにならないと帰ってこないので、我慢して取りにいったんです」
「その途中で、お姉さんに会ったと?」
「お姉ちゃんにあったのは 筆箱を取った帰りです。二階に降りたとき、お姉ちゃんが渡り廊下を歩いているところを見たんです」
この高校は、A棟とB棟に分かれていて、その二つの棟を繋ぐ渡り廊下が二階に二つある。
「その人、本当にお姉さんだったの? 暗くてよく見えなかったと思うし、警備員か何かと間違えたんじゃ……」
「いえ! あれはまぎれもなくお姉ちゃんでした。事故当時の服装だったし、持ってたスクバには限定物のストラップもあったんです」
幽霊がスクバ持ってたのかよ。
「お姉ちゃんが死んだ日、私喧嘩したんです。ホントになんでもないことで、でも仲直りできずに、お姉ちゃん……死んじゃ……うっ、うぁあん」
佐藤さんは唐突に泣き出した。朱音が佐藤の背中をさすり、慰めているが、俺は何をすればいいんだろう。俺のせいっぽいよな、謝った方がいいんだろうか……やばい、分らない。
「ご、ごめん。泣かせる気はなかったんだ」
「いっ、いんで、す。私がっ、勝手にな、泣いてるだけですから」
泣いている女子を慰めるスキルは生憎持ち合わせていない。俺はうろたえるしかなかった。
「もう一度、お姉ちゃんに会いたいんです」
「分った? だから幽霊探ししようって言ったの」
「それは分かったけどさ」
どうせ居るはずがない。その言葉を、泣いている佐藤さんを見て飲み込んだ。
「じゃあ決定ね、今日の放課後、学校に集まって佐藤さんのお姉さんを探すのよ!」
「あ、ありがとう、ございます」
またこのパターンだ。俺のついた深いため息は、恵子にはまったく届いていないようだった。
「死人帰りか……」
一旦家に帰った俺は、何気にパソコンに向かって、佐藤さんにあったような怪奇現象を調べていた。
驚いたことに、最近同じような体験が相次いでるらしい。尤も、出会った人物は生き別れた妻だったり、祖父だったりと、様々である。
まあ、ほとんどが嘘や見間違いのはずだ。佐藤さんのことは気の毒だけど、どうせ他の生徒と姉をだぶらせたのだろう。限定のストラップも、他の生徒が持っていてもおかしくはないだろう。
ふとデスクトップの時計を見やると、時刻は九時を指していた。
「やっべぇ、待ち合わせの時間完璧に遅刻した」
思いのほかネットで時間を食ってしまった。
俺は急いでコートを羽織り、家を飛び出した。愛車のMTBにまたがり、前傾姿勢でこぎ出すと、冷たい冬の空気が肌を切り裂く。なにもこんな寒い日に行かなくてもいいじゃないか。
校門に着くと、すでに二人は来ていて、俺に冷たい視線を向けていた。身も心も凍えるというのはこういうことだろうか。
「わかった。ごめん。俺が悪かったからそんな怒るなって」
「別に怒ってないよ。気温二度以下の外で三十分以上待たされていたけど私たちちっとも怒ってない!」
怒るどころかキレてんじゃねぇかよ。
「本当に悪かったって」
「……まあいいや、それより早く入ろう」
「はい」
「でも、どうやって入るんだ? この門、二メートル以上あるだろ……」
校門は高さが二メートル以上あり、普通に乗り越えるのは大変なのだ……が。
「え?」
その声が発せられたのは門の内側からだった。
朱音は一度斜めに飛び、門の横にある校章を足場にしもう一度跳躍、そうして体を門の上にもっていき、門を飛び越えていたのだ。所謂某香港アクション俳優の三角飛びというやつだ。
「相変わらず運動神経だけはいいな」
「だけって何よ、だけって。二人も早く来なよ」
「みんながみんなお前のように、猿みたいな芸当が出来るわけじゃないんだぞ」
横を見ると、佐藤さんが冷や汗を浮かべながら苦笑いしている。朱音の所業に若干ひいている模様だ。仕方なく、俺は自力で門を登り、佐藤を門の上から引き上げることにした。
人一人を引き上げるのは予想以上に骨が折れ、終ったあとには腰が痛くてたまらない。
「すいません。大丈夫でした?」
「大丈夫大丈夫、なんのこれしき」
やせ我慢くらいはさせてもらおう。
夜の学校というのは、その言葉の響きだけでも恐ろしいものがあるが、実際に来てみると体の芯まで凍りつくようだ。月明かりでうっすらと浮かび上がる校舎の影が、何とも出そうな雰囲気を醸し出している。
「普通こういうのはさ、夏の肝試し的なイベントでやるもので、こんな真冬の寒い時期に来るものではないと思うんだが」
「何いってんの聡ちゃん。これは肝試しでも何でもなくて、玲菜ちゃんのお姉さんを探す大事な依頼なんだよ?」
「そうかよ。……お前いつから佐藤さんのことを下の名前で呼ぶような仲になったんだ?」
「聡ちゃんに門の前で待たされている時」
「……そう、か」
校舎に近づくと、朱音がふとしたように俺と佐藤さんに問いかけた。
「ねえ、どうやって中にはいるの? どこも鍵掛かってるんじゃない?」
佐藤さんは唖然としたようで、あからさまに落胆した様子だった。
「ああ、どうしましょう。全然考えてませんでした。これじゃあ中に入れない……」
俺はちゃんとそのことを考えてました。
「実はな、A棟裏の窓を一つだけ開けておいたんだ。ここの警備員は仕事が雑で、ほとんどの窓を確認しないで帰っちまうから、多分まだ開いてると思うぜ」
「おお! さすが聡ちゃん!」
「こんくらいお前らも考えておけよ」
窓から廊下にはいると、俺たちは懐中電灯で足元を照らしながら、昇降口に向かった。
「まずは、一昨日佐藤さんがとった行動をもう一度とってみよう」
「はい、すみません、こんな事につき合わせちゃって」
「いいよ別に、結構楽しいし」
色々なアニメや映画の影響だと思うが、小学校の頃から夜の学校に忍び込んでみたいという欲求があった。その夢がついに叶ったのだ、こればかりは朱音に感謝しなくてはいけないかな。
「まずは昇降口から、放送委員の教室だね」
放送委員の集会に使われている教室は、多目的室Bというなんでも教室だ。A棟四階の一番隅っこにあり、昇降口から遠いと図書委員からの苦情が多いらしい。
靴下で歩く廊下は、冷たく硬い。廊下には、ひたひたという三人の足音だけが響いていた。
「なんかワクワクするね」
と、声を押し殺して楽しそうに言う恵子を尻目に、俺たちは多目的室Bに着いた。
「ここで、筆箱を取って、下に向かったんです」
佐藤さんは緊張した面持ちで言った。
四階から三階へと階段を降りる。どうせ幽霊なんか居ない、そう思いつつも、俺の顔は強張っていた。
三階から二階へと降りる。内臓にだけ重力が倍かかっているのかと思うほど、場の空気は重苦しかった。
「こ、ここで、姉が渡り廊下を歩いているところを見……」
佐藤さんの顔色が突然変わった。真っ青になって、俺の背後を指さす。俺は錆びついたからくり人形のように、彼女が指さす方を見る。
「なんだ、何もいないじゃないか」
「脅かさないでよ、玲菜ちゃん」
俺はホッと肩を落とし、恵子は佐藤さんの肩を叩いた。しかし、彼女の様子はどこかおかしかった。
「……お、お姉ちゃん?」
「え?」
佐藤さんは一歩一歩、ゆっくりと誰も居ない場所へ歩をすすめ、唐突に駆けだした。
「お姉ちゃん!」
そして、佐藤さんは何もない所に抱きつき、何もない所に顔を埋め、泣きじゃくる。
「お姉ちゃん、ごめんなさい! ごめんなさい!」
俺と朱音は突然のことに混乱し、そして恐怖していた。彼女には見えているのだろうか。彼女のそれが演技でないことは、その反応でいやというほど分かった。演技であってほしいんだけど。
「お、おい」
「玲菜、ちゃん?」
佐藤さんの体制は、前方に何か支える物がなければありえないほどの前傾姿勢だ。それは、目に見えない何かが、彼女の前にあることを示していた。
「おい、佐藤さん! どうしたってんだよ!」
佐藤さんから還ってきたのは嗚咽だけだった。
「私、ずっとお姉ちゃんに謝りたかったの、ごめん、本当にごめんなさい」
どうやら彼女には俺の声が届いていないらしい。俺は得体のしれない恐怖に駆られ、朱音の手首を掴んで駆けだした
「朱音、行こう!」
「え、ちょ、ちょっと」
階段を降りる前に、もう一度佐藤さんの方を見ると、黒い服を着た一人の少年が、凍えるような冷たい眼で佐藤さんを見ていた。
それからの事はあまり覚えていない。気がついたら朝日を浴びながら、ベッドの上に横たわっていた。
あれは……夢だったのか?
そう思ってみるも、足に残る筋肉痛のような痛みが、夢ではないと物語っている。
あの後、佐藤さんはどうなったのだろう。黄泉の世界に連れて行かれたり、お姉さんと中身が入れ替わってたりしていないだろうか。なんて馬鹿げた考えも、昨日の佐藤さんの反応を見たら、あながち間違っていないかも知れないと思えてくる。
俺は重い腰を持ち上げ、制服に着替えて学校へ向かった。
「聡ちゃん」
とぼとぼと歩いていると、背後から声を掛けられた。声のする方へ振り返ると、恵子が微妙な笑みを浮かべて手を振っていた。
「朱音か……」
「大丈夫? 変な顔して」
「お、お前は平気なのかよ、あんなの見て」
「うーん、まあ今日玲菜ちゃんに聞いてみればいいよね、昨日何があったか」
まったく、朱音の軽い態度にはため息をつくしかない。それよりも、佐藤さんは今日、学校に来ているのだろうか。
学校につくと、昇降口にはちょうど佐藤さんが待っていた。
「あ、朱音ちゃん、荒井君……」
「朱音ちゃん! 大丈夫? 何ともないの?」
「うん、大丈夫。昨日はありがとう。おかげでお姉ちゃんに会うことができて」
「ちょ、ちょっとまって。あの時やっぱり、お姉さんに会ってたのか?」
「は、はい。ホント、びっくりしたんですけど、やっぱりお姉ちゃんだったんです。でも、何で途中で帰っちゃったんですか? いつの間にかいなくなっちゃったから……」
「いや、その……」
俺が答えに詰まると、朱音がやたらと明るい声が聞こえてきた。
「だって、せっかく再開できたんだから、姉妹水入らずじゃないとダメでしょって聡太朗が」
「そんな、気を使わなくてもいいのに」
何で? 何でこいつらはこんなに平然としていられるんだ? だって、あんな事があったのに……。
「また会いたいなぁ」
「ダメだろ!」
気がついた時には、俺は声を張り上げていた。
「何でそんな平気なんだよ! そんなの絶対に危険なものに決まってんじゃん。やめた方がいいって!」
「荒井、君?」
「聡ちゃん……」
「……おかしいだろ」
俺は急いで教室に走った。
朱音達が流したのだろう、生徒の中では「死人帰り」の噂でもちきりだった。佐藤さん以外にも数人、目撃例があるらしい。しかし、俺が見た少年の情報は無い。あの時、佐藤さんを見つめていた黒服の少年。あれはいったい、何だったんだろうか。さまよう少年の幽霊か、それとも……。
「……聡ちゃん」
俺が机に頬杖つきながら考え事をしていると、朱音が遠慮がちに声を掛けてきた。
「なあ朱音、お前には佐藤のお姉さん、見えたか?」
「ううん」
「それなら何で? 何であんなに普通に佐藤さんと接していられるんだよ」
「私達には見えてなかったけど、玲菜ちゃんには見えてたって言うし。それに、聡太朗玲菜ちゃんの顔見た? 今日の玲菜ちゃんの顔、今までよりずっと明るかった」
「……そう、か?」
「うん。それが何なのかは分らなくても、玲菜ちゃんが元気になったのは事実なんだから」
「でも、あれは危険な気がした」
「あれって?」
「佐藤さんのすぐそばにいた子供だよ」
「何それ?」
朱音は見てないのか?
「いや……何でもない」
俺がそう言うと、朱音は不思議そうな顔をしたが、そこまで気にも留めない様子だった。
キーンコーンカーンコーン。突然学校のチャイムが聞こえ、教室が静まりかえる。聞きなれた音のはずなのに、この時ばかりは悪い予感しかしなかった。
『二年B組佐藤。二年C組伊藤、荒井。至急進路指導室まで来なさい。もう一度繰り返す。二年B組佐藤。二年C組伊藤と荒井。至急進路指導室まで来なさい』
予感は的中したようだ。
進路指導室に入ると、中にはC組担任の中村と学年主任の山田先生、そして生徒指導の鬼塚と教頭の坂口が重苦しい顔で立っていた。佐藤さんは先に来ていたようで、小さくなって座っている。
C組担任の中村は数学の教師だ。頭頂部には髪がなく、授業の時の声が小さい。学年主任の山田先生は、理科を教えている。恰幅が良く、いつも朗らかに笑っている気のいい先生だ。生徒指導の鬼塚は、まあ言わなくても分かると思うが、体育教師だ。厳しい、熱血、強面の、三拍子そろった正に鬼の熱血教師である。教頭の坂口は、それはもう絵にかいたようなごますり野郎である。生徒からの好感度は最低。
「お前ら、ここに呼ばれた理由、分ってんな?」
最初に口を開いたのは鬼塚である。このドスの利いた声は、胃に重くのしかかってきて、エレベーターで上に上がるときのような感覚が味わえる。
「昨日の放課後、お前らがこの学校に忍び込んだ、っていう噂が流れてるんだが……ホントか?」
「……はい」
俺は弱々しく答えた。
「何で入ったのかな?」
山田先生が優しく質問してきた。それだけでなんだか救われたように感じるのは俺だけだろうか。しかし、その質問は答えにくいものだ。ここで、佐藤さんのお姉さんの幽霊を探しに来たといったところで、ふざけるなと一蹴されるに決まってる。
「玲菜ちゃんのお姉さんを探しに来たんです」
なんてこと、朱音は考えないらしい。
「それは本当?」
山田先生は佐藤さんと俺を交互に見て言った。
「はい。私が二人をつき合わせたんです。悪いのは私です」
「いや、そう言うことを言ってるんじゃないんだよ。誰が言いだしっぺかは知らないが、三人とも校舎内に入った訳だし。それもふざけ半分で」
眉を顰めてそう言ったのは坂口教頭だった。
「ふざけ半分なんかじゃありません! 私たち、本気で……」
「言い訳はいい! 聞きたくない!」
鬼塚のどなり声に、俺たちだけでなく、先生たちも顔を引き攣らせた。頼むから先生たちを怒らせないでくれ。
「肝試し気分で学校に来るな! あまつさえ碌でもない噂を流すなんて、おふざけにもほどがあるぞ!」
その後は、さすがに恵子も何も言わなくなり、俺たち三人は大人しく説教を聞かされることになり、反省文をB5五枚分も書かされることになった。佐藤さんは何度も俺たちに頭を下げ、恵子は気にしてないと佐藤さんの肩を叩いた。
家に帰り、俺はもう一度「死人帰り」について調べることにした。
目撃例や体験談を見るに、死んだはずの家族や恋人に会ったというものが多い。死んだ時の年齢も、時期も、性別もバラバラ。会った日が故人の命日ということもなく、十三日の金曜日だということでもない。共通点は皆無だった。
しかし、様々なサイトや2c h にも行ってみたが、俺が見た少年の情報は無かった。が、ひとつ興味深いものを見つけた。
76:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
死人帰りって死神の仕業っていう噂とかあるよな
77:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
死神って人を死なさせる人じゃないの?なんで生き返らせてんだよ
78:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
ちょっと違う。死神は死を司る魂の管理者であって、殺す人じゃない。
79:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
厨二乙www
80:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
でもウィキにはそんなこと書かれてるぜ?
81:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
死神が何なのかはどうでもいいわw
それより死人帰りのスレだろここって?何の関係があるのか、説明どうぞ
82:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
死神がもうすぐ死ぬ人に、その人の大事な人を会わせてるんだと
83:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
そんなこと言うなよ。
やべぇじゃん俺もうすぐ死んじゃうじゃん
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
84:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
>>83
お前見たことあんのかよww
85:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
83の冥福をお祈りします
86:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
それが本当なら目撃者の中に死んだ人いんのかな?
87:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
死神の目撃証言とかないのか?
死なないようにする対策とか教えてほしいんだけど
88:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
お前らマジレスしすぎww
どうせネタだろwww
89:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
塩とか持っときゃいいんじゃん?
90:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
いや、見たら最後で、一週間後に死んでしまうらしい
91:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
この中に死んだ人見てから一週間たった人いる?
本当に死んでたら教えて
92:以下、名無しに代わりましてVIPがお送りいたします
んな無茶なww
「……死神の仕業、か」
こんなふざけたスレの言うことが本当だとは思いたくないけど、あの少年が死神だと言われれば、なんとなく納得してしまう。あの冷え切ったような眼に黒い服、考えれば考えるほど死神だという考えが固まってくる。
あれはやっぱり死神か何かだったんだろうか。そうなると、佐藤さんが危ないんじゃないか? いや、そうと決まったわけじゃない。ネットの情報を鵜呑みにするなんて、一番馬鹿馬鹿しいじゃないか。
「……はっ」
俺は自嘲気味に笑い、コートを羽織って学校へ向かった。何故かはわからない。気がついた時には不思議な力で引っ張られるように、家を飛び出していた。
時刻は午後十一時を回っている。反省文を書いたことなんて、この時はすっかり忘れ、あの少年に会うことだけを考えていた。しかし、得体の知れないものに近づく恐怖が、俺の心を満たしている。
鼻には寒いような痛いような感覚が走り、MTBのハンドルを握る手が悴んでいる。勢いで飛び出したことを後悔することになった。昨日より寒い。
街灯があまりない暗い夜道を、目を凝らしながら疾走した。
――学校についた。校舎にはもう灯りは点いていない。みんな帰ったようだ。でも、昨日忍び込んだ後だからな、警備もちゃんとしてるだろうし、今回は窓も開けていない。さて、どうしたものか。
俺はB棟の裏口に回り、男子トイレの窓を調べた。
B棟は、別名部室棟を呼ばれ、その名の通り全部の部の部室が入っている。このB棟の男子トイレは野球部の一年生が掃除している。まあトイレの掃除なんか誰もやりたがらず、真面目に掃除するはずもない。案の定、簡単に窓は開いた。
「よっ……と」
まんまと校舎内に侵入できた俺は、靴を脱いで懐中電灯を点けた。夜中の学校のトイレなんて、怪談以外であまり聞かないんだが……お化けとか出ないだろうな? 死神を探しに行く俺が言えたことではないと思うけど。
トイレから出た俺は、B棟の二階に上がり、渡り廊下まで歩いた。一寸先は闇だ。昨日より一段と寒いはずなのに、肌にはべたつくような汗が浮かんでいた。
渡り廊下に近づくにつれ、心臓の鼓動が早まっていく。俺は何とか落ち着こうと、深呼吸をするが、まったく効果が表れる様子がない。
「ふぅー……」
俺はついに決意を決め、渡り廊下に足を踏み出した。
少年はまだ見えないが、一歩一歩進むにつれ、肌にまとわりつくいやな空気が変質しているような気がしてならない。しかし、少しづつ、確実に進んでいく。
「ねえ」
不意打ちだった。
背後から放たれた声は、無機質で、甲高い少年の声だ。それは弾丸のように鼓膜を震わせ、大脳まで届く。そして、一つの感情を生み出した。すなわち、「恐怖」である。
顎が痛くなるほど歯を食いしばり、俺はやっとのことで振り向いた。そこに居たのは、所々擦り切れた黒衣のマントを羽織り、こちらを見つめる、金髪碧眼の少年だった。
「う、うわぁあああ! あああぁ!」
俺は肺の空気をすべて吐き出さんばかりに、大声で叫んだ。
やばい、死神だ! 殺される!
「怖がらないで。君に危害を加えるつもりはありません、本当に」
俺は這いつくばって必死に逃げた。奴は何かを言っているが、正確には聞こえない。死の呪文か何かか?
「ちょ、ちょっと待って」
奴は頭上を飛び越え、俺の目の前にふわりと舞い降りた。
「待ってって」
「な、ななな、何なんだよお前!」
「僕は、生命の死を司る神です」
「や、やっぱい、死神だぁ!」
全身を支配する恐怖で、呂律が回らなくなっている。少年は少し俯き、上目遣いでこちらを見た。
「そんなに、僕が怖いですか?」
「はあ?」
「まあ、僕への恐怖は、「死」そのものの恐怖と同じだから、生物としては当然の反応ですね」
よく見ると、死神はなんだか寂しそうな目をしていた。
「お、お前が、死人帰りの犯人なのか?」
俺は努めて冷静に言った。
「はい」
「じゃ、じゃあ、死人帰りにあった人は、本当に死んじまうのか?」
あの話が本当なら、佐藤さんはもうすぐ死んでしまうことになる。死神は本当にいた。そうなると、あのスレッドでの話の信憑性が高まってくる。
俺は目の前にいる死神の目をまっすぐ見据えた。一見すると、ただの外国人の小中学生に見える。見るからに外国人の少年が、日本語を話しているのは、少し違和感がある。……いや、死神が話している言葉が本当に日本語なのかも分らなくなってきた。じゃあ、何で俺は聞き取れているんだろうか。
「僕は、ただ……」
死神はそれっきり黙り込んでしまった、
「何でお前は死んだ人を見せているんだ?」
死神はうつむいて、しばらく沈黙を通した後、突然踵を返した。歩き去ろうとする死神に、俺は黙ってつい行くことにした。
……スライドするように移動している。足は浮いてるんだろうか?
「僕は」死神は唐突に話し始めた「今からおよそ九百年ほど前に生まれました」
九百年前っていったら、十二世紀ごろだ。日本で言う平安時代くらいか?
「農村で生まれた僕は、家があまり裕福でなく、貧しい思いをしていました」
「ち、ちょっと待て、てことは何か? お前人間だったってことか?」
背後からでも、死神が小さく頷いたことが分かった。
「度重なる飢饉や疫病により、どんどんと僕と、僕の家族は弱っていった。そんな中、僕たちは救いを求め、とある遠征に参加しました。その集団の目的も興味がなく、ただただその時の生活から逃れるためです」
「それって……」
歴史上の出来事じゃないか。俺の恐怖感は、いつの間にか興奮へと変わっていた。
「最初は順調……だったようです。色んな街や村を襲って、略奪したり、虐殺したり……。僕たちの中ではそれが正義だと思っていた。しかし、だんだんと雲行きが怪しくなってきたのです」
死神は不意に立ち止まり、前に居る一人の男性を見ていた。会社の残業帰りだろうか、そこはかとなくくたびれている印象を受ける。いや、それ以前に、目に生気が感じ取れない。
「あの人は?」
死神は俺の問いには答えず、二言三言何かをつぶやくと、いつの間にか死神の横に、一人の女性が立っていた。いったい、誰だ……?
しかし、それはすぐに分かった。その男の人が女性を見ると、突然信じられないものを見たような顔になった。眼はこれでもかというほどに見開き、口をあんぐりと開けている。一見すると間抜けな面である。
「あ、あ、明美……?」
一歩ずつ、彼女に近づいている。何故だか、昨日の佐藤さんを彷彿とさせる。
「和也君」
明美と呼ばれた彼女がそう言うと、その人は唐突に駆けだし、彼女を抱きしめた。
「明美! ああ、どうして。明美、会いたかった」
目に涙を浮かべながら、その人は力いっぱい抱きしめていた。
「和也、君……私も、私も会いたかったよ……」
彼女の方も、泣きながら彼の胸に顔を埋める。
「だって、あの時君は死んだはずじゃ? どうして?」
「死んだよ、私やっぱり死んじゃったの。でも、もう一度和也君に逢いたくて……私……」
「奇跡だ。ああ、神様。感謝します!」
……なんなんだ?
「おい、これってまさか」
「はい。これが死人帰りです」
昨日は、あまりにも突然のことで、しかも相手のことは見えなかったから、逃げ出してしまった。が、両方とも見えると、また違った物語が見えてくるらしい。あの時の佐藤さんも、こんな風だったのか。なんだか、舞台裏を見たような感じだ。
彼には俺たちの姿が見えないらしく、こちらには一瞥もくれない。
「なあ、何でこんなことやってるんだ?」
死神は沈黙を返した。
死神がもう一度何かを呟くと、今度は彼女の姿が淡く光り出した。
「あ、明美?」
「……もう、時間みたい」
「お、おい。どうしたんだよ」
「和也君。私は、和也君と一緒に居れて楽しかった。暗かった人生に、光が射した気がした。私は、本当に、幸せでした」
彼女は涙を溢れさせながら、精一杯の笑顔でそう言った。
「そんな、行くなよ。俺のそばに居てくれよ」
「大丈夫だよ、みえなくても、私は和也君のそばに居る。そばで見守ってるから、だから……一生懸命、生きて」
その言葉を最後に、彼女の姿は完全に消えた。男の人は、その場でひとしきり泣いたあと、涙を拭って帰路についた。その眼には、強い光があるように感じた。
死神は、しばらくその男性の背中を見つめてていた。
「僕たちが参加した遠征の集団は、突然の襲撃に見舞われました。たぶん、そこで僕は死んだんだと思います」
死神は遠い目をしていた。思う、というのはどういうことだろうか。
「あまり覚えていないのです。覚えているのは、目の前に天使が現れたのと、死神の役目を背負わされたということだけです」
背負わされた?
「直接的ではないにしろ、何百年もの間、毎日何百人の人を殺してきました」
「何故、そんなことするんだ」
「僕だってやりたくない。心優しい人も、夢であふれる人も、幸せな家庭を持つ人も、どれだけ殺したか……惨たらしい死に方をした人も、何億人もいました。無邪気な赤ん坊がこと切れるところも、僕は見なくてはいけないんです。こんな仕事、誰がやりたがると思いますか?」
こちらに振り返った死神は、顔を苦痛に歪ませ、涙を流していた。死神の悲しみが、苦しみが、嫌というほど伝わってくる。
「僕が奪った数多の命、そのせめてもの償いとして、残された人と、死んでしまった人の魂を再会させているんです。自分の運命に対する悪あがきですかね。でも、僕に出来るのは、これしか……」
死神というと、悪の権化というイメージしかなかったが、目の前の少年を見ると、そんな邪悪な感じは全く無いな。俺はなんだか、死神が哀れに思えてきた。
「人が死なないようにすることはできないのか?」
俺がそう問うと、死神は一層悲しそうに言った。
「人が死なないと、あの世とこの世の、魂の量が傾いてしまう。それに、この世には死んだ方がいい人がたくさんいる」
「死んだ方がいい人だと!? 」
そんな人、居るわけない! しかし、死神は極めて冷静に答えた。
「考えても見てください。人が死なないということは、死にたくても死ねないんですよ? どんなに辛いことがあったって、死ぬことができない。この世は、第二の地獄になる」
おそらく、死神も同じようなことを考えたことがあったのだろう。そして実行できないことを悟った。
死神の辛さは嫌というほど分かった。しかし、分らないことが一つある。何故、そんな話を俺にしたんだろう。何の目的があって……。
「何故自分にこんな話をしたのか、そう考えていますね」
「あ、ああ。何でこいつは俺が思っていることが分かるんだろう、とも考えたぜ。今」
死神はそれ以上何も言わなかった。死神について歩いて行くと、いつの間にか学校に戻っていた。時計を見ると、すでに九時を指している。
死神はしばらく校舎内を徘徊した後、佐藤さんがお姉さんと再会した渡り廊下に差し掛かったところで立ち止まった。そしてゆっくりとした動作で前方を指さした。
「……朱音?」
指さされた方を見ると、朱音がポツンと佇んでいた。
「おい、朱音。なにやってんだ、こんなとこで」
俺が声を掛けると、朱音はものすごい勢いで振り向いた。その顔は、驚愕の色に染まっている。いくらなんでもびっくりしすぎだろ。
「はは、大丈夫だよ、先生とでも思ったか?」
俺がそう言うと、朱音は顔を歪ませ、今にも泣きそうな顔になった。なんだか様子がおかしい。
「ど、どうした。朱音?」
「聡太……朗」
これは、デジャヴというやつか。朱音は、ゆっくりと俺の方に向かってきた。昨日今日で二回ほど見たような……まさか。
「聡太朗!」
俺がある一つの、恐ろしい結論を導き出したとき、朱音は駆け出し、俺に勢いよく抱きついた。想像以上の衝撃に、少しよろける。
「聡太朗、聡太朗! 会いたかった。総太郎がいきなり死んじゃって、私、私……うわぁあ」
自分の肩で泣く朱音の頭をぎこちなく撫でながら、俺は振り向いて死神を見た。
「俺、死んだのか……」
死神は静かに頷き、目を伏せた。
今なら、さっき見た女の人の気持ちが分かる気がする。
俺は幼馴染を抱きしめ、耳元で呟く。
「ごめんな」
情けなくなるほど、小さな声だった。