番外編 彼の国の話
ツェンニャの文通相手の話。
静かな室内で、黒髪を無造作に束ねた藍色の瞳の青年が文を読んでいた。
彼の周りには穏やかな空気が漂っており、茶を運んできた侍女は静かに顔を綻ばせる。
――が、その穏やかな静寂はあっさり破られる。
「やあ!」
「働いてください、サウィル兄上」
緩やかに波打つ金髪と若草色の瞳をもつ華やかな青年が、元気よく顔を出す――が、間髪を容れず突っ込まれてしょげた。
「…毎回それだね、クウィンは。だいたい、お前も仕事をしてないじゃないか」
「俺が毎回同じことを言うのは、あなたが毎回仕事を放り出すからでしょうが。あと、こちらは片付けないといけない仕事は全て終わりました」
「ま、毎回ではないだろう!今日は仕事を終わらせて、兄上に提出してきたし」
そうサウィルが言った途端、クウィンは茶器を取り落としかけ、侍女は自分の着物の裾に躓き、近くを歩いていた官吏が柱に正面衝突した。3人は未知の物体を前にしたような表情で、金髪の青年――この国の第二王子を見る。
「…本当に?」
疑いの眼差しを向けてくる弟に、兄はにっこりと笑った。
「本当に」
「…何か変な物を拾い食いしませんでしたか?」
「…子供じゃあるまいし」
クウィンの中でのサウィルの扱いがよく分かる会話である。
弟に子供扱いされた兄は、がっくりと肩を落として見せる。が、弟の注意は、既に別の所に移っていた。というのも、
「あああ、垂れてますよおおお」
「すみません、何か布を」
「分かった、分かったから!取り敢えず動き回るな!」
柱に顔面をぶつけた官吏が、鼻血を出し始めたのである。
イディア王国第三王子・クウィンの執務室は、ちょっとした騒ぎになった。
大陸北東部にあるイディアは、国土面積こそ小さいが、強い力をつけてきている。
国王を始めとした上層部も、優秀な者が集まっている。
だが、やたら変人が集まっているのもまた、この国の上層部の特徴だ。
自分の祖父も父親も、狙って変人を集めたのではないかと、クウィンは時々思う。
縁談のため、ツェンニャがこの国に来た時には、普通のお姫様ってこんなもんなんだねー、と感心していた友人に思わず同意したものだ。
――その折に、変人の巣窟にあっさり順応したツェンニャは、世間一般的には"普通のお姫様"には当て嵌まらないのだが、クウィンは気付いていない。
さて、つらつらとこんなどうでもいい事を考えていたのは、
「…それでだな、許して貰うには何を贈ったらいいかと」
現実逃避のためであった。
クウィンの目の前で情けない表情をしているのは、上の兄でこの国の第一王子・ディリスだ。
彼は、妻と喧嘩をするたびに下の弟に相談を持ち掛ける。最初は補佐官に持ち掛けていたらしいが、自分は恋人がいない身なのに夫婦喧嘩の話を聞き続けないといけないなら辞めてやる!と補佐官が切れたので、婚約者がいるクウィンに相談役が回ってきた。
兄夫婦の喧嘩は、放っておいても治まるので、実際には話を聞くだけだが。
「…まあ、そんな所もまたいいと言うか」
「そーですか」
惚気が混じり始めたディリスの話を適当に聞き流しているクウィンであった。
ようやく兄を追い返した青年は、婚約者からの文の返事をしたためていた。
――あの子に全ての責任を負わせた母親の事は、絶対に許せません。でも、あの子ともう一度仲良くなれたことは、とても嬉しかった。
連座によって地位を剥奪されたツェンニャの妹。
幼い頃は一緒に遊んでいた彼女を、ツェンニャがずっと気にかけていた事を知っているクウィンは、文を読んだ時、婚約者がどんなに喜んだか分かった。
――妹に会えるのを楽しみにしている。
返信にそんな言葉を入れた青年は、静かに筆を置いたのだった。
キャラが濃いやつらばっかりですね…。