恥ずかしげもなく述べた叶わぬ願い
人は死ぬとき走馬灯が走るらしい。何でも過去の記憶から今の状況を打破するための何かを見つけるためだそうだ。
なるほど。人間?生物?の体とはうまくできている。
鼠は自分たちが生態系を壊すほど増えたら自殺するらしい。そうか。人間以外の生物で自ら命を絶つことが出来るのは蛇だが、別に自分で自分の体に毒を混入させたり、自分で自分の体を痛めつけなくても、地面や水があるのだ。溺死。打ち身の死はなんというのだろう?まぁ、それがあるのだ。
なるほど。この世はうまく回っている。
所詮人間とはそんなんで所詮、人間でなくてもそんなんだ。
人は人を責めることがあるが、地球のためとほざく奴もいるが、たまたま唯我独尊状態を許されたのが人間だっただけだ。別に今、この世を支配しているのが人間では無くなっても同じ状態だっただろう。人間は鼠になり、或は蛇になり。それだけだ。それ以外はない。地球も望んでない。と思う。人間以外の生物の言葉なんか知らない。分からない。
それだけだ。それ以上もそれ以下も、それ以外もない。
人間という生物の被害妄想で、人間という生物の戯言だ。
人間以外には響かない。いや、きっと少数でも、それが響かない。まるで感性が一般人というやつの斜め上を行っていて、周りに溶け込めない、そんな人間がいるはずだ。
どんな形であれ。それはそこに位置して、そこに点在しているのだ。透明人間であれ。影の薄い人間であれ。消えることは不可能なのだ。自分というのがある限り。そこに世界がある限り。
泣いても喚いても、それは変わらない。人生の辞書に不可能ある。どんなことにも不可能はる。限界は、究極は、頂点は、底辺は、限りは、必ずある。
上には上がいる?確かにそうかもしれない。違うかもしれない。しかし、こう考えることもできる。頂点の生物には目指すものが無い。だが、維持には目標も必要。だから。頂点の人物の考案した苦肉の策。「自分は決して、下ではないが、上でもない。」という、一種の現実逃避。
天才は上がいないから。天才には下しか居ないから。
だから、逃避した。ま、天才の感情何て私の知ったことではないから。
知りたくもないから。
私は凡人でいい。何なら凡人で無くてもいい。
天才じゃないなら、それでいい。
変に期待されるのも、変に逃避するのも御免だ。
私は、今のままでいい。
今のままがいい。
そうして私は瞳を閉ざした。
願わくば、次生まれる世界でも凡人。あるいは最底辺の人間でありますようにと。
痛む体と下がっていく体温に身を任せながら、心の奥底の死への恐怖を隠すように、そんな戯言を思って、私は決して幸福と言えなかったこの世界に終止符を打った。
美しく、醜いその宝石から手を離した。