子猫 1
ある日の朝、ツェン姉様の許に文が届けられた。
相手が遣わした侍女が文を渡すと、ツェン姉様は中身を読んで首をかしげた。不思議そうな顔で返事を書き、不思議そうな顔で遣いの侍女に渡している。
「そんなに不思議な内容だったんですか?」
侍女が去った後、私がそう訊ねると、ツェン姉様はなんとも言えない顔になった。
「相談したい事があるから睡蓮宮に行ってもいいか、という内容だったんだけどね、ほとんど関わりがない方だったの」
「それはまた、謎ですね…」
身近な人ではなく、関わりのない相手にしたい相談事とは一体なんだろう。
「ところで、その方のお名前は?」
「スーラ様よ」
――えーっと。
「ど、どんな方でしたっけ?」
「………」
呆れ顔をされた。
言い訳をさせて貰うなら、後宮の住人は多すぎて、全ての名前を覚えることは到底できない。とは言え、ツェン姉様の表情からすると、私でも知っていなければおかしい名前らしい。
「…アイラ様の御息女よ」
「ああ、あの方の」
儚げな佳人として知られている側室の名前を聞いて、ようやくスーラ様について思い出す。
「確か、8歳でしたね」
「そうよ。行事でお見かけするぐらいなんだけど、一体どうなさったのかしら」
「うーん…」
私達は、揃って首をひねった。
昼下がり。スーラ様が訪ねてきた。
「急な訪問をお許し頂き、ありがとうございます」
あどけない声で丁寧に挨拶した小さな王女の姿に、私達は思わず顔を綻ばせた。ツェン姉様もにこりと笑う。
「私は特に用事もございませんから。…ところで、ご相談とは?」
本題に入ると、スーラ様はおずおずと口を開いた。
「あの…」
「はい」
「わたしの猫が、あ、白くて小さな猫なんですけど…」
「ええ」
「いなくなってしまったんです」
「まあ。それはいつのことですか?」
しょんぼりとしてしまった彼女に、ツェン姉様は優しく続きを促す。
「5日前です。いつはお散歩に行っても、お腹が空くと帰ってくるのに、ずっと帰ってこないんです。きっと迷子になっちゃったんです」
私達睡蓮宮の侍女は、こっそりと顔を見合わせた。
飼っている猫がいなくなってしまって大人に助けを求める、というのは分かる。でも、どうしてツェン姉様を相談相手に選んだのだろう。
「お話はよく分かりました。確かに心配ですね。ですが…、どうして私に相談を?」
同じ事を考えていたらしいツェン姉様はそう訊ねた。
「ご、ごめんなさい。やっぱり迷惑でしたか…?」
「いいえ、そうではありませんよ。ただ、私などより頼りになる方は、大勢いらっしゃるでしょう?」
「でも、ツェンニャ様は、前になくなった首飾りを探し出したって聞きました!」
――はい!?
思いがけない理由に、私はうっかり声を出しそうになり、慌てて堪えた。
「その話はどちらで?」
ツェン姉様も一瞬固まったものの、すぐに冷静な声を出した。流石と言うかなんと言うか。
「侍女達が言ってました。とても素早い解決だったって」
…私は、後宮における噂の伝わり方を見くびっていたらしい。
よく考えれば、後宮は基本的に暇な人間が多い。噂話は、大事な娯楽ということだ。
「そうなのですか。ですが、その話には、欠けている事実があります」
ツェン姉様の声に余裕が戻った。と言うか、なんだか楽しそうだ。
…嫌な予感がする。
「あの時、確かに私は首飾りを探し当てました。ですが、解決に貢献したのは私だけではないのです」
「そうなんですか!?」
わくわくした表情で身を乗り出したスーラ様。それに応じて、楽しそうに笑うツェン姉様。
――この流れって、もしかして…。
そっと下がろうとしたのに、それを察知したらしいツェン姉様が、私の腕をがしりと掴む。
「彼女の言葉があったからこそ、あの騒ぎを素早く解決できました」
「すごいですね!」
曇りのない笑顔が眩しい。
私は、腕を掴まれて逃げることができないまま、とりあえず愛想笑いをした。