7 恋心
ある日、大量に荷物を持って帰ってきたマイユと私にロイは目を丸くした。
「そりゃなんだぃ」
「マイユのお買い物です」
猫グッズだらけだけど。
私はロイに肩を竦めてみせた。
デパートにショッピングに行ったマイユは、あろうことか自分の服などは買わず、猫グッズを大量に買い込んだのだ。ネコの家、ネコのマット、ねこじゃらし・・・。ネコと遊ぶことしか考えていない。
私は何か買ってあげようと思っていたのだけれど、飼い猫ショップで目をキラキラとさせたマイユは大量にグッズを買い込んだ。え、これバイト代じゃ買ってあげられない、無理なんだけど、と思っていたら、マイユは自分のカードで支払った。
ずっと家にいたのだし、何もしてないと思っていたけれど、収入はあるらしい。
拍子抜けだったけれど、なんとなく納得もできた。何もしないでダラダラしていたわけではないのだ。
ちょっとびっくりさせられたお返しに、私はマイユに灰色の猫のぬいぐるみを買ってあげた。
マイユは無表情だったけれど、気に入ってくれたらしく、ダボっとしたズボンのポケットにぬいぐるみを入れてご満悦である。
それゆえ、マイユのズボンのポケットからは、現在猫のぬいぐるみの顔が飛び出している。
おそらく、見たことのない妹の姿に、ロイは目を見張らせていたが、私はそんなロイが腕に抱いているものに「あっ」と思った。
ネコがむにむにと動いて「みゃあ」と鳴いていたのである。
「ロイ、これ!これ!」
と、ねこじゃらしを取り出して渡した。
ロイは軽く目を見開いて私を見つめ、ねこじゃらしを手に取った。
イケメンと仔猫、そしてねこじゃらし。
これが萌えって感覚なのかと初めて思う。
どこからそんな力が出てくるのかマイユが荷物を一気に二階の自分の部屋に運び入れる。
私がロイがねこじゃらしをひらひらさせている姿にはしゃいでいると、ロイがまたじっと私を見つめた。
「何ですか?」
「・・・笑った」
「あ、え?」
「さっき、俺の名前呼んで、笑った」
ロイは私が勉強するとき以外は、ご先祖様が残してくれた記録に基づいた日本語を喋ってくれる。私も日本語は喋るが、なるべくギルファロ語を使おうとする。
この時、ロイはギルファロ語で喋った。分かりやすいよう区切って。
とても嬉しそうに。
私の頬に手を伸ばして、ロイは撫でた。
ふっと微笑んで、「居間で飲み物でも」と言って行ってしまった。
私はその場に膝をついた。
駄目だ、イケメン。
べらんめぇ調の日本語の無表情イケメン。
微笑んで、頬を撫でただけ。
たったそれだけで、私の鼓動は有り得ないほど早くなった。
心の中がバラバラになりそうだ。
元の世界に帰りたい。家族や友達が恋しい。
だけど・・・ロイが好き。義務で保護しているかも知れなくても、その優しさと不器用さと純粋さが大好き。
マイユも好き。優しくて、無垢で、それでも相手を思って厳しくできるところが好き。
この国が日本に似ているからだろうか。
文明的で快適。魔法があったり、軍事国家だったりするのは驚いたけれど、無償で助けてもらえて、保護してもらえて、かなり過ごし易かった。
段々冷え込んでくる冬の入り口。
街並みの冬支度。街路樹に蓆を巻き、人々はコートを着込む。
フィッシュ&チップスを買う人は「熱々のくれ!」と声をかける。
メイファは赤いコートに毛皮の襟を付けるようになった。
この国を好きになりかけている自分がいる。
途方に暮れて絶望に突き落とされた世界に、私は根を下ろしかけている。
自分の中の故郷がどんどん薄れていき、家族や友達の顔もなんだかぼやけてくる。
それがたまらなく怖い。
スマホをいじってLINEの記録やアプリを度々眺める。
あの日学校で受けるはずだった授業のノートや教科書を眺める。
もう遠い。全く別の環境になってしまった。
自分の根源的なものを失いそうで、それでも私はロイやマイユと生活する日々が大事。
苦しい。引き裂かれそうな気持になる。
ああ、でも私のことを、ロイやマイユがどう思っているか、分からない。
前に、いつか帰れるといい、と言っていたじゃないか。
「アランは元の世界に帰りたい?」
フィッシュ&チップスにケチャップソースを付けるのを提案したのは私だ。
それくらいサービスしてもいいんじゃない?と言うと、アランはリナがやりたいならいいよ、と言った。
アランは申し分程度の場所に、フィッシュ&チップスだけの小さな店を構えているだけで、私はアランが本気でこの店をやろうと思っていない気がしていた。
案の定、アランは勿論、というように言った。
「帰りたいね」
暫し、沈黙が落ちる。
「僕、結婚する予定だったんだ」
ひどく胸を打たれる言葉で、思わず特性ケチャップを混ぜる手を止めてアランを見た。
アランは私よりずっと大人の男の人だ。そういうことも有り得るのかも知れなかった。
「そっか」
想像するだけで、涙が出そうになった。
残酷だ。残酷。
結婚したかったのに。するはずだったのに、アランはこの世界に迷い込んでしまった。
「いつかね、帰るんだ。何十年かかっても。一生かかっても。彼女がもう僕を諦めていようと、僕はもう一度、彼女の姿を見に行くよ。会いに行くよ。こんなことに、なりたくなかったんだ」
私は何度も頷いた。涙が零れそうになって袖で拭く。
「何でこんなことになったんだろうね」
「さぁね」
アランがあっけらかんと言った。
「不当なことなんて、いつでも誰にでも、降りかかり得るものなのかも知れない」
うん、と頷いた私に、アランが悪戯っぽく言った。
「そんな悲しい顔をしないで。君にも残酷だったね。・・・家族、友達がいたよね。こっちでも、あの軍人と妹と仲良くしている。・・・それも、また辛いだろうな」
私たちは今まであえて元の世界の人間関係に触れてこなかった。
言っても仕方ないし、そして触れるだけで壊れてしまいそうな気がしていたから。
言えば、共有してしまえば、あれらは夢のように過去のものとなってしまう。
涙が零れるのを、止められない。
袖で何度も拭い、思わず笑ってしまった。
「ごめん、止まらない」
アランはまたあっけらかんとして言った。
「いいさ。人生のこれまでの全てを失って、悲しくない人間なんていないさ」